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Q7-1

and side:idol:start for home 【──アンドさんにとって、サントラップセプテット、というグループはどんな場所ですか?  アンド「そうですね……(数秒、沈黙)。俺にとってサンセプは……家族、です。一番大事な人が集まった、温かい場所です。家、みたいに、思っています」】 「言葉にするのも難しいけど、文字にされると詰まりながら言ってるみたいだなぁ」  自分のインタビュー記事を見て、アンドは息を吐く。  自分では言葉を選びながら、自分が思っていることに近い言葉を口にしたつもりだったが、こうして忠実に文字にされてしまうと、些か受ける印象が個人によって違うだろう。アンドの気持ちを汲み取ってくれる人もいれば、嘘っぽいと思う人もいるかもしれない。その差が、評価に反映されてしまうから、少し心苦しい。記者に悪意はないだろうが……。 「難しいな」 「──なにが難しいの、アンド?」  ぴょこん、と効果音がつきそうな身軽さで隣にやって来たコアが手元を覗き込んでくる。 「あ、ごめん、休憩もう終わり?」 「ううん。まだあと十分もあるよ。おれは、早く体動かしたいけど、休憩も大事な練習ってキュウに言われたから、アンドのところに来た。アンドは休憩するのがうまい、って」 「そうキュウが言ってたの?」 「うん」  素直に頷き、雑誌をアンドから奪って記事を読み出すコア。  今日は、ダンスレッスンの日だった。デビューしてから仕事も順調で、人気も着実に出てきている。次の出方に各方面から期待がかけられる中、練習が主な一日で、朝から数時間、これまで出してきた楽曲の振り確認をし、二十分の休憩が指示されたところなのである。  ちなみに、休憩を“指示”というのは、デビュー直後、緊張や期待、プレッシャーなどからグループは極度の“練習していなければ落ち着かない”という体を酷使していることに気付きもしないで練習し続ける事態になってしまい、貴重な舞台を降りなければならないのではないか、というところまで自分達で追いやってしまった経験がある。一度は周囲の協力もあり立て直したものの、プレッシャーとはいつでも戦わなければならず、いつまた同じような無限ループに入ってしまうとも限らない為、こうした練習日には必ず休憩する時間を入れるよう、マネージャーの立花が打ち出してくれた。無論、練習したら休憩するというのは普通であり常識でさえあるのだが、それが指示であると認識するだけで、人は休まなければならないのだと思うようになる。つまり義務感が生まれるのだ。  それはグループ内にいい習慣を(もたら)した。仕事に追われても疲れたと口にできるようになったし、休憩があることで互いの些細な変化が分かり、仕事以外の会話も増えてきた。  そうしてさらに生まれる円滑な活動力に、休憩することの大切さを知り、みんなが休憩に積極的になるので、今のところ効果は絶大である。  そんな中、アンドは少々仕事から離れることができていない自分の行動に気付くが、ふむふむと時折頷くコアから雑誌を奪い返すことはできないので感想を待つ。 「なるほどなぁ。アンドはこう思ってるんだ」 「うん。でも……なかなか難しいなって」 「なにが難しいんだよー?」  早く答えてくれと、コアが唇を尖らす。  その様子を微笑ましく見ながら、アンドは正直に思っていることを吐露した。  それを聞いたコアは、更に首の角度を斜めにし、雑誌に視線を落とす。 「そうかな? おれには、ちゃんと伝わってるけど」 「でも、見る人によっては嘘っぽいとか、変な印象を抱かれるかもしれないだろ?」 「うーん」  唸り、ふっと顔を上げる。 「アンドは考えすぎだ」 「え?」 「たしかに、みんなによく見られたいよ。本当のおれを知ってほしい。でもそれは簡単じゃなくて……気にしてると、疲れる! 疲れたらできることもできなくなる。その方が、みんなに悪いと思うな」 「……」 「少しずつ、みんなに知ってもらえれば、明日には一人、アンドのことを知ってくれる人が増える。それを重ねていけば、もうたくさんの人がアンドのこと知ってるようになるんだよ。だからぁ、えっと」  にっこり、子供のような無邪気な笑顔を浮かべる。 「まずは、今日、おれがアンドのこと知ったよ」  言葉に、アンドは驚いてしまう。 「ね。誰も知らないわけじゃないよ」 「コア、」 「よっしゃ、じゃあ練習始めようぜー」  そう言って離れていくコアの背中を見つめて、アンドは気付いた。  ふと見えた耳が、淡くも赤く染まっていることに。 「……、……」  思わず、笑ってしまった。  落ち込んでいるアンドを励ましてくれたのだろうが、自身の言葉に照れてしまったのだ。  ──なんていい子なのだろう。  嬉しさから笑みが漏れてくる。  不意に感情が揺さぶられて、俯いた。油断すれば涙まで溢れてきそうだった。  コアが言ってくれたから、こんなにも嬉しいというのがある。彼は素直で純粋で、いい意味で子供っぽいから……ファンの中には、コアを天真爛漫の子供と表して癒やされると言っている人もいるらしい。確かにそうである。  もうすぐで一年。日々、楽しいことや学ぶことがあるが、徐々に心が疲れてきている気もしていた。そんな中、あのコアの言葉である。  仲間から認められるのはやっぱり嬉しい。まだ、頑張れそうだ。 「──アンド」  フールの声だった。顔を上げると、彼は座っているアンドを見下ろしていた。 