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7章【そんなに幸せにしないで】 1
新たな仕事仲間であるリンが来てから、数日。
カナタは相変わらず、モヤモヤしていた。
それは、当然……。
「ヒシカワ君は何度同じことを言われたら気が済むのかな? テーブルの拭き方がなっていないよ」
「えぇ~っ! 今日はちゃんと隅々まで拭いたつもりなんですけど!」
「じゃあ、キミが持っている【隅々】って言葉の認識から改めたらどうかな。きっとそれが、キミが仕事を全然覚えられないことに対する一番早い対策だよ」
「辛辣がすぎますって!」
ツカサとリンの距離感に、だ。
ツカサの対応は、決して優しいとは言えない。
だが、そもそもツカサにしては珍しいことが起こっているのだ。
気を許しているであろうマスターが相手でも、ツカサはどこか素っ気ない。
そんなツカサが、自ら教育係を名乗り出た。
そしてリンが働く日は、いつもリンに声を掛けているのだ。
内容は当然、仕事のこと。
……分かってはいても、カナタはモヤモヤしてしまうのだ。
「オレ、モップを片付けてきます」
二人のやり取りから目を背けるように、カナタは掃除道具を片付けるため、ホールから離れる。
思えば、カナタはツカサの交友関係を知らない。
マスターとその妻に対しては、おそらく心を開いている。
そしてカナタに対しては、優しい。そこは、自信があった。
……問題は、その他だ。
以前、マスターは『ツカサ宛ての届け物はツカサに渡すな』と言っていたことを考えると、おそらく女性は好きではない。
──ならば、カナタと同様に【年下の男】はどうなのか。
現時点では、ツカサがリンに対して『可愛い』と言っている場面を目撃していない。
しかし、今後も目撃することがないとは言い切れないのだ。
リンはカナタと違い、天真爛漫で人懐っこい。
いつも笑顔で、笑うと覗く八重歯がどこか無邪気な印象を与える。
誰にでも分け隔てなく同じ態度で接し、そんな裏表のなさがなおさらリンからいい印象を与えるようで。
ハッキリと自分の意見を口にできて、話していても楽しい。
……一方、カナタはどうだろう。
「駄目だ……っ」
そこまで考えて、カナタは掃除道具入れとして使っているロッカーを開ける。
ツカサが『可愛い』と言ってくれるのは、現時点だとカナタだけ。
リンはと言うと、本人が『誰のことも好きにならない』と言っていた。
だが、どうしたって安心はできない。
リンと比べると、カナタは自分のいいところがなにも見えなかった。
人付き合いが得意ではないカナタよりも、リンの方が愛想はいい。
『人の恋バナが好き』と言ってくれたリンと違い、カナタは『可愛いものが好き』と打ち明けられていない。
好意を自覚してからのカナタは、今まで以上にツカサとうまく話せていないというのに、リンは出会ってすぐ、ツカサと軽口を言い合える仲になっている。
「……いい、な」
そして、なによりも。
──友達であるリンのことを妬んでいる自分自身が、最も醜悪に思えて仕方ないのだ。
モップを片付けてから、カナタはぼんやりと考える。
もしも、ツカサがカナタに『好きだよ』と言ってくれたのならば。
そうすれば、なにかひとつでも変わるのかと。
……そんなふうに、いつまで経っても【変化】を待ち続けている自分自身も、カナタは好きになれなかった。
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