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8.5 : 3
夕食を食べ終えた三人は、いそいそと菓子の封を切る。
「カナちゃんは未成年だから、お酒を飲んだことはないよね? でも、これで少しだけ大人気分だね」
「ツカサさんとマスターさんも、お酒を飲んでいるところは見たことがない気がします」
「俺は別に好きじゃないしねぇ」
すいっと、ツカサはウイスキーボンボンが入った箱をマスターに渡す。
「カナタじゃなくてワシが最初でいいのか?」
「うん。どうぞ?」
ツカサらしくない動きに、マスターは一瞬だけ訝しむ。
しかし、渡されたのならば素直に受け取ろう。
そう思ったマスターは、すぐにチョコを一粒つまむ。
「マスターがお酒を飲まない理由は、今から分かると思うよ」
ツカサがポツリと、そう呟く。
カナタが意味を訊く前に、チョコを口に放ったマスターは……。
──バタンッ、と。
大きな音を立てて、テーブルに突っ伏してしまった。
「えっ! ちょっと、どうしたんですかマスターさんっ!」
カナタは慌てて席を立ち、奇怪な動きをしたマスターに近寄る。
肩を掴み、揺さ振ろうとして……。
「──ぐぅ」
カナタは、マスターが熟睡していることに気付いた。
「この人、ほんのちょっとのアルコールでもすぐに寝ちゃうんだよねぇ」
そう言うツカサは、満面の笑みを浮かべている。
マスターは一度眠ると、なにをされても決まった時間にならないと目を覚まさない。
たとえ耳元で叫ばれようと、家の近くで工事が始まろうと、騒音を鳴らす暴走族が走り回ろうと……マスターは絶対に起きないのだ。
……余談ではあるが、ツカサはマスターのそんな習性をとっくの前から知っている。
ゆえに、カナタがあられもない声を部屋や浴室、ダイニングで響かせても注意しないのだ。
ウイスキーボンボンを食べてマスターが即刻寝ることは、想定の範囲内。
つまりこの状況は、ツカサにとって予定通りなのだ。
「さっ、カナちゃん。もうほぼ二人きりみたいなものだよ」
隣の席に戻るよう促した後、ツカサはチョコを一粒つまむ。
「カナちゃんの初めては俺だけのものだから、邪魔者は消さないとね」
マスターを心配しつつ戻って来たカナタの顎に、ツカサは指を添えた。
「はい、あーんっ」
「自分で食べられますから、その、少し恥ずかしいです……っ」
「ダメだよ。カナちゃんが初めて食べるものなんだから、俺の手でその初めてを奪わないと。だから、ホラ。あーんっ」
渋々、カナタは口を開く。
素直にチョコを食べたカナタは、モグモグと口を動かす。
そんな姿にも胸を打たれつつ、ツカサはカナタを眺めた。
「どう? 美味しい?」
「思っていたよりも、美味しいです。もっと苦いのかなって思っていました」
「お酒のイメージってそうだよねぇ。他にも数種類買ってきたから、食べてみて?」
「はい、ありがとうございます」
色々なタイプのウイスキーボンボンを食べ進めるカナタを眺めて、ツカサはぼんやりと考える。
──こんなとき、漫画などでは酔っ払うのが鉄板ネタなのだが……。
「ぐぅ、ぐぅ……んんっ、むにゃむにゃ……っ」
そんなフィクション要素は、マスターが既に回収している。
「さすがにそんな人、周りに二人もいないか」
ツカサがそう呟いても、カナタにはなんのことだか分からない。
そうして二人は、まったりと食後のチョコレートに舌つづみを打つ。
……はず、だったのだ。
カナタが【あんなこと】になるまでは。
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