115 / 289

7 : 2

 ほんの少しだけ、勇気を持てたはずだった。  ツカサの特別になりたいと打ち明けたあの日に、ツカサは応じてくれたのだ。  仮にその内容が【一緒に入浴】という、カナタの想定していなかったものだとしても。  それでもツカサは、カナタが求めたことに応じてくれた。  ならばなぜ、カナタはもう一歩を踏み出せないのか。  その理由は、ふたつあった。  ひとつは、先ほどの内容と類似している。  ツカサはおそらく、カナタが求めたことをなんでも叶えてくれるだろう。  たとえそれがカナタの求めるものと違ったとしても、ツカサはツカサなりに【カナタの求め】に応じるのだ。  ゆえに、カナタは言えなかった。  『好きと言われたい』と願うカナタの願いを【叶えてもらう】のでは、意味がない。  カナタが求めたという理由だけで、気持ちを──言葉を、強要したくなかった。  そして、もうひとつ。  ──もしも、ツカサに拒まれたら。  そう考えると、まるで魔女に声を奪われたかのように、カナタはなにも言えなくなってしまうのだろう。 「はぁ……っ。オレって、カッコ悪い……」  掃除道具を片付けたカナタは、ロッカーを閉めてからポツリと呟く。  カナタは、理解者が現れることを諦めかけていた。  それでもカナタは、心のどこかでは待っていたのだ。  そんなカナタの【求め】にさえ、ツカサは応じてくれた。  好きなものを肯定してくれて。  弱虫なカナタ自身も、まるごと受け止めてくれた。  それなのにどうして、カナタはいつも【それ以上】を求めてしまうのか……。 「これ以上は、さすがに欲張りだよ……っ」  ロッカーにもたれかかりながら、カナタは思わず心情を吐露する。  カナタはツカサに、なにも与えられていない。  それなのに、ツカサのなにもかもが欲しいだなんて。  ツカサが持つなにかを、誰かに少しでも分け与えることすら許せない。  カナタはロッカーから距離を取り、俯いていた顔を上げる。  そこで、ふと。 「前髪、少し伸びてきたかも」  視界にチラつく前髪を、鬱陶しいと思った。  前髪に触れて、カナタは思い出す。 『小さなお花が付いている、可愛いヘアピン。カナちゃんの髪に似合うと思って、カナちゃんが引っ越してきたその日に買っちゃった』  そう言い、ヘアピンをプレゼントしてくれたあの日のことを。  その日になにか、カナタはツカサと約束をした気がする。  なにか、ツカサが喜んでくれるような。  ツカサに笑ってもらえるような、現状打破に繋がりそうな約束を。  必死に思い出そうと、カナタがデートの光景を思い返していると……。 「……あれっ? あのロッカー、なにかはみ出ているような……?」  カナタの視界に、ロッカーからはみ出る【なにか】が映った。  それと同時に、カナタの背後に人の気配が近付く。 「おぉ、カナタ! こんなところにおったのか!」 「あっ、マスターさん」 「ん? どうしたんじゃ? 怪訝そうな顔をしおってからに」  やって来たのは、おそらく厨房で使う掃除用具を取りに来たのであろうマスターだ。  カナタはすかさず振り返り、ひとつのロッカーを指で指す。 「このロッカー、なにかがはみ出ていて。開けてもいいですか?」 「あぁ、構わんぞい。大したものじゃないからのう」  マスターはそう言い、カナタが気にしていたロッカーを開ける。  その中に入っていたのは、クリーニングに出してからそのままにしていたであろう【女性店員用の制服】だった。

ともだちにシェアしよう!