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 なんとかオムライスを食べ終えたカナタは、すぐに立ち上がった。 「ごちそうさまでした」  立ち上がったカナタを見て、頬杖をついていたツカサは目を丸くする。 「あれっ、帰っちゃうの?」 「はい。今日は休みですし、長居するのも良くないかなって」 「そんなことないのになぁ……」  帰る準備を始めたカナタを見て、ツカサは至極残念そうに落ち込んだ。  正直なことを言うのなら、カナタとてツカサとは離れたくない。  けれど、あまりここに留まってしまうと……。 「……」  厨房の奥から注がれる、鋭い眼差しの持ち主。  ……マスターの胃に、穴が開いてしまうかもしれないのだ。  なによりもカナタは、せっかくマスターがくれた【善意】を、無駄にはしたくなかった。  カナタがこのまま店内に残るという行為は、ツカサが前回過ごした休日の二の舞になってしまうのだ。 「仕事、頑張ってください」 「……うんっ」  ツカサは相変わらず、残念そうな表情を浮かべている。  しかしカナタからの激励を受けて、笑みをこぼさないはずがない。  ツカサは微笑みを浮かべつつ、立ち上がる。 「あっ、会計はしなくていいからね。俺が出すから」 「いえ、そういうわけにはいかないです。オレが頼んだものですし、オレが食べたものです。自分で払うのが当然ですから」 「いいから、いいから。俺の好きにさせて?」  そう言い、ツカサはカナタの背をトンと押した。 「──また、夜に」  カナタの思考を溶かすように、ツカサは甘い声色と共に笑顔を浮かべる。  交際を始めて、一日や二日ではない。  ましてやカナタは、ツカサの顔を毎日見ている。  だというのに、カナタは一向にツカサの笑顔へ耐性を付けられない。  赤面しつつ、カナタはレジへ向かおうとした。  しかし、ツカサが通せんぼをするように立ちはだかる。 「……えっと、その。……失礼、します」 「うんっ。またね、カナちゃんっ」  結局、カナタはツカサに勝てない。  ツカサは笑顔で手を振りながら、カナタを見送る。  カナタもツカサに向けて、小さく手を振った。  店の外へ出ると、ポカポカと温まった頬に風が心地いい。  カナタはポケットの中に手を突っ込み、家の鍵を取り出す。  店のすぐ隣にある家の前で、カナタは立ち止まった。  それから玄関扉の鍵穴に、鍵を差し込む。 「……あれっ?」  しかし、感触がおかしい。  ──鍵が、開いているのだ。  カナタは間違いなく、確かに鍵を閉めたはず。けれど、鍵は開いている。  カナタは恐る恐る、玄関扉を開けて中へ入った。  慎重な足取りで中を進むが、人の気配はしない。  一通り全ての部屋を確認してみたが、荒らされた形跡もなかった。 「単純に、鍵を閉め忘れた。……の、かな?」  そう呟き、カナタは落ち込む。  喫茶店へ向かう前のカナタは、頭の中がツカサでいっぱいだった。  それが結果として、防犯意識を薄れさせていたとは。……そう思い、カナタは猛省した。  落ち込みつつ、カナタは手を洗い、うがいも済ませる。  そして、その後……。 「なにしようかなぁ……っ?」  カナタは自室で、振り出しに戻っていた。  ベッドに寝転がりながらそう呟き、カナタは天井を見上げる。  考えるのは、カナタが持たない【趣味】について。  こういった、一人きりの時間で。  果たして周りの人間は、どういったことをして一日を充実させるのか。  カナタに思いつくありきたりな趣味と言えば、読書や映画鑑賞。  中には、アウトドア活動もあるかもしれない。  ……だがそれは、ツカサの許可を得ないと外出できないカナタにとって、ひとまず除外すべき対象だ。  カナタは寝返りを打ち、そっと瞳を閉じる。 「……オムライス、美味しかったなぁ」  ぼんやりと、ツカサのことを考えてみた。  しかしよくよく考えてみると、カナタはツカサの趣味も知らない。  家事をしてくれているが、それはツカサの【趣味】なのだろうか。  そんなことを考えていると、カナタは少しずつウトウトと意識を手放していった。

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