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 一風変わった女性客が、退店しようとしていた。  カナタはすぐにレジへ移動し、女性客に接客をする。 「ありがとうございました」 「はい、どうも」  女性客はサッとカードを取り出し、会計を済ませようとした。  すぐにカナタは、眉尻を下げてしまう。 「申し訳ございません。当店、カード払いに対応していなくて……」 「あぁ、そうだったね。悪いね、間違えたよ」  まるで、試されているかのような気分だ。  女性客はカードをしまい、きちんと現金で会計を済ませる。 「慌てずに対応して、なかなか立派じゃないか。これからも頑張りなよ」 「あっ、は、はい! ありがとうございます!」  女性客の正体は、依然として分からなかった。だが、褒められると悪い気はしない。  相手がただの客であろうが、なかろうが……ツカサのおかげでここまで働けるようになったカナタとしては、今の賛辞は嬉しい。  女性客が財布を鞄にしまい、そのままカナタに背を向けようとする。  ……その直後。 「あぁ、そうだ。カガミの坊や」  女性客は一度、言葉を区切った。  その後、女性客はカナタを振り返る。 「──アンタが休みだった日、戸締りはちゃんとされていたよ」  そんな、不思議な言葉を付け足して。  カナタが言葉の意味を理解するよりも早く、女性客は店から出て行ってしまった。 「……あっ、ありがとうございましたっ!」  カナタはペコリと頭を下げて、女性客にテンプレートの挨拶を送る。  顔を上げた後、カナタは小首を傾げた。 「どういう意味、だろう?」  しかし、カナタはすぐに意識を別の方向へと向ける。 「カナタ君! ちょっとこっち来て~っ!」 「あっ、うん! 今行くね!」  慌ただしさは、まだ終わっていない。  リンからヘルプを求められたカナタは、慌てて仕事に没頭した。  * * *  時間は流れ、仕事終わり。 「カナちゃん、先に戻っていいよ」  店内の片付けをほとんど終えた頃、ツカサがそう言い出した。 「後は俺たちでどうにかできるし、今日は結構疲れたでしょう? 先に着替えてきていいよ」 「いえ、ちゃんと最後までやりますよ。疲れているのは、皆も同じだと思いますし……」 「カナちゃんは優しいね。俺はともかく、ソイツ等は働かせておけばいいんだって。賃金と労働が見合わないでしょう?」 「──なんじゃとこのクソッたれイケメン!」 「──酷いですよこの煌めくイケメンさん!」  ギャンと喚くマスターとリンを振り返らずに、ツカサは笑みを浮かべる。 「ホラ、おバカ二人組は元気そう。だから、カナちゃんは先に帰っていてよ」 「うぅん……っ?」  心配をされるのは、当然嬉しい。等身大の本音を晒すと、そんな感想が最初に出てくる。  だが、それでも片付けをするのは従業員として当然のことだ。真面目なカナタの性格的に、ツカサの提案に乗ることはできない。  ……だが、妙に今日のツカサは強情だ。 「今日はさ、ちょっと虫の居所が悪いんだよね」  そう切り出し、ツカサはニコリと笑みを浮かべた。 「片方のバカは突然『もう嫌じゃ! 嫁不足で死んでしまう!』ってキッチンで喚き始めるし」 「ドキリッ!」 「もう片方のバカは忙しさがピークの時に、付き合いたてっぽいカップルのお客様の会話に夢中でカナちゃんのアシストを失念していたし」 「ドキーッ!」 「だから、ねっ? カナちゃんは帰っていいんだよ」  ようやく、カナタは理解する。 「そ、それでは、あの……っ。お、お先に、失礼します……っ」  ツカサはどうやら、マスターとリンに説教をしたいらしい。  だが、カナタの前で【怖いこと】をしたくないツカサとしては、カナタがいると優しい男でいなくてはならない。  ゆえに、カナタを帰す。……そう、カナタはようやく理解したのであった。

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