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 カナタは慌てて、ワシャワシャとツカサの頭を撫でる。  内心で軽いパニックを起こしているカナタに気付いてか、気付かずか。 「……ねぇ、カナちゃん。俺にだけ、なにか特別なことしてよ」  ツカサはカナタの心にできてしまった隙間に、迷うことなく踏み込んだ。 「じゃないと俺は、マスターがカレーを見たくなくなるくらいの【悪いこと】をしなくちゃいけなくなる。……それはダメだよね、カナちゃん?」  カナタの心の隙間に入り込んだその足先は、狭い狭い隙間を強引にこじ開けるようで。  すぐにカナタは、ツカサの思惑から逃げられなくなる。 「それは少し、怖い……です」 「だよね? カナちゃんは俺が【怖いこと】をするのはイヤだよね?」 「は、はい……っ」 「でしょ? だから、ねっ?」  ツカサは満足そうに、ニコリと微笑む。  カナタは眉を寄せて、自分になにができるかと考え始める。  これがオムライスだったならば、ツカサの分にだけケチャップで絵や文字を施すことができた。  しかしカレーでは、そうもいかない。  かろうじてカナタにもできそうなことと言えば、ライスをハートの形に盛る程度。苦し紛れではある。  だが『なにも思いつきませんでした』と言うよりは、断然マシだろう。  カナタはすぐに、ツカサへライスの盛り方を提案しようとした。  ──だが。 「──そうだ! ねぇ、カナちゃん? 俺のカレーには『美味しくなぁれ』って魔法をかけてよ!」  先に口を開いたのは、ツカサだった。  これは俗に言う【愛込め】だ。  ツカサなりの冗談かとも思うが、その笑顔は本気らしい。  これはつい数時間前、ツカサがカナタに対して実際にやろうとしていたことだ。  まさかこんな形で伏線を回収するとは思っておらず、カナタは動揺する。  だが、ツカサはニコニコと嬉しそうに笑っている。  大好きな恋人の笑顔を、カナタは曇らせたくなかった。  たとえそのために、やったことのない恥ずかしい行為を要求されたとしても……。 「えっと、それじゃ……後で、やります」 「やった! 約束だよ、カナちゃんっ!」 「は、はい。約束、です」  ツカサはパッと笑みを浮かべて、カナタの頬に触れる程度のキスを落とす。  それからすぐに、ツカサはカナタから離れた。 「じゃあ俺、部屋で着替えてくるね。……ヤケドとかしないように気を付けてね?」 「分かりました。でも、大丈夫ですよ。オレ、そんなにドジじゃないですから」 「ドジなカナちゃんも可愛いけどね」 「……っ」  ふいっと、カナタはツカサから顔を背ける。  先ほどまで『ズルい』と、ツカサはカナタに言っていた。  しかしカナタからすると、ツカサの方が断然【ズルい男】に感じられる。  ダイニングからツカサが離れると、まるで入れ替わるかのように別の男が入ってきた。 「ふえぇぇ……っ。ワシはもう、へっとへとじゃぞぉお……っ」  フラフラと覚束ない足取りで歩いているのは、マスターだ。  いつもはシャンとしている背が、悲しいほどに丸まっている。  カナタはカレーをかき混ぜつつ、マスターを振り返った。 「あっ、マスターさん。おかえりなさい。……大丈夫ですか?」  冷蔵庫に向かうマスターは、やつれたような顔をしてカナタを振り返る。  なにがあったのかは正直、訊かなくても分かった。  それでも、カナタはマスターに訊ねる。  ……どことなく、マスターが訊いてほしそうにしているからだ。

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