「どうしたんですか?」 「え、なにが?」 「いえ。顔を伏せていたので、どこか調子でも悪いのかと」 「あ、大丈夫大丈夫。ごめん、心配かけて」 「大丈夫ならいいんですよ」 「フールはよく見てるな」 「? どういう意味ですか?」 「褒めてるんだよ。フールはみんなのことを気にかけてるから。本当は俺がやらなきゃいけないのに、気を配ってくれてるだろ?」 「それは……私の性格上、そうしているだけで……」  途切れる。  変なことを言ってしまったか、と思ってももう遅い。  フールが溜め息を吐く。 「アンド、貴方、最近──」 「アンド」  今度はキュウがアンドの元にやって来た。先に声を発していたフールに遠慮する様子もなく、逆に彼を押し退けるようにして真っ直ぐ目の前に立つ。 「どうした?」 「……」  何も言わずにじっとこちらを見つめてくる。 「キュウ?」  しかし、キュウの言葉を聞く前に、マネージャーである立花の声音が耳に飛び込んできた。 「アンド君、少しいいかな?」 「え……あ、は、はい」  それを聞いてフールは去っていく。キュウは少しの間、アンドの目を見てきたが、立花が待っているので彼から離れた。 「ごめんね? 話してる最中だった?」 「い、いえ。大丈夫ですよ。何か、ありましたか?」 「うん」  ──何か、自分に至らないところがあっただろうか?  考えるアンドに、立花は一枚の紙を手渡してくる。 「相談したいことがあって。これは、僕の独断で決めるわけにはいかないから」  紙面に目を通すと、最初に【家族】という単語が飛び込んできた。 「こ、れは」 「今年の秋に放送予定の連続ドラマ。もうすぐでクランクイン、撮影が始まるんだけど、欠員が出ちゃったみたいで」 「欠員、ですか」 「うん。それで出てみないかってオファーがあったんだ」 「え……ほっ、本当ですか?!」  ──凄い。 「誰ですか、フール? みんな演技できるかな、ケィは演技やってみたいって話して、」 「アンド君」 「他のメンバーですか? 立花さん、早く教えてくださいよ──」 「アンド君」  しきりに立花がアンドを呼んでくる。  そこでようやく自分が興奮していることに気付いて、我に返った。 「す、すみません、嬉しくてつい、」 「君だよ」 「はい?」 「ドラマ出演の打診が来ているのはアンド君、君にだよ」  立花の口から放たれた言葉を脳内で反芻する。  数秒後、これまでで一番酷く驚いた。 「は……はぁ!?」  出したことのない声が練習室の隅々まで響き、なんだとメンバーがこちらを窺う気配がした。が、気にしている余裕はない。 「おっ、俺が? ドラマに出るって、そう言ってるんですか?」 「まだ決まったわけじゃないよ。選択権はアンド君にある。先方からどうですか? ってオファーが来てるんだ。もう配役は決まって、そろそろ撮影が始まる予定だったんだけど、色々あったみたいで……ね」  濁される言葉に悟る。あまりよくない理由で欠員が出てしまったのだろう。 「それで代役を探している最中に、どうにも監督の娘さんがサンセプのファンらしくて、アンド君はどうかという話があがったらしい。それで事務所を通して正式なオファーが来たんだ」 「それ、は」 「うん。不祥事を起こした人の代役、しかも選ばれた理由が監督の娘さんが好きということが第一にある。でも、これはチャンスだと思うんだ。結構大きな企画でね、期待されている作品だから出演するメリットもあると思う。だから、アンド君がよければ」 「でも。俺、演技なんてしたことないですし……他のメンバーに、」 「これはアンド君だけに来たオファーだ。誰かに譲ることはできないんだよ。できるのは、断るか、受けるか。それだけ」 「……」 「演技に不安があるのは分かる。けれど、誰にでも初めてはあって、これは僕の個人的な考えだけど、アンド君は演技が上手いんじゃないかって思う。そう社長と話したこともあるんだ。どう、かな? 僕は、やってみてほしいと思う」  立花の声が、どこか遠くに聞こえるのは、あることに囚われているからだ。  立花から手渡された一枚の紙。ドラマのタイトルを筆頭に監督から原作者の名前、出演する俳優の名前が並んでいる。その中にあって一際アンドの目を引く、【家族】の単語。  ──家族、かぞく……カゾク。 「うお!」  刹那、耳のすぐ側で驚嘆の声がした。 「こ……コア」 「なに、アンド、ドラマ出るの?」 「……そういう話があるってだけだよ」  ──出たくない。 「すげぇじゃんっ」  しかし、アンドの拒否反応とは裏腹に、コアは嘘偽りない笑顔を浮かべた。 「これでまたアンドを知ってくれる人が増えるな!」 「……」  眩しいほど朗らかに笑うコアに目を奪われる。所詮は他人事なのに、自分のことのように喜ぶコア──。 「…………」  改めて紙面を見る。  家族愛をテーマにした連続ドラマ。連なる名は有名なものばかりで、正直、アンドがどれだけ頑張って演技の勉強をしても自分の名前が挙がるとは思えない豪華さだ。注目もされるに違いない。自分にオファーが来たのは、ファンであるという監督の子女のお陰だ。ファンが届けてくれたチャンス。それがコネであろうとも、アンドは……。 「立花さん。不安ですけど、やってみます」 「本当!? そう言ってくれると凄い嬉しい!」 「期待に応えられるか分かりませんけど……」 「ううん、勇気を出してくれただけで……ありがとう」 「そんな……」 「それじゃあ先方には承諾の意を伝えるね。