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ツカサが落ち込んだとしても、カナタにはどうしようもできない。
好きな人の要望を叶えてあげられない、不甲斐なさ。
素直に甘えてくれた恋人に対する、小さなときめき。
どこか正反対な感情を抱きつつ、カナタはツカサにスプーンを手渡そうとする。
ツカサは落ち込んだ様子ではあるが、カナタのことを誰よりも理解している男だ。
「まぁ、カナちゃんがココで『あーん』してくれるワケないかぁ。分かってはいたけど、ヤッパリ残念だなぁ」
九割以上ほどの割合で、カナタが期待通りに動いてはくれないと分かっていたらしい。
しかしその可能性が十割ではないのなら、ツカサはトライする。
……そんなツカサのチャレンジ精神を、頭の片隅で『カッコいい』と思ってしまうのだから、やはり恋とは厄介だ。
ツカサは落胆しつつ、カナタが持つスプーンに手を伸ばす。
なんだかんだと、ツカサは物分かりが良くなったのかもしれない。
少し前までのツカサならば、あの手この手で自分が好ましいと思う展開へ、カナタを誘導したというのに。
素直にスプーンを受け取ろうとしてくれたツカサに、カナタはホッと安堵する。
──しかし、その【安堵】は僅か一瞬のもの。
「……え、っ」
ツカサは伸ばした手で、カナタが持つスプーンを握る。
──スプーンを持つ、カナタの手ごと。
カナタが動揺している様子に気付いていながら、ツカサは全く意に介さない。
カナタの手を握ったまま、ツカサはスプーンでオムライスを掬う。
「あの、これは……っ」
カナタが慌てふためくも、ツカサはやはり気にも留めない。
掬ったオムライスを、パクリと口に含む。
そのままツカサは、満足そうに口角を上げた。
「……ウン、さすが俺。上出来、上出来っ」
「あ、の……っ」
「あははっ! カナちゃんのほっぺ、赤くなって可愛いねっ!」
ツカサの手が離れると同時に、カナタはそっぽを向く。
視界の端では、リンが両手を合わせて合掌の姿勢をとっていた。
リンの行動の意味は分からないが、なぜだかそれがまた、余計に恥ずかしい。
カナタは黙々と、オムライスを食べ始める。
「間接キスだね、カナちゃん」
「ツカサさんは、意地が悪いです。……恥ずかしい、です」
「俺としては、いつまで経ってもよそよそしいカナちゃんが見られて『眼福』って気分だよ。今日も可愛いね。そして、明日も絶対に可愛いよ」
「ヤッパリ、意地が悪いです……」
ただ、昼食のために客として来ただけ。
それなのにどうして自分は、恋人に蕩けてしまいそうなほど甘やかされ、そして口説かれているのだろう。
世の恋人というものは全て、こういったコミュニケーションを日常的に取るのだろうか。もしもそうなのだとしたら、カナタは恋人たちに訊きたい。
どうすれば、こういった触れ合いに慣れることができるのか。……と。
風邪をひいているわけでもないのに、頬や体が熱くて仕方がない。
「スプーンが羨ましいなぁ。俺もカナちゃんの口に入りたいし、舐められたいし、齧られたい。……ねぇ、カナちゃん。俺の指でオムライスを食べない?」
「それは、あの。……マナーが悪い、です」
「え~っ? スプーンにばかりかまけるなんて酷いよ、カナちゃん。代わりとして使ってくれないなら、いっそのこと俺の指を咥えてくれない?」
「人前で言われると……そのっ、困ります、ツカサさん……っ」
世の恋人たちに、是非とも訊きたい。
こうした時、恋人たちはどういったアクションを起こすのか。
ただただ頬を赤らめることしかできないカナタはいっそ、最も近くにいる恋愛の先輩──マスターに訊いてみようか。
一瞬だけそう考えてしまったという事実に、カナタは自分が思っている以上にてんやわんやしているらしい、と。
スプーンを齧りながら、ようやく気付いた。
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