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マスターの想像通り、その日の客足は少なかった。
チラホラとやって来る客の対応を、ツカサとリンがする。
右も左も分からない状態のリンをツカサがサポートしているので、その分の仕事をカナタがカバー。
残されたキッチンは、ほとんどマスターが担当した。
そうして、閉店時間を過ぎてから……。
「──ホムラさんって、メチャクチャカッコいいんだなぁ……っ」
リンが瞳を輝かせて、カナタにそう言い始めたのだ。
どうして突然、リンがそんなことを言ってきたのか。……それは、ツカサがピアノを弾き始めたからだ。
普段のツカサなら、客足が少ないときには必ず【集客】を免罪符に、趣味のピアノを奏で始める。
しかし、今は違う。
ツカサはピアノの調律を兼ねて、息抜きをしているのだ。
平然とした態度でリンに仕事を教えていたが、ツカサなりに疲労はあったのだろう。
そう推察すると、ツカサが閉店後の業務を放り出しているのも納得だ。
……もとより、ツカサは不真面目な行動をとることがある青年ではあったが。
厨房で片づけをしているマスターは怒っているが、カナタとリンはなにも言わない。
「うん。ツカサさんは、カッコいいよね」
カナタは床掃除をしながら、リンの言葉を肯定する。
……胸に、不愉快なモヤモヤを抱えながら。
公私混同をしてはいけない、と。そういう気持ちが、真面目なカナタには当然あった。
けれど、どうしたって考えてしまうのだ。
──ツカサが今日、カナタには全然構ってくれなかったことを。
リンという新人がいるのだから、教育係を名乗り出たツカサがそちらにばかり目を向けるのは当然だ。
しかしそれでも、カナタは考えてしまう。
──ツカサに気にかけてもらうのは、カナタの特権ではなかったのか。
──ツカサが構ってくれていたのは、必然的にカナタが一番の新人だったからなのか、と。
カナタにとってツカサは、初恋の相手だ。
しかも、昨日から別の不安感を抱いている。
そうした気持ちの切り替えが即座にできるほど、カナタは器用ではなかった。
テーブルを拭くリンが、ツカサをジッと眺めている。
まるで、視線を釘付けにされたかのように。
それすらも、カナタは不快に思ってしまう。
そして、そんな自分に自己嫌悪する。……そんな悪循環を、カナタは続けていた。
カナタはツカサから視線を逸らし、リンの手元へ目を向ける。
「リン君。よそ見しちゃ駄目だよ。テーブル、ちゃんと拭けてないからね?」
あくまでも、仕事を教える先輩として。
そう振る舞おうと努めながら、カナタはリンに近寄った。
よそ見をしながら乱雑な拭き方をするリンの手に、カナタが手を伸ばす。
──その瞬間。
「──ヒシカワ君」
ピアノを奏でるツカサの指が、制止した。
名前を呼ばれたわけでもないカナタは、慌てて手を引っ込める。
するとなぜか、リンまでもが手を引っ込めた。
「分かっているよね、ヒシカワ君?」
──なにが。
カナタにとっては当然の疑問でも、どうやらリンにとっては違ったらしい。
「分かっていますって! ホラ、セーフセーフ!」
「ギリギリのくせに、なんでキミは笑っているのかなぁ? ……次はないからね」
カナタにはやはり、要領を得ない会話だ。
しかしなぜか、二人の間では成立していた。
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