正式にはオーディションして、結果が伝えられるから」 「はい」 「じゃあ、詳しくはまた後で話すね」  そう言ってスキップでもしそうなぐらいご機嫌に去っていく立花の背中を見送り、アンドは苦笑する。そして隣に立ったまま同じくご機嫌に手を振っているコアを振り返る。 「コア、」  が、アンドが言う前にコアが喋り出す。 「アンド、よかったな!」 「……うん。ありがとう」 「えへへっ」  * * *  その後、すぐにオーディションしたいと監督から直々に連絡があり、アンドは合格した。演技初心者のアンドがどうして絶賛されたのかは分からないが、ドラマ企画に大勢の人が関わっていること、既にメディアに告知済みともなれば、今更なかったことにはできず、この際、初心者のアンドでも出演を承諾してもらったのだからこれを逃すわけにはいかない──そんな企みが見えたが、やると決めたからには妥協したくない。アンド一人に来たオファーと言っても、常にサントラップセプテットというグループ名を背負っているのだから。 「白鳥家、長男の[[rb:卯月> うつき]]を演じます。サントラップセプテットのアンドです。皆さんの足を引っ張らないよう、精一杯努めますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」  拍手が聞こえる。だが、ライブに比べれば静かなものだった。  誰もアンドの出演を喜んでいない。関係ない者が紛れ込んだ、というような拒絶の目。形だけの歓迎。  けれど、頑張らなくては。リーダーとして、グループの最年長として。知ってもらいたい。もっと──もっと多くの人に、仲間のことを。 「──少し、休憩しようか」 「え……」 「このまま続けてたって良くなるとは思えないよ」 「は……い。すみません」 「今日は……仕方ないよ。また明日頑張ろう」 「はい……。すみません」 「何度言ったら分かるんだ! そこの台詞はもっと大切に、心に抱えるんだよ。どうして突き放したような言い方をするんだ?」 「す、すみ──」 「お前の謝罪はもう聞き飽きた! これ以上、進歩がないならこっちにも考えがあるんだぞ!」 「……頑張ります、次は必ず、」 「もういい。今日はお終いだ。こんなんで誰のやる気も出ない」 「……」 「…………」  * * * 「……はあ」 「──随分、大きな溜め息だね」 「! ……なんだ、キュウか」 「キュウだよ。疲れてる?」 「ごめん、キュウ、今忙しいから……」 「そう」  理解を示したようにしながら、キュウは何を考えているのか、リビングのソファで横になっていたアンドの側にやってきて、足元に座るのだった。  そうされてしまえば、起き上がらないわけにはいかない。気怠さを感じる体に鞭打つようにして、キュウの隣に並ぶ。 「これ台本? 初めて見た」  そう言ってキュウがテーブルに投げ出されていた厚みのある紙束を手にする。 「……キュウ」 「色々印ついてる」  ぺらぺらと捲り、色付けされた文字列を眺めている。  読み込んだつもりで、気をつけるところや自分で思ったことを空白に書き込んではいるものの、今それを眺めると自己満足でしかないようで、見たくもなかった。  キュウから視線を外し、ラグマットの毛並みに目を落とし、数える。 「頑張ってるね、アンド」 「……そんなことない」 「僕、嘘は言わない。頑張ってると思うから言ってる」 「……」  キュウは何しに隣へやって来たのだろう。雰囲気も態度も、今は触れないでほしいと発しているのに。 「……全然、上手くいかない」 「撮影?」 「うん。俺に、家族のことは分からない……」  本来なら、今日はドラマの撮影日であった。が、アンドは来ないでくれと連絡が現場からあったそうで、宿舎待機が立花から告げられた。理由は分かりきっている。アンドがいると、撮影が進まないからだ。  ……家族をテーマにした連続ドラマ。アンドは三人兄弟の長男、という重要な役どころだが、長男らしいことはできていない上に、他の兄弟役役者の足を引っ張っている。 「演技ができない、」  陰口を叩かれるなんてザラで、自分が悪いと思っているから、言い返すこともできない。 「多分もう……降板させられる」 「……」  実力や技術、演技のせいではない。自分が自分である為に、降ろされるのだ。 「家族ってなんだ……?」  声が掠れていく。失われていく。──せっかく貰ったチャンスを、自分がなかったことにしてしまう。 「“僕に家族なんて必要ない”」  毅然とした声音がアンドの注意を引いた。顔を上げると、キュウが台本を片手に視線を上下させている。 「“兄さんには分からなくてもいい、僕は一人で生きていく”」 「キュウ?」 「続けて」  言われ、彼はアンドが演じるシーンの前の台詞を言っているのだと、知った。瞬間、頭の中に入り込んでいる文字の羅列が脳裏に浮かんでくる。 「ま……“待てよ。父さんも母さんも、みんなお前のことを思って”」 「“そういうの一番嫌われるって分からない? 押し付けがましい”」 「き……“悟”」  思わずキュウと呼びそうになった。この男は……──このキュウという人間は容姿や性格、アイドルとしての適正の他にも演技力まで携えているというのか。  同時にアンドは失望や絶望のような感覚に襲われ、目の前がふっと見えなくなって、心に影が差すのを感じた。 「……お前が選ばれたらよかったのに」 「アンド?」 「! ご、ごめ、」  ──自分は今、何を口にした? キュウに一体何を……? 「ごめん、キュウ、俺……本当に疲れてるみたいだ、変なこと言ってごめん、部屋に戻るよ」  口早に言い、逃げようとしたところを、 「待って」  何もかも完璧な男は止めてきたのだった。 