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「……んっ?」  ゆっくりと、カナタは目を覚ます。  ぼんやりとする頭で周りを眺めて、カナタはすぐさま我に返る。  ──いつの間にか、寝ていたらしい。  ──しかも、時刻は夕方だ。  喫茶店の閉店時間までは、約二時間。  カナタはむくりと、上体を起こす。  すると、前髪からヘアピンが滑り落ちた。 「付けたまま寝ちゃった……」  落ちてきたヘアピンを手にし、カナタは壊れていないかを確認する。  傷ひとつ付いていないことを確認した後、カナタは安堵しつつ、もう一度ヘアピンを付けた。  結局、特にこれといってなにをするでもなく、一日を終えそうだ。  またしてもカナタは、自分の無趣味さ加減に落ち込む。  ベッドから降りたカナタは、そのまま食卓テーブルが置いてあるダイニングへと向かう。  冷蔵庫からお茶を取り出し、カナタはコップに注ぐ。  ちなみに、コップは可愛らしいウサギがデザインされたものだ。無論、ツカサからのプレゼントである。  麦茶が入っている容器を冷蔵庫の中に戻し、カナタは物思いに耽った。  ツカサたちが帰ってくるまで、二時間はある。  麦茶を飲みつつ、カナタはもう何度辿ったか分からない振り出しの思考へと戻った。  ──さて、なにをしようか。  そう考えて、カナタはコップの中に注いだ麦茶を飲み干して……。 「──あっ」  ピコンと、唐突に閃いた。  * * *  夜になり、家の中に騒々しい音が響く。  それは、誰かの足音だ。  バタバタと慌ただしい足音は、真っ直ぐとカナタへ向かっている。 「──カナちゃんっ!」  足音の正体。  そして、カナタがいるダイニングの扉を開けたのは、疑う余地もなくツカサだ。  ツカサは満面の笑みを浮かべつつ、カナタがいるダイニングに姿を現した。  時刻は、閉店直後。  おそらく、片付けなどはマスターとリンに任せたのだろう。  ……それにしても、どうしてカナタが【自室】ではなく【ダイニング】にいると分かったのか。  普段、カナタがダイニングにいるはずはない。  それなのに、ツカサは迷うことなくダイニングに走ってきたのだ。  本来ならば驚くべき展開なのだろうが、相手が【ツカサ】だと、妙に納得できてしまう。 「おかえりなさい、ツカサさん。仕事、お疲れ様です」  カナタはツカサを振り返り、笑みを浮かべた。  微笑むカナタに近寄り、ツカサも嬉しそうな笑みを浮かべ続ける。 「ただいま。そしてありがとう、カナちゃん。……って、なにをしているの?」  ツカサはむぎゅっとカナタを背後から抱き締めながら、カナタの手元を見た。  カナタの手には、なぜかおたまが握られている。  普段のカナタが、絶対に触らないものだ。  カナタはツカサを見上げて、照れくさそうにはにかむ。 「──晩ご飯を、作ってみました」  家事全般は、ツカサの仕事。  それは誰かが強要したわけでも頼んだわけでもなく、ツカサが自主的にやっていること。  カナタはおろか、マスターが手を出そうとするとツカサは嫌がる。  それほどまでに徹底した、カナタへの尽くしっぷり。  だからこそツカサは、カナタの返事に……。 「……ばん、ごはん……っ?」  紫色の瞳を、丸くした。

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