162 / 289
9 : 11
「……んっ?」
ゆっくりと、カナタは目を覚ます。
ぼんやりとする頭で周りを眺めて、カナタはすぐさま我に返る。
──いつの間にか、寝ていたらしい。
──しかも、時刻は夕方だ。
喫茶店の閉店時間までは、約二時間。
カナタはむくりと、上体を起こす。
すると、前髪からヘアピンが滑り落ちた。
「付けたまま寝ちゃった……」
落ちてきたヘアピンを手にし、カナタは壊れていないかを確認する。
傷ひとつ付いていないことを確認した後、カナタは安堵しつつ、もう一度ヘアピンを付けた。
結局、特にこれといってなにをするでもなく、一日を終えそうだ。
またしてもカナタは、自分の無趣味さ加減に落ち込む。
ベッドから降りたカナタは、そのまま食卓テーブルが置いてあるダイニングへと向かう。
冷蔵庫からお茶を取り出し、カナタはコップに注ぐ。
ちなみに、コップは可愛らしいウサギがデザインされたものだ。無論、ツカサからのプレゼントである。
麦茶が入っている容器を冷蔵庫の中に戻し、カナタは物思いに耽った。
ツカサたちが帰ってくるまで、二時間はある。
麦茶を飲みつつ、カナタはもう何度辿ったか分からない振り出しの思考へと戻った。
──さて、なにをしようか。
そう考えて、カナタはコップの中に注いだ麦茶を飲み干して……。
「──あっ」
ピコンと、唐突に閃いた。
* * *
夜になり、家の中に騒々しい音が響く。
それは、誰かの足音だ。
バタバタと慌ただしい足音は、真っ直ぐとカナタへ向かっている。
「──カナちゃんっ!」
足音の正体。
そして、カナタがいるダイニングの扉を開けたのは、疑う余地もなくツカサだ。
ツカサは満面の笑みを浮かべつつ、カナタがいるダイニングに姿を現した。
時刻は、閉店直後。
おそらく、片付けなどはマスターとリンに任せたのだろう。
……それにしても、どうしてカナタが【自室】ではなく【ダイニング】にいると分かったのか。
普段、カナタがダイニングにいるはずはない。
それなのに、ツカサは迷うことなくダイニングに走ってきたのだ。
本来ならば驚くべき展開なのだろうが、相手が【ツカサ】だと、妙に納得できてしまう。
「おかえりなさい、ツカサさん。仕事、お疲れ様です」
カナタはツカサを振り返り、笑みを浮かべた。
微笑むカナタに近寄り、ツカサも嬉しそうな笑みを浮かべ続ける。
「ただいま。そしてありがとう、カナちゃん。……って、なにをしているの?」
ツカサはむぎゅっとカナタを背後から抱き締めながら、カナタの手元を見た。
カナタの手には、なぜかおたまが握られている。
普段のカナタが、絶対に触らないものだ。
カナタはツカサを見上げて、照れくさそうにはにかむ。
「──晩ご飯を、作ってみました」
家事全般は、ツカサの仕事。
それは誰かが強要したわけでも頼んだわけでもなく、ツカサが自主的にやっていること。
カナタはおろか、マスターが手を出そうとするとツカサは嫌がる。
それほどまでに徹底した、カナタへの尽くしっぷり。
だからこそツカサは、カナタの返事に……。
「……ばん、ごはん……っ?」
紫色の瞳を、丸くした。
ともだちにシェアしよう!