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ツカサは一度、カナタの襟に巻かれたネクタイを解く。
「俺がこの喫茶店で働き始めたのは、五年くらい前かな。ちょうど、カナちゃんと同じ年の頃だよ」
左右の長さを調節しつつ、ツカサは慣れた手つきでネクタイを結び始める。
「うちは両親が離婚していて、俺は小さい頃から母親と二人暮らし。母親は、まぁ良く言えば『自由奔放』って感じの人で、家にいないことの方が多かったなぁ」
すぐにネクタイを結び直したツカサは一度、満足そうに頷いた。
そのまま、到底世間話のノリでは片付けられない話を口にする。
「──で、俺が母親に逆レイプされたのが十八の頃。それで俺は家を飛び出て、実家からは結構距離があったこの町まで自力で来たんだ。それで、たまたま出会ったマスターの奥さんに拾われたって感じだね」
「えっ?」
「ん?」
戸惑うカナタに対し、ツカサは小首を傾げた。
「どうしたの? もしかして首、苦しい?」
「いや、そうじゃなくて……っ」
ツカサはすぐにネクタイを解き、もう一度結び直す。
だが当然、カナタが声を上げたのはそんなことが理由ではない。
「今、あの……ぎゃ、逆……えっと、そのっ」
「逆レイプ? 別に珍しくなくない?」
「いえ、そんなことは……っ」
相手が母親だというのに、どうしてこうも平然としているのか。
ツカサはカナタのネクタイを結び直した後、その先端にキスをした。
「よし、カンペキ。今日もカナちゃんは世界一可愛いよ」
「えっと、ツカサさん?」
「あぁ、ごめん。話が逸れたね。とにかく、そんな感じだよ。だから俺は、ここに住み込みで働いている。……他にもなにか、気になることはある?」
不可解なことばかりで、なにから口にしていいのか分からない。
カナタが困惑していると、どうやらツカサはあらぬ勘違いをしたらしい。
「もしかして、俺の初めてがカナちゃんじゃなくて妬いているの? だったらメチャメチャ嬉しい! ねぇ、カナちゃんの初めては俺? それなら舞い上がっちゃうほど嬉しいんだけど!」
「あの、そうじゃなくて──」
「えっ? 違うの? カナちゃんって、俺に会う前から経験済み?」
即座に、ツカサの顔から笑みが消える。
「それは困るなぁ。相手は誰? 母親? それとも父親? 友達、先輩、後輩……マスターなワケないよね?」
「違います! オレはツカサさんとしか──」
「なぁんだっ! も~、驚かせないでよ~っ!」
自身が経験してしまった身内との体験より、どうしてカナタの処女性を気にするのか。
やはりツカサの思考回路は、カナタには理解できない。
ツカサは上機嫌そうな笑みを浮かべて、カナタの肩に手を置いた。
「よし、今日は髪の毛を結んであげるねっ。実は、カナちゃんに似合いそうな可愛いヘアゴムを見つけたんだぁ」
「あのっ、ツカサさんっ!」
「なぁに?」
ツカサはカナタの体を反転させ、そのまま食卓テーブルへと進ませる。
椅子に座らせた後、ツカサはポケットからヘアゴムを取り出しつつ、カナタに相槌を打った。
「どうして、そんなに普通でいられるんですか? お母さんと、その……嫌なことが、あったのに」
カナタの問いを受けて、ツカサは間髪容れずに答える。
「逆レイプ自体は特段珍しいことじゃないからかなぁ。カナちゃんに『隠し事をされている』と思われたくないから一応言っておくけど、俺の初めては母親じゃなくて小学校の女教師ね。それも実は、逆レイプ。これは俺とその女しか知らない話だから、ある意味でカナちゃんは特別だよ。嬉しい?」
「……えっ?」
「それよりも、見てよこのヘアゴム。可愛いでしょ?」
ツカサが意気揚々と取り出したのは、花の装飾が小さくあしらわれた華奢で可愛らしいヘアゴムだ。
確かに、ヘアゴムはカナタも可愛いと思える。本心だ。
しかし、どうしたって手放しでは喜べない。
「でも、可愛いカナちゃんのうなじが俺以外の奴にも見えちゃうのは良くないか……。うぅん、悩ましいなぁ」
自分の過去よりも、カナタのうなじが見えるか見えないかで悩んでいる。
そんなツカサを見て、カナタは適切だと思える言葉がなにひとつ思いつかなかった。
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