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 カナタの耳に添えられた、確かな【感触】。  冷たいその【ナイフ】の切っ先は、しっかりと耳の付け根を狙っている。 「ツカサ、さん……っ」 「カナちゃん、見て」  ツカサはポケットから、透明の瓶を取り出す。 「形、可愛いよね? たまたま見つけたんだけど、きっとカナちゃんなら喜んでくれるかなって」 「ツカ──」 「──動いちゃダメだよ」  ツカサとの距離が、ほんの少しだけ縮まる。 「必要以上に傷を付けたくないんだよ。カナちゃんはいい子だから、分かってくれるよね?」  口調は、どこまでも優しい。  それなのに、その口は。  ……目は、一切笑っていない。 「ねぇ、カナちゃん。どうして? どうして、俺以外の誰かを選ぼうとするの? 信じていたのに、どうして? どうして、マスターを選んだの?」 「ちがっ、オレはマスターさんを選んだわけじゃ──」 「──ウソ吐かないでよッ!」  ビクリと、カナタは体を震わせる。 「カナちゃんはマスターを選んだじゃないかッ! 俺じゃなくてマスターを欲しがったッ! この耳がッ! マスターを求めていたじゃないかッ!」  ツカサに脅されたことは、確かにあった。  しかし、あの時の柔和な狂気とはわけが違う。 「ねぇ、なんで? なんでカナちゃんは、マスターを選んだの? ……ねぇッ! 答えてよカナちゃんッ!」  怒気を孕んだ、言葉では形容できない狂気。  ここまで真っ直ぐとした感情を、カナタは今まで向けられたことがなかった。  奥歯が、カナタの意思を無視して勝手に震える。  その震えがもしも、ナイフの先端に触れでもしたら……。  そう考えると、カナタの体からは熱が失われていった。 「信じていたのに、どうして俺を裏切るの? 怖いことをされたくないって言ったのはカナちゃんなのに、どうして俺にこんなことをさせるの? ねぇ、分からないよ。分からないんだよ、ねぇ。ねぇってば、ねぇッ!」  震える唇を、カナタは懸命に動かそうとする。  答えなければ、両耳がそぎ落とされるだろう。  そしてその両耳は、ツカサが用意した瓶に詰められる。  ツカサの声しか聴けないよう、大切に保管されるのだ。 「どっ、う……し、て……っ?」  ようやく、カナタが言葉を紡ぐ。  その声はあまりにも情けなく、弱々しいほどに震えたもので。 「ツカサさんにとって、マスターさんたちは……大切な人じゃ、ないんですか……っ?」  それでも、今のカナタができる精一杯の問い掛けだった。  カナタの問い掛けを受けて、ツカサは眉を寄せる。 「カナちゃん以上の人間なんて、俺にはいないよ。そんなこと、賢いカナちゃんなら分かっているでしょう?」 「それでも、マスターさんとマスターさんの奥さんは、ツカサさんの家族じゃないんですかっ?」 「……【家族】?」  すると。 「……あぁ、なるほど。そういうことだったんだぁ……っ?」  ナイフを握るツカサの手が、素早く動かされた。

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