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Q7-3
ドラマの放送が始まって一ヶ月。アンドは多忙を極めていた。
「今夜、九時。南家の受難。ぜひ、見てください」
カメラのレンズに真っ直ぐ目を向けて言う。隣には仲間ではなく、志葉がにこやかに笑っている。
初回放送の視聴率がいいという話は監督からもたらされたが、その後も世間の評価はよく、話数が進むにつれて熱視線が注がれるようになり、ちょっとした社会現象になりつつある。故に、バラエティー番組に番宣で出演し、宣伝させてもらっているのである。今日はその収録だ。
嬉しいことに、アンドの演技にも、上手くなっていっているとの評価も耳にするようになり、ドラマの評判は順調に鰻登りであった。
「いや〜クイズは自分の知力が出て恥ずかしいね」
収録終わり、隣にいた志葉がそう言って背伸びをする。
「アンドはいいよなぁ。頭いいことが滲み出てた。これはもっと人気出るぞー」
「そうだといいです」
「おっ、素直じゃん」
「あ……。でも、俺の知名度が上がることは、サンセプにとっていいことだと思うんです。俺を知ってもらえれば、サンセプの名前を聞く。今までアイドルに興味のなかった人が俺達の歌を聞いて、ステージを見て、少しでも好きになってくれれば嬉しいですから」
「ふーん。アンドはグループのことをよく考えてるんだ」
「はい」
「へえ」
志葉とは、よく番宣を一緒にする。ドラマ内での接点が多いということの他に、世間が、二人をコンビのように見ているのだった。
通り過ぎるスタッフに挨拶をする志葉は魅力的な男だ。最初はどうであれ、アンドの頑張りを認めてくれ、連絡先を交換してから数回食事にも誘ってくれた。若い俳優の飲み会だとか言って、比較的新人層である俳優達と席を同じくしたこともあり、アンドの人脈は広がりを見せている。後は媚びの売り方を教えてやる、と言っていた志葉だが……。
「あ、そうだ。アンド」
「はい?」
「一つ、頼まれてくれないかな?」
「? なんです?」
志葉と話をすることにも慣れた今日この頃。
すっかりアンドの警戒心は薄れていた。
「公私混同かな、とは思うんだけど」
そう言って豪華なブランドの手持ち鞄から取り出したのは、なんとも想像し難いものであった。
「これに、キュウくんのサイン貰えないかな?」
「……え」
「できれば、ーーーーーつきで」
「は……、……」
そう、思い出したのであるこの時に。連絡先を聞かれた際に、自分の裡に溢れ出てきた、言いようのない不安感。嫌な予感と言ってもいい。とにかく、志葉の考えが見透かせないことに焦燥感があったのだ。
それを今、思い出した。
その日の帰り道、ずっと考えて、志葉からの頼みの重みを肩に感じながら、抵抗まではできても無視することはできなかった。
「キュウ、いる?」
彼の部屋の扉を叩き、中に入る。
彼は、机に向かい合い、何かをノートに書き込んでいた。
「ごめん、邪魔しちゃったかな?」
「大丈夫。どうしたの?」
答えてくれるが、視線はくれなかった。
必死に書いているらしい。
その姿を見て、罪悪感が募る。自分は何をしているのだろう、嫌なのに──。
「キュウ、志葉さんって知ってる?」
「志葉?」
名前にキュウの手が止まる。
何故、志葉の名前でこちらを見るのかと問いたい思いを抑えながら、現場で手渡されたものをキュウに差し出す。
「これ……」
「うん?」
「志葉さんが、キュウにサイン書いてほしいって、渡されて」
「……ぃ、……明 さんが?」
「あ、う……うん」
「はあ」
キュウにしては珍しい重たい溜め息のようなものが聞こえて、アンドは驚いた。
「やっぱ、こういうの好きじゃないよな?」
──そう言ってくれ。
「ううん。サインを欲しがってくれる人がいるのは、嬉しい」
「そ……そっか」
