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3章【そんなに心をかき乱さないで】 1

 数日後の、喫茶店内にて。 「──カナタ、久し振り~っ」  カナタは一ヵ月振りに、母親と再会していた。  カナタが『いらっしゃいませ』を言うよりも先に、母親はカナタへ声をかける。  妙に大きな紙袋を持った母親はそのまま、ニコリと温かな笑みを浮かべたのだ。 「どう? お仕事は順調かしら?」 「う、うん。順調だよ」  カナタはすかさず、制服の襟を上へ引っ張る。  首元にツカサがキスマークを付けてから、数日。色が多少薄くなったとはいえ、まだまだ見て分かるほどだ。  ……余談ではあるが、キスマークを付けられたその翌日は、カナタにとってとても大変だった。  血相を変えたマスターがカナタの肩を力強く掴み、一言。 『──どんな虫にやられたのじゃぁあッ!』  そう、叫んだのだから。  確かに、カナタの首元にはキスマークがあった。  しかしその量は、いくら陽気でノリがいいマスターでも『昨日はお楽しみじゃったのう!』と揶揄えるほど可愛いものではなかったのだ。  それは突然の母親来訪に対し、マスターが微笑ましそうにするよりも。 「はわわっ、なのじゃよ……っ」  厨房の奥から、ハラハラとした視線を向けられるほどに……。  当然、カナタの母親は落ち着きがないカナタに対し、不思議そうに小首を傾げる。 「カナタ? ソワソワしちゃって、どうかしたの?」 「えっ、いや、なにもっ?」 「そう? それなら、いいけれど……」  カナタはすぐに平静を装い、母親を空いている席に案内した。 「これ、メニュー表ね。すぐ戻ってくるから、ちょっと待っていて」  開店したばかりで、客はまだ母親のみ。  どこか楽な気持ちで接客をしながら、カナタはお冷を取りに厨房へ向かう。  すると、マスターが──。 「──カナちゃん。あの人、カナちゃんのなに?」  口を開いていたが、先にカナタへ声をかけたのはツカサだった。  ツカサは口角を上げたまま、コップが乗ったトレイを持っている。  お客様が来店したという気配に気付いてすぐ、用意をしてくれたのだろう。  ツカサの気遣いに内心で感謝をするも、カナタは小首を傾げた。  ──なぜなら、ツカサがトレイを渡してくれないからだ。 「あの、ツカサさん? トレイを──」 「こっちの質問が先だよ。あの人はカナちゃんのなに? 知り合い?」  口角は、確かに上がっている。  しかしどういうわけか、ツカサの目は全く笑っていなかった。  カナタは戸惑いつつも、素直に答える。 「えっと……あの人は母親、です。オレの」  カナタの両親とマスターは、知り合いだ。  ゆえに、マスターは来店した客が【カナタの母親】と認識している。  しかし当然、ツカサはカナタの家族を知らない。  ……だとしても、ツカサが纏っているのは妙にただならぬ気配だった。  カナタの答えを聴き、ツカサは輝きが一切灯されていなかった瞳を丸くする。 「……母親? カナちゃんの?」 「は、はい……っ」 「本当に?」 「嘘偽りなく、です」  ツカサはトレイを手にしたまま、たった一人の客へ目を向けた。  メニュー表を眺めている女性の姿を、ツカサはジッと眺める。  それから……。 「──それならそうと早く言ってよ!」  ツカサは珍しく、カナタのことを責めた。

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