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ツカサの名誉を守るため、カナタは渋々帰宅する。
優しいような、横暴なような……。そんなツカサのことが好きなのだから仕方がないカナタは妙に微笑ましい気持ちを抱きつつ、玄関扉に鍵を差し込んだ。
そこで、またしても違和感に気付く。
「……あれっ? 鍵、が……っ?」
──鍵が、開いているのだ。
それは以前、カナタが休日をもらった日と同じ。開いているはずのない鍵が、開錠されているのだ。
言葉にはできない焦燥感と、恐怖。カナタは慌てて、仕事場に戻ろうかと逡巡する。
しかし、カナタとて男だ。ここで『ツカサさん、助けてください』と言うのは、憚られる。
ゆえに、カナタは扉を開けることにした。
もし万が一、不審者がいたとして。そのことに気付いてから報告しに行っても、きっと大丈夫だろう。そう思ったカナタは玄関に置いてある傘を一本だけ掴み、そのまま廊下を歩き始める。
しかしまたしても、妙な違和感がカナタの胸をさざめかせた。
「……ん?」
眉を寄せて、鼻をスンと一度だけ鳴らす。廊下に広がる【違和感】を、確かなものにするためだ。
──匂いが、する。料理のだ。
この家で料理を担当しているのは、ツカサだけ。マスターの手料理をカナタは食べたことがないし、当然今日、カナタは料理をしていない。
……ちなみにマスターの名誉のために言うと、マスターが家事をしないわけではなかった。マスターが家事をすると、ツカサが笑みを浮かべたまま猛烈に嫌がらせをするのだ。無論、理由は【カナちゃんに尽くしていいのは俺だけ】である。
以上の点を踏まえると、夕食の匂いが廊下にまで広がっている要因は、どう考えても【ツカサがいつの間にか料理を終えていた】以外にないのだ。
一先ず、違和感をひとつずつ払拭しようとカナタは考える。傘を握ったままのカナタは、そっとダイニングを覗き込んだ。
するとそこには、カナタが全く想定していなかった光景が広がっていた。
「──やぁ、おかえり。お仕事お疲れ様」
なぜか、そこには……。
──つい数時間前に接客した、謎の美女が立っていたのだ。
我が物顔で料理をしている女性は、足音を消していたカナタの接近にいち早く気付く。おたまを手にしたまま、笑みを浮かべて優雅に振り返るほどの余裕っぷりだ。
「えっ? あっ、あれっ? あなたは、お客様……えっ? あれっ?」
傘を両手で握り、カナタはどうしようもないほど狼狽してしまう。
そんなカナタを見て、女性客は腰に手を当てながら頬を膨らませた。
「なんだい、失礼しちゃうね。鳩が散弾銃で翼を撃ち抜かれて空を飛べなくなったような顔をして」
「それは、あの……どんな顔、でしょうか?」
「今のアンタの顔だよ」
自分は今、そんな奇妙な状況に瀕した顔をしているのか。思わずカナタは、そんなことを考える。
狼狽えるカナタを認識した女性客は一度、持っていたおたまを鍋に中に突っ込んだ。
それから火を止めて、ダイニングの入り口で戸惑い続けるカナタに近付き始める。
「ところで、ツカサはどうしたんだい? それと、シグレも。アンタ一人だけ先に帰ってきて──あっ。もしかして今はアンタが料理当番をしている、とかかい?」
「いえ、オレは……っ」
「その化け物を見ているかのような目はどうにかならないのかい? 本当に失礼な子だね。いっそ、制裁を加えてやろうかねぇ」
女性客との距離が、徐々に縮まっていく。
握っている傘を、振り上げていいのか。……女性に対して、そんなことはできない。
しかしこの女性は、勝手に人の家に入り込み、あろうことか我が物顔で料理をしているのだ。カナタからすると、異常極まりない不審者だった。
だが。しかし。でも。……そんな言葉が、カナタの頭をグルグルと支配する。
その間にも距離を詰めてきた女性客が、ついにカナタへと手を伸ばした。
──瞬間。
「──うわっ!」
突然、何者かによって腕を引かれる。謎の女性客と、これ以上距離を縮めさせないために。
当然、そんなことをカナタにするのは一人しかいない。
カナタの腕を引いた、張本人……。
「──この子に触るな」
ツカサの静かな声が、背後から聞こえた。
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