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──我ながら、どうかしている。
夜になり、カナタは自分自身をそう評価した。
謙遜でも、卑下でもない。これはカナタが自分に与えた、真っ当すぎる評価だ。
……なぜなら。
控えめなノックの音が、カナタの鼓膜を揺さ振る。
ほぼ毎日聞いている音とは、少し違う。
この時間帯に聞いているノックの音は、軽快だけれどハッキリとしたもの。
今回のように、空耳だったのではと勘違いしてしまうような音ではないのだ。
それも、そのはず。
──いつものノック音は、ツカサが生んでいるもので。
「開いているよ~」
──今日のノック音は、カナタが生んだものなのだから。
返ってきたのは、ツカサの声。
カナタが叩いた扉の向こう側から、ツカサが発した返事だ。
ドアノブに手をかけて、カナタは扉を開けようとする。
……しかし、あと少しの勇気が出なかった。
ノックをし、返事をもらい、ドアノブを握って数秒。
「……っ」
カナタはジッと、その場に立ち尽くしていた。
すると、不意に。
「え、なに? マスターのイタズラ?」
握っていたドアノブが、独りでに動いたのだ。
ガチャリと開かれた扉。
その向こうに立っているのは──ドアノブをひねったのは、ツカサだった。
驚くカナタの視界に飛び込んだツカサの表情は、なぜか……。
「あっ、えっ? マスターじゃなくてカナちゃんだったの?」
カナタと同様に、驚いた表情を浮かべていた。
カナタがツカサの部屋を訪れたのは、今回が初めて。
いつも、ツカサがカナタの部屋に現れるからだ。
だからこそ、ツカサは驚いたのだろう。
口振りからして、ノック音の犯人をマスターだと信じて疑わなかったのかもしれない。
しかし、驚いたような表情を浮かべている理由は【カナタの来訪】だけではなかった。
「──それって、この間のデートで俺が買った服だよね?」
ツカサの指摘に、カナタは瞳を伏せる。
突然の来訪者に、ツカサは確かに驚いた。
だが、驚いた理由は来訪者の【姿】だ。
──そう。
──自主的に【女装姿を見せに来た】カナタの姿に、ツカサは驚いたのだ。
一瞬だけ、ツカサはカナタの姿に見入る。
しかし突然、ツカサは手を伸ばした。
「入って、カナちゃん。マスターがいつ来るか分かんないから」
慌てた様子で、ツカサはカナタの腕を引く。
「……よし。一先ず、これで一安心だね」
扉を閉めたツカサは、小さく安堵の息を吐いた。
けれど、カナタはそれどころではない。
──ツカサに、抱き締められているのだから。
不可抗力とは言え、腕を引かれたカナタは今、ツカサの胸に収まっている。
頬に熱が集まり、頭の中を真っ白にしてしまうには上等すぎる条件だった。
ツカサはと言うと、どこか嬉しそうにも見える。理由はきっと、カナタとは違うだろうが。
カナタのことを抱き寄せたまま、ツカサはどことなく楽しそうに口を開く。
「マスターのイタズラかと思って開けたら、カナちゃんが立っていたんだもん。しかも、女装したカナちゃん! さすがの俺でもビックリしちゃったよ」
「いきなり、すみません……っ」
「全然いいよ! 結構前に言わなかったっけ? カナちゃんが勝手に俺の部屋に来てくれても構わないし、むしろ待っているって」
ツカサの声色は、とても弾んでいる。
それは、今日一日リンに向けていた声とは全く違うものだった。
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