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③ : 3
ドタバタとはしているが、ほぼ日常となってしまった慌ただしい業務を終えて。
「──うぅっ、ウメェ~っ。早く帰ってきておくれぇ~っ」
絶賛、マスターはいじけていた。
厨房の掃除をしながらシクシクと泣いているマスターに、カナタは声をかけられない。リンと共に、ホールの掃除を続行するしかなかった。
……なぜなら。
「いいかっ、ツカサ! 新婚気分なんて今しか味わえんからなっ! これは経験者が語るマジの実話じゃぞっ! ……べっ、別にっ! お主たちを心配して言っているとかっ、そっ、そんなんじゃないんじゃからなっ!」
「はぁっ。マスターはまだそんなことを言っているの?」
「お言葉を返すようで恐縮じゃが、たぶんじゃけどワシ、今初めて言ったぞ」
ツカサが未だに、マスターをいじめているからだ。
「俺こそ言葉を返させてもらうけど、俺とカナちゃんの愛は不滅だよ。確かに【新婚】っていうステータスは今だけだろうけど、その後の夫婦関係がどうなるとかは完全に本人たちの問題じゃん。ステータスは関係ない。……つまり、お前とウメの結婚生活が冷え切っているのはお前たち自身に問題が──」
「──冷えてなんかないもんッ! ワシらはラブラブじゃもん~ッ!」
今日もツカサは、絶好調。ゆえに厨房へ入れば最後、カナタもリンもツカサの餌食になる。……今日も仕事そっちのけでカップルの客と談笑をしていたリンは、特に。
「なんかさ、ウメさんが旅行に行ってから荒れてるよね」
「……マスターさんが、だよね?」
「うん」
カナタとツカサが入籍をした、その翌日。ウメは書き置き一枚を残して、いつまでか分からない旅行に出掛けてしまった。
相談すら受けていなかったマスターは、ガガンと驚愕。書き置きを握り締めながら、寝起きのカナタに猛烈なタックルと大差ないハグを送って号泣したくらいだ。……当然、マスターはツカサの手によって危うく刺身になりかけたが。
マスターからすると、ドヨンと寂しい日々ではあるだろう。妻であるウメに熱烈な愛情を向けているのだから、なおさらだ。
だが、ツカサからすると……。
「ほら、泣いてないで手を動かす。あんな女でも一応、パート一人分は働いていたんだよ? この店の店長なら、パート五人分は働いてみなよ」
「うぅぅっ! ウメェ~っ!」
「普段以上に不快な鳴き声だね。いっそその喉、声が出せないようにキュッと締めちゃおっか?」
「どことなく無邪気な字面なのに邪気しか感じないのじゃがッ!」
実はこう見えて、ツカサはかなり上機嫌であったりする。なんとも、あべこべな二人だ。
愛する妻は行き先も告げずに旅立ち、見せつけるようにイチャイチャと語らう新婚がいて……。マスターの心労は、計り知れないほどだろう。
「じゃあ僕、そろそろ帰るね?」
「うん、気を付けてね。お疲れ様」
「おつかれ~っ」
唯一の味方と言っても過言ではないリンはと言うと、恋愛ごとが絡まないのであれば基本的になんでもスルー。カナタに手を振り、マスターを見捨てて帰宅した。
しかし、いつまでもこうしてはいられない。ホールから出て行ったリンを見送った後、カナタは恐る恐る厨房へと向かった。
「あの、二人共? そろそろお店、閉めませんか?」
「そうだね、賛成。ついでにマスターも締めちゃおっか」
「お主まさか、ワシが『馬鹿者共』と言ったのをかなり根に持っておるな?」
「あっははっ! 自覚があるならどうして今もなお、俺をイラつかせているのかなぁ? ふふっ、変なマスターっ!」
「イケめいた笑顔が怖いッ!」
カナタを虐める相手は、絶対に許さないマン。ツカサはたった一言の失言すら、未来永劫根に持つだろう。
カナタはムッとし、さすがに少々度を越しているツカサを止めに入った。
「ツカサさん、駄目ですよ。マスターさんだってこんなに反省して──」
「『反省』? だってコイツ、一回も俺たちに謝ってくれてないよ? 普通、許すかどうかは『ごめんなさい』の後に考えるものじゃない? ……俺、間違ってるかな、カナちゃん?」
「……。……マスターさん、ツカサさんに『ごめんなさい』は?」
「カナタっ? カナタっ、なぜじゃっ!」
だがやはり、ツカサの方が一枚上手。
すぐさまマスターを窘める姿勢に入ったカナタを見て、マスターはようやく『ごめんなさい』を口にしたのであった。
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