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 マスターに挨拶を終えた後、カナタはクーラーボックスを持ち上げようとした。 「んっ、しょ……っ? ……あれっ?」 「大丈夫? 重たくて持ち上がらないの?」  おかしな反応をするカナタを見て、ツカサが心配そうに眉を寄せる。  すぐに、カナタは首を横に振った。 「いえ、そういうわけでは。……むしろ、逆で」  そう言い、カナタは軽々とした様子でスッとクーラーボックスを持ち上げる。 「とても、軽いです。なんだか、なにも入っていない空っぽのクーラーボックスを持っているようで……?」 「……ふぅん」  一瞬。ツカサの眉が、ピクリと寄せられた。  しかしそれは、カナタが見落としてしまうほど僅かな一瞬だ。 「それじゃあ、それは持ってもらってもいいかな? 車は俺が開けるから、そこに積んじゃって」 「分かりました」  玄関扉を出て、二人は車が停めてあるカーポートへ移動する。  車の鍵を開けてから、ツカサはカナタの代わりにトランクを開けた。 「カナちゃんは助手席に座ってね。俺の隣じゃないとイヤだよ?」 「はい、分かりました」  クーラーボックスを置いてから、カナタは言われた通りに助手席へと向かう。  ……カナタが助手席へ向かったことを確認してから、ツカサは手早くクーラーボックスを開けた。 「……相変わらず、ウザい女」  中身に向かって呟かれた、ウメに対する悪態。それは当然、カナタの耳には届いていない。  すぐにクーラーボックスを閉めてから、ツカサはトランクも閉める。 「お待たせ。……それじゃあ、出発しようか」 「はいっ。お願いしますっ」  運転席に座ったツカサを見て、カナタはパッと笑みを浮かべた。  ……しかし、ツカサはなかなかエンジンをかけない。カナタは笑みを浮かべたまま、小首を傾げる。 「……ツカサさん?」 「よしっ。それじゃあ、はいっ」 「えっ? どうかしましたか?」 「えぇっ、酷いよっ。キス、してくれるんじゃなかったの?」  エンジンをかけない理由に、カナタはすぐさま気付く。冗談だと思い、終わったとすら思っていた話題が急浮上したからだ。 「まだかなぁ~っ、まだかなぁ~っ?」  完全に上機嫌そのものなツカサだが、このままカナタが動かないのならば車を動かしはしないのだろう。小さく左右に揺れるツカサを見て、カナタは動揺する。  だが、ここは腹を括るしかない。いくら車の中であろうと、ある意味では外であろうと……カナタは男らしく、バシッとキスを決め込むしかないのだ。 「ツカサさん。……しますので、止まってください」 「了解っ」  ピタッと動きを止めたツカサに、カナタは顔を寄せる。  そのまま、口角を上げたツカサの唇に、カナタはキスをした。……舌を入れるのはさすがに気恥ずかしかったのか、唇の表面をペロリと一舐めして。 「運転、よろしくお願いしますね?」 「うんっ!」  まるで、欲しかったオモチャを貰った子供のような無邪気さだ。刃物を持ってカナタを脅したことがある男とは思えない。  そんなところもまたギャップとして受け入れつつあるのだから、恋とはなんと盲目的で愚かなのか。カナタは恋心の複雑さに苦笑してしまいそうだった。

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