「まだ話は終わってない」 「キュウ、本当俺疲れてて、」 「逃がさない」 「……!」  掴まれた手首に、キュウの熱い息がかかるようで。アンドは息を飲む。 「疲れてるなら悪いけど、アンドをそのままにはできない。この仕事は理由がどうであれ、アンドが選ばれたんだ。途中で投げ出すことは許されない」 「……でも、……必要とされてない。最初は俺だって頑張ろうと思ってたよ、でも」  ──言葉が引き出されていく。それまで裡に溜まっていた不安や憂鬱、思った通りにできない葛藤が。 「でも、上手くできなんだ。俺の演技にはリアルさがなくて、全部薄っぺらいって。それもそうだろうと思う、だって、俺には家族のことなんて分からないんだ。優しい先輩が自分の家族を思い浮かべればいいってアドバイスしてくれたけど、そんなの余計に分からなくなる。家族の仲は最悪で……デビューしてから会ってない、から」 「……」 「あ。ごめん! キュウにこんな話をしたって仕方ないよな。俺、やっぱ今日おかし──」 「家族の形って、いろいろあると思う。会ったり会わなかったり、会いたかったり会えなかったり。たくさん、ある」 「キュウ、」 「それに、アンドの側には参考にするべき家族があると思う」 「……?」  首を傾げ、分からないと示すが、彼はその答えをくれるわけではなかった。 「さっきの僕の気持ち、アンドは分かる?」  話題が少々移行した。 「アンドが逃げようとして、僕が止めた理由。想像してみて」  手が離される。それにつられるようにして、アンドはキュウを振り返り見てしまった。  真っ直ぐ。揺らがない瞳とかち合い、逃げられなくなる。苦しい。 「分かる?」 「……あ、ぁ」 「ここに座って」 「……うん」  諦めるしかないようだ。  案外、この男は頑固であり、少々厳しく、妥協はしないから。こうやって据えられてしまうと、彼が満足また納得するまで解放されない。  不思議なところは、そうされてもこちらは苛立つどころか、感情が落ち着いていくのだ。普通なら反発もしそうだが、毒牙が抜かれたようにふっと気分が鎮まり、彼の話を聞こうと思う。  キュウの声音は魔法のようで、精神を鎮静させる作用もあるらしい。  神様に愛された男──それはキュウだ。 「さっきの、この台本のここのシーンと少し似ていた」 「うん」  開いたままの台本にキュウの指が滑って、文字の(きわ)をなぞっていく。 「僕はアンドと話したくて、逃げようとするアンドを止めた。ここの登場人物も、卯月が離れようとする悟を止めてる。僕の気持ちが分かるなら、卯月の気持ちもアンドはちゃんと分かってる」  どう? と言外に問われ、アンドは考え、首を縦に振った。 「キュウの、気持ちは、分かる。俺のことを考えて止めてくれたって、分かるよ」 「もしも立場が逆ならアンドも僕を止めてくれる?」 「うん。キュウが悩んでるなら聞くし、逃げようとしてたら追いかける、と思う」 「じゃあ、卯月の気持ちは理解してる」 「……」  断言され、少々面食らう。 「監督達に、卯月の心情を理解できてないって、そう言われたんだ」 「僕の気持ちは理解してるんでしょ?」 「う、うん」 「だったら、卯月の気持ちがわからないわけない。そうでしょ?」 「……自分では理解してるつもりだよ、弟の悟が大事だから、どうにかしたいと卯月は思ってる。言葉は間違ったかもしれないけど、気持ちは本当だ」 「うん。僕もそう思う。アンドは間違ってない」 「!」  ──間違ってない。  その言葉が脳内に反響する。  ……誰もが、違うと否定してきた。だが、自分のしていることを間違っていないと認めてくれる人はいただろうか。 「……、すごいな、キュウは」  心の底から出た言葉であった。誰もできなかったことを、彼はいとも容易く、自然にやってしまう。  しかし、キュウは意味が分からないのか、首を傾げていた。  そういうところも、人を惹きつける魅力の一つなのだろう。 「ありがとう、キュウ。なんだかできるような気がしてきた」 「そう?」 「あぁ」 「あとは、あまり“演じる”ことに拘らない方がいいのかもしれない」 「どういうこと?」 「アンドは演じることに囚われすぎて、自分の気持ちを封じ込めているのかもしれない。台本は道導(みちしるべ)だ。もちろん、守らなくちゃいけない流れだけど、きっかり守らなきゃいけないこともない。ほら、こう言うでしょ? ──“臨機応変に”」 「ぁ」 「僕達は、よく聞くよね」  微笑みか、苦笑いか。キュウが笑う。  その心囚われる表情を目の前に見つめながら、アンドは何か──曖昧だが──掴んだような気がした。何かを、教えられたような気が……。  自分は今まで何を見、何を聞いていただろう。いや、何もしていなかったに違いない。自分のことに精一杯で、周りを見ていなかった、聞いていなかった。  演技とは掛け合いである──最初、オーディションで監督が言っていた言葉だ。思い出す。  アンドはこれまで、演じることに必死で、共演者の台詞、動作を気にしていなかった。そう、思い出す。何回もリテイクを重ねて、自分は同じ失敗を繰り返していた。けれど、相手の演技は毎回違うところがあって、同じであることは“なかった”。同じなわけがないのだ、機械ではないのだから。 「そうか……俺は、正解があるんだと思ってた。ここはこう言わなくちゃとか、ここは悲しいんだとか」 「最初から決まってる感情はない」  キュウが台本を閉じ、テーブルの上に置く。 