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ようやく、ウメの首からツカサの手が離れる。
「あの人が病むことを気にしているのなら、道連れにでもしたらいい。そうすれば、なにもかもが万事解決だよ」
それだけ言うと、ツカサは腕を掴むカナタの手を握った。
「ごめん、カナちゃん。突き飛ばして、本当にごめん。……ケガはない?」
普段の、優しい目。……とは違い、その表情はどこか疲弊している様子だった。まるで、精神的負担を強いられたかのような顔だ。
カナタはすぐに笑みを浮かべて、なんとかツカサを安心させようとした。
「はい、大丈夫です。それに、オレよりもウメさんですよ。……ウメさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、平気平気! ツカサに首を絞められるなんて、もう慣れっこだからね!」
嫌な慣れだ。そんな言葉が、歯の裏側まで出かかる。
戸惑うカナタには目もくれず、ようやくウメは立ち上がり、ベッドから降りた。
「それじゃ、アタシは出て行くよ。あんまり居座ると、一人にされたシグレがピィピィ泣いちまうからね」
「あの人なら、ダイニングで麦茶片手に泣いていたよ」
「それを早く言いなっての! まったく、手のかかる男共だね!」
「誰を相手にしても全部お前の自業自得だろ」
ツカサの嫌味をものともせず、ウメは駆け足でカナタの部屋から立ち去る。……その動きはやはり、還暦を過ぎた女性のものとは思えなかった。
ウメの俊足にカナタが圧倒されている間に、ツカサは今の今までウメが座っていたところに手を当てる。
「体温が残ってる。……イヤだな、気持ち悪いな……」
ブツブツとそんなことを呟きながら、ツカサはまるでウメの体温を消すかのようにベッドの上をこすった。
「ごめんね、カナちゃん。変なところ、見せちゃって」
「いえ、それは……。オレがせめて、鍵を開けておけば良かっただけで……」
「違うよ。……俺が、変わらないとダメなんだ。それくらい、分かっているつもりだよ」
ウメが座っていたところに腰を下ろしたツカサは、そのまま項垂れる。
「そうじゃないと、カナちゃんに嫌われる……っ」
ツカサは、信じているのだ。カナタが、変わることを。
だからこそ、ツカサは分かっているのだ。このまま変われなければ、いつかカナタに置いて行かれると。
その言葉は、信頼の証だった。……しかし、先ほどウメに指摘された事実がある限り、カナタはツカサのことを責められない。
「大丈夫ですよ。ビックリしましたし、正直に言うと焦りましたけど……でも、嫌いになんかなっていません。オレは変わらず、ツカサさんが好きです」
この言葉は本心であり、ツカサにとってなによりも安心のできる言葉だ。
……だが、ずっとこのままではいられない。それを、カナタは分かっていた。
ツカサのことを抱き締めて、カナタは呟く。
「好きです。オレは、ツカサさんが大好きですよ」
──『だから』と。思わず、言葉が続きそうになった。
その先の言葉を、カナタは未だ上手に整えられていない。つい先ほど、ウメに気付かされたばかりだからだ。
しかしウメとの会話を知らないツカサからすると、カナタの言葉はどこまでも優しいものに聞こえてしまう。
「ありがとう、カナちゃん。……ごめんね」
だからこそ、このままではいられない。そう、カナタはようやく焦燥感のようなものを抱き始めた。
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