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 時間は過ぎ、夕方。  日中の仕事を終えたカナタは、マスターと共に店内の掃除をしていた。  ツカサはというと、夕食の準備をするため家へ戻ったのだ。 「良いか、カナタ。あの失礼極まりない弟子に『渡してください』とお客様から預かったメモ紙は、絶対に見つからないようにするのじゃぞ」  モップで床を磨きながら、カナタはマスターに相槌を打つ。  閉店直前、カナタはレジをしている最中に女性のお客からメモ紙を受け取った。  内容は、女性の連絡先。渡す相手は当然、ツカサだ。  話題から察するに、どうやらマスターはそのことに気付いていたらしい。 「それは、ツカサさんが嫌がるからですか?」 「広義的に言えばそうじゃのう」 「それじゃあ、具体的に言うと?」 「次に来たら、ツカサがものすごく辛辣な言葉でそのお客様を罵るのじゃ」  どこかツカサらしいエピソードに、カナタは曖昧な笑みを浮かべた。  マスターはそのまま、カナタに手を差し出す。  カナタはそっと、女性客から受け取ったメモ紙をマスターに手渡した。 「ツカサさんは、女の人が苦手なんですね」  ふと、今朝聴いたばかりの話を思い出す。  ツカサは、二人の女性に乱暴なことをされた。  ……もしかするとカナタが知らないだけで、他の女性ともっとたくさんの【嫌なこと】があったのかもしれない。  カナタはチラリと、マスターへ目を向けた。 「ツカサさんは、マスターさんの奥さんも苦手なのでしょうか」  テーブルを拭いていたマスターは、手の動きを止めない。  そのまま、ゆっくりと。 「いいや。ツカサは唯一、ワシの妻にだけは態度が違うぞ。……まぁそれは、別に『友好的』というわけではないがのう」  どこか誇らし気に、口角を上げた。 「ツカサがうちの店に来た経緯を、カナタは知っておるか?」 「ツカサさんから、少しだけ……」 「そうか。ツカサなら、お主に隠し事はしないじゃろうな」  マスターは別のテーブルへ移動し、先ほどまでと同じ動きを繰り返す。 「ツカサの風貌を、お主はどう思う?」 「えっ? え、っと……か、カッコいい、と、思います」  予想外の問いに、カナタは思わず頬を赤らめる。  カナタの返答は想定内だったのか、マスターは肩を揺らして笑った。 「そうじゃろう? あの男は師匠に対して無礼千万じゃし、器用にかわせることもわざと直球でぶつかりに行ったりと、それはそれは大層ひねくれた性格じゃが、見てくれはいいんじゃよ」 「そ、そう、ですね?」 「ワシには朝のお茶を用意してくれんくせに、カナタには好みドストライクのコーヒーを用意したり、時々ワシの洗濯物を干したままにすることがあるくせに、カナタの洗濯物は逐一乾いている進行度合いを確認して即座に畳むほど露骨な男じゃが、見てくれはいいんじゃよ」 「それは、知りませんでした。すみません……」  なぜだか妙に、居た堪れない気持ちだ。  カナタは委縮しつつ、マスターの話に耳を傾ける。 「じゃが、奴は奴で純真無垢な男なんじゃよ。ただ、周りがそれを許してくれなかっただけじゃ。周りが、ツカサに不必要なことも強要しただけなのじゃよ」  思わず、カナタは手を止めてしまう。 「ツカサはのう、しなくてもいい苦労を色々と強いられてきたのじゃ。見てくれだけじゃなく、中身を見てもらいたいと願っておったのに、誰もその小さな願いを叶えてはくれんかった」  言葉を区切ると不意に、マスターは店の隅に置いてあるピアノへと目を向ける。 「じゃからワシは、ツカサにピアノを教えたんじゃ。妻がワシに、そうしてくれたようにな」  客引きとして、ツカサが嗜む程度に触れているピアノ。  そのピアノが、どうして喫茶店に置いてあるのか。  考えてみると、カナタはその理由を知らなかった。

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