「演技を考えるなら、相手と争うこと、相手を見つめることから始まる」 「キュウ、お前、本当に凄いよ。演技経験あるのか?」 「いや」  首を振る。 「遊園地のお遊戯会ぐらい」 「勉強してるとか? 凄い参考になったよ」 「役に立てならよかった」 「もう一回、頑張ってみるよ」 「うん」  キュウが立ち上がり、去る。  その背中をアンドは見送らなかった。あれほど見たくなかった台本が早く見たくて、テーブルにあるそれを手に取ったから。  * * * 「──キュウ、」  リビングを出たキュウを、コアが呼び止めてきた。 「どうしたの?」 「その……あり、がとう」 「? 僕、コアにお礼されるようなことしたっけ?」 「うん」  そうコアは頷く。  キュウに思い当たることはなかったものの、彼が妙に何かを言い難くそうにしているのが分かって、言葉を待った。 「キュウが、アンドに言ったこと、おれ、嬉しくて」 「聞いてたの?」 「ごっごめん! 盗み聞きしようって思ったわけじゃなくて、その……っ」  焦りを隠せないとばかりに声を上擦らせるコアに、キュウは扉一枚隔てたリビングの中を顧みて、彼の大きな背中を押した。 「うわ! キュウ、やっぱ怒ってる?」 「ううん、違う」 「じゃ、じゃあなにっ」 「部屋で話そう」 「え!」 「ダメ?」 「だ、ダメじゃない! いいけど……」  首を折るようにして顔を覗き込んでくる。 「ほんとに怒ってない?」 「……」  何やら、彼はどうにもそれが気にかかるらしい。  それがおかしくて、キュウはふっと笑った。 「怒ってないよ。どうしてコアが嬉しくなったのか、よく聞きたいんだ。それに、この前立花さんに貰ったお菓子が残ってるから一緒に食べよう」 「え! お菓子?! 食べる!」 「おいで」 「うんっ」  お菓子お菓子、と妙なリズムの歌を歌いながらコアが上機嫌に後をついてきた。  * * *  翌日。アンドはドラマ撮影現場に来ていた。いつも通り、共演者は近付いて来ないし、スタッフもこれまでの演技を見て撮影が長引いたりしているもので遠巻きがちだ。アンドを担当してくれるスタイリストやメイクアップアーティストも、できるなら関わりたくないというような雰囲気を隠せないでいる。この現場において、絶対的不利な立場にいるアンドと一緒にいることで他人から仲間と思われることを恐れているのだろう。必要以上に彼らもアンドに近付こうとしなかった。  それでいいのか、とは思わなかった。それが自分の置かれた状況で、どうにかして変えなければいけない環境だと思っていたから。  キュウにアドバイスをされ、沈み落ち込んでいたアンドの心は、少しだけだが持ち直していた。  昨日一日、アドバイスを元に何度も練習をしたのだ。その成果を──試してみたい。その思いが強く、言ってしまえば、周囲の遠巻きな反応などアンドの気に(はい)らなかった。  出番が来た。兄の卯月が、家を出て行こうとする弟の悟を引き止めるシーン。  言葉にできない緊張感が満ち満ちる。  ──大丈夫、できる。  アンドは息を細く吐き出しながら、自分に言い聞かせる。  敵だらけの中で、自分の味方は……──。 「──よ〜い……アクション!」 『僕に家族なんて必要ない。兄さんには分からなくてもいい、僕は一人で生きていく』 『……、待って。父さんも母さんも、みんなお前のことを思って──』 『そういうの、一番嫌われるって分からない? ……押し付けがましい』 『悟』 『……』 『俺は、』 『(!)』 『俺だけは、お前に家を出て行ってほしくないって思ってる。これだけは、本当のことだ』 『な、……何言ってるんだよ、──そんな言葉には騙されない』 『俺は、お前を裏切らない』 『!』 『一度だけチャンスをくれ。お前の信頼を勝ち取って見せるから』 『……何をするつもり?』 『まずは、俺とデートすんぞ!』 『はあ?!』 「……」 「……」  カットの声がかからない。そのことに気付いたのは、最後の台詞からしばらく経ってのことだった。  基本、カットの声がかかるまで演者は素に戻ってはいけない。  だが、撮影シーンはとうに終わっているはずなのに、監督のいつもの声が届かない。  対面にいる悟役の俳優も戸惑いを隠せないようだ。  二人の視線が泳ぎ始めたところで、ようやく、 「か、カット!」  焦燥感たっぷりの掛け声がスタジオに響いた。 「……ふぅ」  アンドはいつの間にか止めていた呼吸を再開させる。  ……やりたいことはやった。これがアンドの全力だと示すようなことを、した。一種の賭けだ。どうだったろうか? 「ふざけんなよ!」  刹那、悟役の俳優が大声を上げる。  反射的に肩を跳ねさせてしまったが、アンドは覚悟を決める。 『明日から、もう来なくていい』  そう言われるだろうことを。  しかし、 「なんだよ、あのアドリブ! この俺が動揺しちゃったじゃん!」  怒っているような、アンドを責めるような声音に反し、彼の表情は笑顔であった。 「どうした?」  何も言えず固まっているアンドに気付き、彼、()()は目を瞬く。 「どうした、って……志葉さんこそ、どうしたんですか」 「あぁ?」  つい、思ったことがそのまま口に出た。 「す、すみません。でも、怒らないんですか? 俺は勝手なことして、台本にないこと──」 「滅多に怒らない志葉が怒鳴るなら、その前に俺がお前をブン殴ってるよ」 「か、監督……!」  モニターを真剣な表情で見つめていた監督が、隣に立っていた。背はアンドより遥かに小さい。