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ふと、カナタは思い出す。
ツカサが以前語っていた、過去のことを。
起こった出来事全てを聴いたわけではないが、それでもツカサの家庭環境は複雑だった。
父親はおらず、母親からはまともな愛情を受けていない。
挙句の果てには、母親からの性的虐待。
しかし、カナタは今のツカサを見て、ほんの少しだけ嬉しく思った。
てっきり、ツカサは【家族】というものに関心を抱いていないのかと。
むしろ【家族】というワードを嫌っているのかとさえ、思っていたのだ。
だが、今のツカサはカナタの想像とは格段にかけ離れていた。
「おかしな話だよね、カナちゃん。俺はカナちゃんのことで知らないことがあったら、それだけで気が狂いそうなのに。こうして料理をしてくれていたなんて知らなかったから、本当なら落ち込むとか悲しむとか……そういう気持ちになるはずなのにさ。……なんでか、今は凄く嬉しくて、幸せなんだ」
とても満ち足りたような声色で、カナタに語りかけている。
「ズルいよ、カナちゃん。カナちゃんも俺と同じ目に遭ってくれたら、少しは俺のことが分かってくれると思ったのに……。こんなに喜ばせるなんて、カナちゃんはズルい。ズルくて、だけど愛おしくて堪らないよ……っ」
きっとその感情は、ツカサにとっても予想外だったのだろう。
まるで感情を持て余しているかのような言い方に、カナタの胸はまたしても締め付けられた。
カナタはおたまを持っていない方の手をそっと、ツカサへと伸ばす。
そのまま、ツカサの頭を優しく撫でた。
「本当に、お疲れ様でした」
「……ウン、ありがと。凄く、嬉しい」
ツカサは嬉しそうに、カナタへと擦り寄る。
そして、ふと。
「……あ、れ? 待って、あれっ?」
ツカサが突然、声のトーンを落とした。
「ねぇ、カナちゃん。もしかしてだけどこのカレーって、マスターにも食べさせるつもり?」
「えっ? はい、そのつもりです、けど……? もしかしてマスターさんって、カレーが苦手だったりしましたか?」
訊ねてから、カナタは今までの食事風景を思い返す。
「……あっ、でも。前にツカサさんが作ってくれたカレーを、マスターさんは嬉しそうにおかわりしていたような……?」
「あの人は【好きな食べ物四天王】に入れるくらい、カレーが好きだよ。ちなみに残りみっつも、子供みたいなメニュー。単純すぎて笑えるよ」
「それはさすがに知りませんでした。だけど、それなら良かったです」
好みを知らずに作ったのは、軽率だった。
ほんの少しだけ反省しつつも、カナタは胸を撫で下ろす。
だがなぜか、カナタの体に回されたツカサの腕の力が、強くなる。
「なにを言っているの、カナちゃん。そんなの、全然良くないよ……っ」
腕の力は、少し苦しいくらいだ。
「──なんで他人なんかに、カナちゃんの手料理を食べさせなくちゃいけないの」
声のトーンは、完全に暗いものとなっている。
そしてその声は、ツカサのテンションと同様に、低いものだ。
「俺だって今日初めて【カナちゃんの手料理】を食べるのに、それがマスターと同じタイミング? なにそれ、全然笑えないよ。ありえないでしょ、常識的に考えて」
常識的に考えるのならば、ツカサの拗ね方は斜め上だろう。
しかし、ツカサを【常識】や【普通】といった尺度に当てはめることはできない。
そんなことを疾うの前から知っているカナタは、慌ててツカサの機嫌を取り始めた。
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