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 シリアスムードに気付いたのか、泣きべそをかいていたマスターがパッと素早く顔を上げた。 「ツカサ。……車を、使うのじゃな?」  カナタが思わず『初めて見たかもしれない』と感じてしまう、マスターの真剣すぎる表情。  マスターらしからぬ神妙な面持ちと、重たい声音。そうした雰囲気を放ちながら、マスターはツカサを呼んでいる。……これは非常に、珍しい状況だ。  いつも軽快で軽薄な態度を取っていても、やはりマスターにとってツカサは実の息子のように大切なのだろう。説明がなくても、ツカサがこれからなにをしようとしているのか分かっている様子だ。 「ウン、使うよ。お前が『ダメ』って言っても借りていくから」 「そんな野暮なことは言わんぞ。……ただ、ひとつだけ。お主に言わなくてはならないことがある」 「……なんだよ、改まって」  さすがのツカサも、マスターの態度に思うことや感じることがあったらしい。眉を一瞬だけ動かしたものの、茶化す様子も憤る態度も見せていないのだから。  マスターはテーブルに両肘をついて、そのまま両手を合わせる。口元の前で手を合わせた後、マスターはジッとツカサを見つめた。  ……そして。 「──車に、最後に乗った時。エンプティランプが点いていたから、ガソリンを満タンまで入れておいてくれんかのう?」 「──ならサイフを寄越しなよバカマスター」  やはり相変わらずなやり取りを、マスターとツカサは交わしたのであった。  * * *  なんだかんだで、午後からの休みをツカサはもぎ取ることに成功。その対価として、二人にしっかりと朝食を明け渡しもした。  カナタとツカサは午前から昼にかけての仕事をきちんとこなし、そして、今現在……。 「カナちゃん、着替え終わった?」  二人は身支度を終えて、ツカサの母親へ挨拶に向かおうとしていた。  カナタの部屋の扉をノックすると同時に、ツカサは問いかける。着替えをジャストタイミングで終えていたカナタは、あまりの間の良さに驚きつつ、扉を開けた。 「はい、着替えは終わりました。……だけどまだ、荷物の準備ができていなくて」  挨拶に行くとは決めていたが、日取りは昨晩決まったばかり。しかも、セックスの後だ。カナタには、準備をする時間がなかった。  慌てて準備を再開しようとすると、扉の前に立っていたツカサが不意に、カナタの手を掴んだ。 「カバンなんて要らないよ。むしろ、荷物なんてなくてもいいくらい。ホント、すぐに終わるからさ」  よく見ると、ツカサも手ぶらだった。荷物と呼べるものはきっと、免許証と車の鍵くらいだろう。  いくらツカサとツカサの母親が不仲であったとしても、さすがに礼節を欠くわけにはいかない。カナタはツカサの手をやんわりと振りほどきつつ、反論を始めた。 「だけどせめて、お土産だけでも──」 「そういうのも、大丈夫。だから、気にしないで?」 「……それは、ツカサさんがお母さんを嫌っているからですか?」 「ううん、違うよ。そういう私情は、一切抜き」  意味が、分からない。カナタは思わず、眉間に皺を寄せてしまった。  不可解そうなカナタを見つめて、ツカサは小さく笑う。 「すぐに、俺の言っている言葉の意味が分かるよ。だから、そんなに不安そうな顔をしなくて大丈夫だよ、カナちゃん」  安心させるためか、純粋に誤魔化すためか。  カナタの頭を撫でるツカサの手は、いつも以上に優しかった。

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