だが、その体から溢れるエネルギーや威圧感は誰にも負けない。いつものように、ギロリと音がしそうな視線が睨んでくる。 「お前、よくもやってくれたな」 「っ……」 「俺はいつも台本にだってケチをつけるし、今回は特別に気合が入ってる。その台本を無視してアドリブを入れるだぁ?」 「すみま、」 「本当、よくやってくれた」  声調が、変わったように聞こえた。 「……はい?」  褒められたような気がして、アンドは信じられない気持ちになって監督を見た。  ──褒められた? 自分が? あんなに怒号を浴びる日々だったのに? そんな。まさか。 「何があったかは分からないが、俺はいい判断だったと思う。志葉も泡食ったように驚いてたしな」 「だ……だってあれはしょうがないですよ! 誰も想像してなかったです」 「……」 「おい、アンド。何呆けてるんだよ、お前のことを話してるんだぞ」 「あ、ぁ……はい」 「本当に分かってんのか?」  志葉が眉を顰める。 「……」  その表情はよく見ていたはずなのに、新鮮に映る。  みんなの表情が朗らかに明るいのはどうして、──。 「いいアドリブだった。一つ、前進したな」 「え……」  監督が溜め息混じりに言い、初めて、撮影現場で笑顔を浮かべた。 「最初はどうなるかと思ったが、やるじゃないか。あれだけ逆境だってのにアドリブを入れてくるとはな。こりゃあ、大した新人だ」  その声音には参ったというような響きも含まれていて、アンドが呆気に取られている間に監督は休憩を全体に言い渡して去って行ってしまった。後には慌ただしく動き出すスタッフと、その場に固まったままのアンドと志葉が取り残される。 「はぁ。困ったな」  横からそんな呟きが聞こえてくる。 「この俺が演技中に驚かされるなんて」 「……」 「おい、アンド」 「は、はい」  子役でデビューを果たし、それからずっと一線を走りつつも常に謙虚さを忘れず、同業者からの評判もよく、無論人気も絶大である志葉が真っ直ぐアンドを見据え言うのだ。 「俺、この作品で助演男優賞狙ってるんだ。負けないから」 「はぁ……」 「これは宣戦布告だから」 「…………。え、宣戦布告? それって……どういう意味ですか?」  宣戦布告の意味は知っている。志葉が自分に言ってくる意味が、理解できないのだ。 「あははっ、これは面白くなってきたぞ!」  しかし、志葉はアンドの問いかけが聞こえていなかったとでも言うように、目の前から去っていく。 「……えぇ」  アンドだけが、動いていなかった。周囲と隔絶されているようで、だが、今までのような空気感ではない。  どこか雰囲気が変わり、スタッフ達の表情も明るいようだ。 「ほ……褒められたのか……?」  その時、アンドのことを呼ぶ声が思考に割り込んできた。 「──アンドー」 「……コア? ……それに、」  スタジオの隅でこちらに向かって大きく手を振る姿。その隣でじっとアンドを見つめているもう一人の姿があった。 「キュウ」  その声が聞こえたとでも言うのか。ようやくもう一人、キュウが手を挙げた。 「え、なんで、二人がここにいるんだ?」  分からないことばかりが続き、アンドの頭はパンク寸前だ。  固まっていた足を前にやり、行き交うスタッフの合間を縫って、二人に近付いていった。 「どうしてここにいるの? 仕事は? 二人だけ?」 「質問が多いよーアンド。差し入れ! 持ってきた」  コアがそう言って、スタジオの一角に設けられた差し入れコーナーに引っ張っていく。そこには志葉など出演俳優から贈られた様々な差し入れが置かれ、自由に食べていいとのメモがある。  その中に、サンセプからです、とコアの字で小さく書かれた箱が開けられていた。 「キュウお気に入りの、お菓子。こういうのって甘いものにかたよりやすいんだって。だから、しょっぱいものにした!」 「……」 「アンド? どうした? カツサンド、嫌いだった?」 「……っ」  コアが心配そうに顔を覗き込んでくる。  だが、今だけは顔を見られたくなかった。アイドルでも今だけは……。 「見てたよ、アンド」 「! キュウ、」 「アンドの演技、見てた。よかったよ」 「……」  その一言で、彼は人を舞い上がらせる。  あれだけ志葉や監督から称賛されていたというのに気付けなかった、というよりは信じられなかったアンドは、そのキュウの言葉だけでよかったのだと思い知る。理解する。  ──成功したのだと。 「今まで」 「うん」 「今まで、みんなを失望させていたから……普通に話しかけても無視されると思って……」 「うん」 「誰も想像していないことって何かなって考えてたら、思いついたことなんだ」 「うん。僕もびっくりした」 「おっ、おれも! アンド、アンドじゃないみたいだった」  鼻息も荒くコアがこくこくと首を振る。  その様子が、アンドを取り戻させた。不意に片手を伸ばして、コアの頭を撫でる。 「うわ! なんだよ、アンドっ」 「いや……安心した。……ありがとうな、コア、キュウ」 「え、え? アンド、不安だったの? あんな真剣な顔して、みんなを驚かせてたのに?」 「そうだよ。お前達の顔を見て安心した。一人じゃないって」 「アンド……ずっと、一人ぼっちだって思ってたのか……? バカだな! おれ達は家族だぞ、アンド!」 「家族?」 「うんっ。第二の家族!」 「……そうか」  アンドはキュウを見る。彼の目とは合わなかったが、合わなくてよかったのかもしれない。もしも目が合っていたら、どうにも気まずくて視線を逸らしてしまいそうだったから。 