156 / 289

9 : 5

 ツカサは普段、厨房に籠っている。  時々姿を現すとすれば、それは客足が少ないとき。  客寄せパンダを自ら買って出て、窓際でピアノ演奏をするくらいだ。  つまり、こうしてホールに出てきてツカサが接客をするのは、レア中のレア。  ……当の本人は、接客をしているつもりではないようだが。  なんにせよ、ツカサがこうして表に出てくることが希少なことには変わりない。  ゆえに、ツカサは単体で目立っている。  そこにたまたま、カナタという付属品が付いているだけ。 「なにかの間違いでキスとかしてくれないかな~っ」  一部、付属品があることで滾っている店員はいるが。  リンの呟きには一切気付く余裕もなく、カナタは顔を赤らめたまま、メニュー表を眺める。 「お昼ご飯を食べに来たんだよね? なににする?」  この店内で、誰よりも目立っているのはツカサだ。  しかしツカサ自身は、誰よりも平然としている。  紫色の瞳は、真っ直ぐとカナタのことを見下ろしていた。  カナタは背後に立ち続けるツカサを、振り返ることもできない。  暗記してはいるものの、まるで気を紛らわせるかのようにメニュー表を眺めていた。  そんなカナタの様子すらも、ツカサはじっくりと眺めているわけだが。 「カナちゃんが食べたいものなら、メニュー表に載ってないものでもいいよ?」 「それは、良くないと思います……」 「いいのいいのっ。俺が作るんだからさっ」  それでは、普段のまかないとなにも変わらない。  ツカサの態度はどうであれ、今のカナタは【客】だ。  その空気に乗じようと決意したカナタは、ようやくツカサを見上げる。 「ツカサさんのオススメって、なんですか?」 「オススメは【俺】一択だけど、そう答えたら俺を選んでくれる?」  どうしたってツカサは、カナタを【お客様扱い】する気がないらしい。  カナタが見上げた先にあったのは、嬉しそうに口角を上げている美丈夫の顔だ。 「えっと、食べ物でお願いしたいです」 「齧ってもいいよ?」  そう言うと、不意に。 「──どうぞ?」  ──ツカサは調理服の襟を下げ、首筋を露わにした。  カナタの心臓は、バクバクと痛いほどに高鳴り始める。  しかも、動揺しているのはアプローチをされたカナタだけではない。  周りの女性客すらも、大きな歓声を上げていた。 「うわ~っ、大胆だな~っ」  ついにリンは手で顔を隠すという小細工すらをもやめて、心底楽しそうに声を弾ませている。  ──これでは、コンセプトカフェどころではない。  ──完全に、いかがわしい店だ。  どうやらカナタが感じていた以上に、ツカサはカナタと離れていた時間が耐え難かったらしい。  普段も相当ではあるが、今はその【普段】以上に直接的なアピール方法だ。  堪らず、カナタはツカサから顔を背けた。 「あれ? 俺じゃ不服?」 「そういうわけじゃ、ないですけど。ご飯が食べたい、ので」 「不服ではないんだ? なんだか照れくさいなぁ」  悪意が全くないからといって、善意とは限らない。  揶揄われているのか、はたまた本気なのか……。  ツカサの真意が分からないまま、カナタはもう一度メニュー表に目を向けた。

ともだちにシェアしよう!