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ほんの少しだけ、勇気を持てたはずだった。
ツカサの特別になりたいと打ち明けたあの日に、ツカサは応じてくれたのだ。
仮にその内容が【一緒に入浴】という、カナタの想定していなかったものだとしても。
それでもツカサは、カナタが求めたことに応じてくれた。
ならばなぜ、カナタはもう一歩を踏み出せないのか。
その理由は、ふたつあった。
ひとつは、先ほどの内容と類似している。
ツカサはおそらく、カナタが求めたことをなんでも叶えてくれるだろう。
たとえそれがカナタの求めるものと違ったとしても、ツカサはツカサなりに【カナタの求め】に応じるのだ。
ゆえに、カナタは言えなかった。
『好きと言われたい』と願うカナタの願いを【叶えてもらう】のでは、意味がない。
カナタが求めたという理由だけで、気持ちを──言葉を、強要したくなかった。
そして、もうひとつ。
──もしも、ツカサに拒まれたら。
そう考えると、まるで魔女に声を奪われたかのように、カナタはなにも言えなくなってしまうのだろう。
「はぁ……っ。オレって、カッコ悪い……」
掃除道具を片付けたカナタは、ロッカーを閉めてからポツリと呟く。
カナタは、理解者が現れることを諦めかけていた。
それでもカナタは、心のどこかでは待っていたのだ。
そんなカナタの【求め】にさえ、ツカサは応じてくれた。
好きなものを肯定してくれて。
弱虫なカナタ自身も、まるごと受け止めてくれた。
それなのにどうして、カナタはいつも【それ以上】を求めてしまうのか……。
「これ以上は、さすがに欲張りだよ……っ」
ロッカーにもたれかかりながら、カナタは思わず心情を吐露する。
カナタはツカサに、なにも与えられていない。
それなのに、ツカサのなにもかもが欲しいだなんて。
ツカサが持つなにかを、誰かに少しでも分け与えることすら許せない。
カナタはロッカーから距離を取り、俯いていた顔を上げる。
そこで、ふと。
「前髪、少し伸びてきたかも」
視界にチラつく前髪を、鬱陶しいと思った。
前髪に触れて、カナタは思い出す。
『小さなお花が付いている、可愛いヘアピン。カナちゃんの髪に似合うと思って、カナちゃんが引っ越してきたその日に買っちゃった』
そう言い、ヘアピンをプレゼントしてくれたあの日のことを。
その日になにか、カナタはツカサと約束をした気がする。
なにか、ツカサが喜んでくれるような。
ツカサに笑ってもらえるような、現状打破に繋がりそうな約束を。
必死に思い出そうと、カナタがデートの光景を思い返していると……。
「……あれっ? あのロッカー、なにかはみ出ているような……?」
カナタの視界に、ロッカーからはみ出る【なにか】が映った。
それと同時に、カナタの背後に人の気配が近付く。
「おぉ、カナタ! こんなところにおったのか!」
「あっ、マスターさん」
「ん? どうしたんじゃ? 怪訝そうな顔をしおってからに」
やって来たのは、おそらく厨房で使う掃除用具を取りに来たのであろうマスターだ。
カナタはすかさず振り返り、ひとつのロッカーを指で指す。
「このロッカー、なにかがはみ出ていて。開けてもいいですか?」
「あぁ、構わんぞい。大したものじゃないからのう」
マスターはそう言い、カナタが気にしていたロッカーを開ける。
その中に入っていたのは、クリーニングに出してからそのままにしていたであろう【女性店員用の制服】だった。
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