『アンドの側には参考にするべき家族があると思う』 「──アンドさん、メイク直しいいですか?」 「あ、はい。──ごめん、二人とも。俺、行かなくちゃ」 「いいよっ。おれとキュウはもう帰るから。な?」 「うん。帰る」 「そっか、ありがとう」 「じゃ、頑張れよーアンドっ」 「あぁ、うん」  子供のように手を振るコアに同じように振り返し、踵を返そうとする。  寸前、 「このカツサンドおすすめだから。アンドもちゃんと食べて。……頑張って」  キュウの声に、胸がぎゅうと締め付けられ、アンドは聞こえないふりをしてしまった。  心臓が高鳴る──これは、まだ見えない未来への期待だ。  そう自分に言い聞かせ、真っ当な表情を保つのに必死になった。  それからというものの、ドラマ撮影は順調──……とはいかなかった。アンドの実力がいきなり上がることもなく、監督の怒号が飛ぶ毎日に変わりはない。  しかし、アンドが不意打ちのアドリブしてから、確かに現場の雰囲気は変わり、共演者達の反応も以前とは違っていた。遠巻きにしているか、無視を決め込んでいた彼らは、一様にアンドと交流を持ってくれるようになったのだ。何度も失敗し、萎縮するアンドに大丈夫だと声をかけてくれる人もいる。  何かが変わり始めている。  様々な困難が一家を襲う。次男の反抗期やら、三男の学校でのイジメ。現実の問題を上手く物語に嵌め込み、視聴者に訴えかける作品でもあり、主体はその困難に家族揃って立ち向かっていく話だ。一人が躓けば、みんなが立ち止まって待っていたり支えたり。父も母も、優しく、厳しく、温かく子供の成長を楽しんでいて。  ──自分の家族とは真逆である。  撮影が進んでいけばいくほど、アンドはその事実を痛感せざるを得なかった。  そうして新たな壁にぶち当たる。  それまで理解できていた登場人物の心情を、アンドは、理解できなくなっていたのだった。  * * * 「──おかえり」  その日も監督や共演者に扱かれ、やっとの思いで撮影を終えたアンドを宿舎で迎えたのはキュウであった。 「ただいま」 「お風呂も沸いてるし、ご飯もできてる」 「あ、今日はキュウが当番だったっけ? ありがとうな」 「うん」 「他のみんなは?」 「コアとギンはラジオ収録で、ユズは雑誌の取材、フールは僕がみかん食べたいって言ったら買ってくるって買い物、ケィはいるよ」 「そっか」 「お風呂入る?」 「うん。先に入ろうかな」 「うん」  靴を脱ぎながら玄関先でそんな会話をキュウとしていると。 「あ〜もう我慢ならん! オマエら、なに新婚さんのやり取りしてんだよ」 「え?」 「?」 「いや二人揃って首傾げられても」  ケィが現れて、少々呆れたように両肩を下げる。 「おかえり、アンド」 「あ、あぁ、ただいま」 「で。もう一つ突っ込んでいい?」 「えっ、なに?」 「なんで荷物キュウに手渡してんだよ」  今度はじとっとした目で見られ、慌ててアンドは確認した。  自分が背負ってきたはずのリュックサックは今や、キュウの両手にしっかりと握られていて。羽織っていた薄手のカーディガンもアンドは彼に渡そうとしているのである。 「わ! ご、ごめん、キュウ。あまりにも自然に手を出しれくるから、つい……」  悪い癖が出てしまった。キュウは家政婦でもなんでもないのに。 「別にいいのに。僕はそのつもりで手出したんだけど」 「え?!」 「なんだよ、キュウ。オマエ、やっぱ嫁属性かよ」  ケィがハハハと声を上げ、部屋の奥へと消えていく。  キュウと残されたアンドは、改めて謝った。 「ごめん、キュウ」 「うん?」 「荷物」  言い、彼の手から半ば奪い取る。  ……自分の悪癖に、なんとも言えない罪悪感を抱いていれば、 「僕はなんとも思ってない」  とキュウが言った。 「僕はそうしたかったから、したんだよ」 「あ……うん」 「なんか変?」 「いや! キュウが変とかそういうんじゃないよ。ただ、そうしてもらうことが普通だとは思ってないから」 「? よく分からない」 「あー……うん、ごめん」 「僕は手を出さない方がよかった?」 「ち、ちがう違う。いいよ、いいんだけど」 「何がダメなの?」 「……えぇっと」  なんだか今日はぐいぐい来るキュウであった。  答えに納得するまで引かないというような意思表示を見た気がして、アンドは言葉を濁したい気持ちを抑え、どうにか口を開く。 「家が、そういう……しきたり? みたいなのあって。キュウがしてくれたように帰宅してきた人の荷物は迎えた人が持つ、っていうのが当たり前でさ。小さい頃からそういうの怒られながら教えられてきたから、俺は学生になるまでそれが普通なんだって思ってたんだ。けど、違うって思い知って……あー、えっと、だから、キュウがそんなことする必要はないんだよって言いたい、んだと思う俺は」  途中から自分でも何を言いたいのか分からなくなってしまい、焦る。変なのは自分自身だ。これではまるで挙動不審ではないか。 「そうか」  だが。 「なら気にしなくてもいいんだね」 「ぇ。あ、ちょっとキュウ!」  するり、とリュックサックを取られて。 「嫌なのかと思ったけど、そうじゃないなら僕に任せてお風呂に入ってきなよ」 「え?!」 「アンド、疲れてるでしょ? ご飯温めてるから、早く入っておいで」 「……」  ──温かい家族。  ふとドラマの中でのことと、現実の、今目の前にある光景が重なって。  ぽろっと吐露してしまった。 「親に優しくしてもらった時、どういう反応したらいいと思う?」  