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 カランカランと、軽快なベルの音が鳴る。  客の来店と退店を告げる音に、一人の店員が店の出入り口を振り返った。 「いらっしゃ──あっ、カナタ君だ~っ!」  それは、リンだ。  リンは八重歯を覗かせつつ、すぐさまカナタへ駆け寄る。 「あっ、そのヘアピン可愛いね! ホムラさんから貰ったの?」 「うん。……お気に入り、なんだ」 「へ~っ! 確かに、カナタ君に凄く似合ってる! 可愛いね、可愛い!」 「本当? ありがとうっ」  無邪気な称賛に、カナタは思わず照れ笑いを浮かべた。  そこでリンは、自分の立場を思い出す。 「あっ、そうだった! 今はカナタ君がお客様で、僕が接客しなくちゃだよね! 先ずはきちんと『いらっしゃいませ』だね! ……いや、それとも遊びに来ただけ? え~っと、ホムラさんに会いたくなった感じかな?」 「え、っ」 「あっ! それとも僕に会いたくなった感じ? なぁんて──」  リンが冗談を口にした、その瞬間。 「──カナちゃんっ!」  すぐにリンの首根っこは掴まれ、そのままカナタとリンには距離が生まれる。 「あ~れ~っ!」  呆気なく引っ張られたリンは、どことなく楽しそうだ。  当然、カナタとリンはこの状況の原因を知っている。 「ヒシカワ君、キミは接客に戻ったらどうかな? お客様はカナちゃんだけじゃないんだよ?」  案の定、ツカサだ。  ツカサは厨房から瞬時に姿を現し、そしてカナタとリンに距離を作った。  それからツカサは、どこか冷たい眼差しでリンのことを見つめる。  しかし、リンはへこたれていない。 「わはは~っ! メチャメチャブーメラン発言ですけど、そんなホムラさんも推せます!」  むしろ、どこまでも幸福そうな様子にさえ見える。  さすが【恋バナ】のためだけに大学進学を選んだ男だ。  だが、ツカサにとってはリンの喜怒哀楽などどうだっていい。 「いらっしゃい、カナちゃん。会えなくて凄く寂しかったよ。大丈夫? ケガとかしてない? 顔をよく見せて?」 「あれ~っ? 僕の存在は消された感じですか~っ?」  背後でリンが声を上げるが、やはりツカサにとっては取るに足らない些末なこと。  ツカサはカナタの頬に手を添えて、それから一瞬だけ目を丸くした。 「ヘアピン、自分から付けてくれたんだ。……嬉しいなぁ」  そう言い、ツカサは紫色の瞳を細める。  ツカサの微笑みと、優しい眼差し。  たった数時間離れていただけだというのに、ツカサのなにもかもが眩しく見えて仕方ない。  カナタはまるで焼き付けるかのように、ツカサのことを見つめた。  そんなカナタの頬は赤く染まっていたが、それを隠すような余裕はない。  ツカサは微笑みを浮かべたまま、カナタの手を取った。 「空いている席に案内するよ。こちらへどうぞ、カナちゃん」  さすがに、この扱いは気恥ずかしい。  そう思ったカナタは、ツカサから手を引こうとする。  しかしツカサの力は、優しくも確かな強さがあった。  チラリと、カナタは遠くに離れたリンを見る。  リンは両手で自分の目元を覆い、まるで『見ていません』と言いたげな姿勢を取っていた。  ……しかし、指には隙間がある。  つまりリンは、バッチリとカナタたちの様子を見ているのだ。  ついでに言うのであれば、カナタより先に来店していた女性客も数名、カナタたちのことを見ている。  その視線に耐えられるほど、カナタのメンタルは強くなかった。

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