キュウがアンドの手から色紙を抜き取っていく。机上にあったペン立てからマジックペンを取り、キュッキュといとも容易く書き出す。志葉さんへ、と名前を入れているところを見ると、さすがだなとは思うが、やはり複雑な心境がアンドに苦虫を噛ませる。
それなのに、脳内に居座る太々しい志葉は更なる要求を早く言えと指示してくる。
「書けたよ」
「あ、ありがとう……。そ、れで」
「うん?」
「あの……」
「なに?」
小首を傾げる、可愛らしく。
「あ……ぅ」
近頃の自分のおかしさを感じながらも、アンドは全ての感情に抗って、無になるよう努めた。
「キス、マークも入れてほしいって……言うんだけど」
「はあ?」
「や! ごめん! 俺もどうかと思ったんだけど」
「あの人は一体どういうつもりで……」
「やっぱ無理だよね? 変なこと頼んでごめん、志葉さんには俺が言うの忘れたって言うから──」
「アンド、リップ持ってる?」
「え……」
半ば、絶句しかける。
「誰か持ってるかな、ケィなら、」
「ま、待って」
立ち上がり部屋を出て行こうとするキュウを止め、アンドはズボンのポケットに入れていた小さな筒状の物を手のひらに乗せる。
それを目にしたキュウは数秒黙り、ふっと微笑んだ。
「準備がいいね」
褒めているのか、嫌味か。
キュウは躊躇わずそのリップを摘み、キャップを取って自身の唇に色を乗せていく。
何度か薄めの唇の上を往復した先端が、僅かに減ったのをアンドは確認した。……してしまった。
自分がキュウの様子を凝視していることに気付いても、彼から目を離すことはできない。
「ん、このぐらいでいいか」
女物の紅 を塗り、上下の唇を擦り合わせる。そして徐に色紙を掬い上げたキュウは顔を傾け、
「!」
目を閉じた。
瞬間、その部屋全体が甘ったるくどろどろしたものに満たされたようだった。
ごくり、嚥下する。
蜂蜜のような空気にくらくらする。
「っ」
ちゅ、と音がしなかったか? もう籠っていて、よく分からない。──わからない。
「これでいい?」
そう言って見せられた赤い唇の形が淫 靡 で、淫 猥 で、もうアンドをめちゃくちゃにして。
普通を装うとして素っ気なくなってしまったのは、許してほしいと思った。
* * *
それから十二月まで、怒涛の勢いで暦は進んでいった。ドラマは絶好調としか言いようもないほど話題になり、今年最大のヒットとなっていた。それに比例して、アンドのスケジュールは分刻みに。あまり宿舎に留まれないようになっていった。
しかし、その報を持ってきたのは、久しぶりに会うコアであって。
「アンドー! おめでとー!!」
「え……。なに? コア、どうした?」
仕事の貴重な合間。シャワーを浴びてから冷蔵庫を覗き、何か口にしようかと思っていたところだった。
「アンド、賞、獲った!」
「は」
「──まだですよ」
コアの後を追うようにして現れたのは、フールで。
戸惑うアンドをよそに、理解のできない話は続く。
「ノミネートされたってだけで」
「そう! ノミネート! すげぇな、アンド!」
コアが無邪気に笑う。
「……え、っと? 何の話? ていうか、今日の朝ご飯は誰が作るんだっけ? お腹空いちゃってさ、これ食べても──」
「呑気にご飯を食べてる場合じゃないですよ」
「え」
「あ、でも今のうちに食べておけと言うべきでしょうか」
「アンド! バナナならあるよ!」
「あ、ありがとう」
どこから取り出したのか、コアが握らせてくる熟しすぎたバナナを見つめていれば、フールが袖を捲り始めた。そうしてキッチンに立つ。どうやら今日の食事当番はフールであるらしい。
デビューして一年。悦びに浸る余裕もなく仕事に追われる毎日で、家事当番も今では偏りが出始めていた。以前は順番だったのが、二日連続で同じ者が担当したり、一週間何の家事もしなかったり……。手の空いている者がやる、という形になってしまい、疲労も溜まってきて掃除なんかはサボることも多くなっているようだ。