その時見たキュウの真っ直ぐな眼差しを、アンドはいつまでも覚えているだろうと、直感的に悟った。  * * *  お風呂に入り、キュウが作ってくれた夕食を食べ終え、アンドは自室に引き取っていた。  ちなみにキュウ手作りの夕食は焼肉丼である。食生活に誰よりも気を遣っていそうなキュウだが、その見た目とは反して、意外にも作る料理は丼ものが多く、男飯だ。逆にケィの方が凝った料理を作ることが多い──無論、彼の気分次第で即席飯になることも多々あるが──。ギャップであろう。ファンが聞いたら喜ぼそうなエピソードである。  そう思い、話すことのネタを思いついては書くようにしているノートをリュックサックから取り出し、早速ペンを走らせる。こうして書いたことはすんなりと頭に入ってきて、いざという時役に立つのだ。アイドルの自分達は歌って踊ることが仕事だが、ファンとの交流としてトークも磨かなければならない。日々、新しい情報を携え、自分達のことを知ってもらう。そして好きになってもらい、元気になってもらいたい。  ネタ帳を作成しているのはアンドの個人的な思いつきからだが、ケィが見様見真似でレシートの裏に秀逸なエピソードをメモしていた時は、妙な嬉しさがあった。彼が必死にペンを動かしている横で密かに盗み見ていたのだが、まだそのエピソードは語られていない。いつそれを話してくれるのかと楽しみにしているのだが、なかなかその時はやって来ないようだ。  時折、コアやユズが騒いでいる声も遠くに聞き、思わず笑ってしまいながらメモしていたアンドの耳に、扉をノックする音が侵入してきた。入室前にノックするのは互いのプライバシーを守る為に暗黙の了解となっていたが。 「はい」  返事をしても、扉が開かれる様子がない。 「入っていいよ」  この家にはメンバーしかいないはずで、ユズなんかは容赦なく入ってくるのに。 「アンド」  キュウは律儀である。 「どうしたの?」 「話、しようと思って。今、大丈夫?」 「うん。いいよ」  ノートを閉じ、机の端に追いやる。  私室といっても寝る為の部屋なので広さもあまりなく、家具も机と椅子、ベッドぐらいしかない。椅子は自分が座ってしまっている為、ベッドに座るようキュウに示せば、彼は無言で首を振った。  確かに他人のベッドに座るのは憚れるかと思い、椅子を空けてあげようと思ったのも束の間、キュウが先に言葉を発した。 「さっきの」 「うん?」 「さっきの、アンドが言っていたこと。答えなくちゃって思って」 「さっき?」 「うん」  何かあったっけ、と考える間もなく、キュウは二の句を紡ぐ。 「僕は、褒められたら嬉しい」 「え?」 「心が温かくなるし、スキップしたくなるし、すぐ笑いたくなる。それは、誰に褒められても同じだ。ユズにかっこいいって褒められるのも、立花さんによかったよって言ってもらった時も、ファンの子に歌が上手い、ダンスが上手いって言われるのも。誰に褒められても、同じぐらい嬉しい。この人に褒められたからもっと嬉しいっていうのはあるかもしれない。けど、親だからって、嬉しさに違いはないと思う」 「……キュウ、」 「僕個人の見解だけど」  立ったまま、真っ直ぐこちらを見つめ、キュウが言う。 「じゃあ伝えることは伝えたから」  背中を向ける彼を、アンドは言葉もなく止めた。  彼が振り返る。誰もいない、オレンジの光だけがアンドとキュウを見守る中、引き留めた腕が熱いような気がする。 「それを言いに、わざわざ来たの?」 「うん。……ダメだった?」 「ううん、違う、そうじゃない。怒ってるわけじゃないんだ。ただ、なんて言うか……。キュウがそれを言う為だけに部屋まで来てくれたって思うと、なんか、変だ」 「変なの?」 「や、えっと、いい意味で!いい意味で変……むず痒いっていうか、なんだろ……妙な気分になる」 「……嬉しいってこと?」  見上げられ、アンドはキュウを見下ろしていることに、今更ながら気付く。 「そう、かも」  仲間の騒がしい声はもう聞こえない。寝てしまったのだろうか。  いや、そんなことよりも今は──。 「褒められれば、誰だって嬉しい。その気持ちに差違(さい)はないって分かって、よかった」 「うん」 「親に褒められたことってないから」 「うん」 「ありがとう、教えてくれて」 「ん」  ──なんで? どうして?  そう聞いてこない、キュウの絶妙な距離感が心地よかった。  待っていてくれてるのだろうか、アンドから話すのを。  ……いや、キュウは待っていないような気がした。気にしていない。  だから安心して、内面を見せることができるのだ。 「キュウ、あのさ」  言いながら、彼の背中に手を回そうとしたところで、 「!」  けたたましい音が室内に鳴り響いた。 「ごめん、俺の電話だ」  キュウから離れ、机の上に置いたままにしていた端末を手に取る。画面を確認して、自ずと溜め息が漏れた。 「じゃあ、僕は自分の部屋に戻るよ」  気を遣ってくれたのか。用がなければすぐ去っていくのがキュウなので、彼の思考は読めなかった。  途端に、部屋の温度が下がったようだった。着信音はまだ鳴り続けている。 「……」  忌々しさに加え、大切な時間を邪魔されたようで苛立ちさえ覚える自分の変化に、アンドは苦笑するしかない。  昔の自分なら、諦めていた──。 「もしもし──千景です。ご無沙汰しています、父さん」  アンドから千景へ。  その変化は、激しく心を揺さぶった。

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