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10章【そんなに他人を拒絶しないで】 1

 その日、カナタは戸惑っていた。 「──ねぇ、アンタ。この店のコーヒーはどこの店の豆を使っているのか、教えてくれないかい?」  女性客に、今まで受けたこともないような質問をされているからだ。  しかも、質問はこれだけではない。  ひとつ目は『ここの店は最低賃金をきちんと超えているか』と訊かれた。  ふたつ目に『この店は営業を始めて何年目か』と訊かれ、その次には『この店で出している紅茶の茶葉はどこ産か』と訊かれ……。  そしてコーヒーについてが、最新の質問だ。  だが、カナタが戸惑っているのは【質問】に対してだけではない。 「えっと、うちの店で扱っているコーヒー豆についてですが……」  そう、カナタが答えようとすると……。 「──あぁ、それ以上はいいよ。分かっているならいいからね」  なぜか女性客はそう言い、一人で納得してしまうのだ。  カナタは今まで、アルバイトという経験をしたことがない。だからこそカナタは、ちらりと聞いたことがある噂話を思い出すまでに、時間がかかった。  飲食店では時々、こうして抜き打ちテストのように【店員の教育が行き届いているか】を確認されることがある。この女性客はおそらく、そういったことを目的とした人なのだろう。そう、カナタは推察した。  ……個人経営にも、そうした【覆面調査】が来るとは考え難いが。  女性客はパタンとメニュー表を閉じ、満足そうに一度だけ、妙に重々しい頷きをする。  見た目から想像するに、おそらくこの女性客は三十代後半辺りの年齢だろう。  美人で、堂々としているがゆえに、隙がない。  この落ち着きが、見た目以上にこの女性客を年上に見せているのかもしれなかった。 「それじゃあ、ホットサンドをお願いしようかね。それと、コーヒーも一緒にお願いするよ。とびきり苦くしておくれ」  喋り方が、どことなく古風なような、堅苦しいような……。カナタは未だに、目の前にいる女性客に対して戸惑っている。  しかし、これでもカナタは接客によって対人スキルを強制的に磨いてきたのだ。 「かしこまりました。少々お待ちください」  営業スマイルを浮かべて対応するくらいは、なんてことない。……その笑顔は、相変わらずどことなくぎこちないが。  カナタは女性客に頭を下げた後、すぐに厨房へ向かった。 「マスターさん、すみません。新しい注文票、ここに置いておきますね」 「おぉ、合点承知の助じゃい!」  時刻は、昼時。飲食店が慌ただしくも騒がしい時間帯だ。  厨房で作業をするツカサも、今だけはカナタを注視していられない。 「カナちゃん、どうして? どうして俺じゃなくて、マスターに頼みごとをするの? いつだって真っ先に俺を頼って、誰よりも先に俺に声をかけてよ」  ……わけでも、なさそうだが。  手を動かしながらカナタを振り返るツカサに、カナタはてくてくと近寄る。 「ツカサさん。よそ見をしたら、その……危ない、ですよ?」 「それはカナちゃんから目を逸らすなって意味?」 「オレから? ……あっ、いやっ、違いますよっ? 料理中に、という意味です……っ!」 「あはっ! 心配してくれてありがとう、カナちゃんっ。だけど俺、このくらいじゃケガとかしないよ? まぁ、ケガをしたらカナちゃんが俺から離れないでいてくれるって言うなら、指を欠損するくらいなんてことないけどさ」  多忙でも、相変わらずツカサはツカサらしい。  そんな様子にどことなく穏やかな感情を抱いてしまうくらいには、カナタはツカサの言動に慣れてきたのかもしれない。 「でも、嬉しいな。今日は『隣に来て』って呼ばなくても、カナちゃんの方から俺に近寄ってくれたなんてさ」  そう言って微笑むツカサから、カナタはすぐに距離を取ってしまった。  やはりまだ、ツカサの言動に対して【慣れ】はきていないらしい。  その証拠に、カナタの頬はポカポカと温まってしまっているのだから。

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