……ふと、寂しく思う。ドラマが好調なのは純粋に嬉しい。初めて出演したドラマが世間に受け入れられ、ちょっとしたブームになっているのは誇らしいことだ。けれど、それによって番宣やバラエティー番組の仕事が増えたということは、彼らと一緒にいる時間が減ったということでもある。
自分はサントラップセプテットの一員だ。自分も含めてサンセプだ、そうでありたい。だから“アンド”という名前にした。
だが、純粋に嬉しいのと同じように、彼らの近況を知らないことが純粋に寂しい。
「──って、聞いてますか?」
「あ。ご、ごめん、聞いてなかった。なに?」
「貴方、これからもっと忙しくなりますよ、っていう話です」
「今も結構忙しいけどなー」
「……呑気ですね」
ぴく、とフールの眉が反応する。
「そ、そうか」
「貴方、本当に何も知らないんですか?」
「え……何を?さっきからなんだって? 怖いんだけど」
「コア。貴方が責任持って話してあげなさい」
「ぅむん?」
コアはバナナを食べていた。行儀よくテーブルに向かい合い、椅子に座っているのだが、貪りすぎてテーブルの上は悲惨なことになっている。
「ん、えっ、と」
もぐもぐと口を動かし、大きな子供のような彼はアンドを瞬く間に違う場所へと連れて行った。
「アンド、第何回かの俳優大賞? みたいなので、最優秀助演男優賞にノミネート、された。ていうか、アンドのドラマに関わる人がノミネートされまくってて、テレビは何個の賞を取るかって楽しそうに言ってたよ。あ、あと、志葉明っていう人が、アンドのことはライバルだって思ってるってインタビューで言ってた!」
「…………は……?」
フールが息を吐いた音がした。
「アンドが気にするべきは、最優秀助演男優賞を獲る可能性があるということです。それで世間の注目度も上昇している。……アンド、ここが正念場だと思いませんか? 実は、私も少し、浮かれているようです。メンバーが何か賞を獲るなんて。嬉しいことですよね」
ふふっと笑い、フライパンに目を戻してしまうフール。
「よかったな!」
コアは……コアこそ、暢気にそう言っているではないか。
一体、どういうことだ?
瞬間、タイミングを図ったように、ズボンのポケットに入れていた携帯端末が震えた。立花から何か連絡だろうかと思う暇もなく、画面に表示された名前にうっと思わず呻く。
「どうしたんです?」
その呻きを耳にしたフールが振り向いてくる。
「志葉さん、だ」
「おや」
「え、シバ、さん!?」
フールとコアが互いに目を合わせ、にやりと笑う。そして声までも合わせるのだ。
「せんせん、ふこくっていうやつだ!」
「宣戦布告ですね、それは」
「……」
実は既にされている──とは言えず、アンドは通話ボタンを押さなければならなかった。
* * *
眩しい照明。黒光りするカメラ。手持ちから三脚と、種類は様々だ。縦二十、横十五の椅子には記者達が座り。その前にはテレビでよく見る俳優達がいくつもの丸いテーブルを囲むように座り、舞台上を見つめる。床にはレッドカーペットが敷き詰められ、歩く音が吸収される。
アンドの思考は、舞台上にいながらも、到底冷静ではいれず余計なことばかりを認識して沈思していた。
──十二月二十四日。クリスマスイブ。残念ながら首都市圏に雪は降ってくれないらしい。ホワイトクリスマスになったのは、もう何年前になるのだろう。もしかして十年以上も前のこと? 地球温暖化が進んでいくうちに、雪も幻のものになっていくのだろうか?
……ほら、変なことばかり、この頭は考えている。
アンドは思考を振り払うようにして、顔を上げた。
眩しい照明。黒光りするカメラ。大勢の視線。観衆の中、アンドの足は舞台上へと進む。止まることは許されない。ゆっくり歩きすぎて、今でさえ焦らしているのだろう。舞台上にいる司会者がアンドのことを手招いている。
ふらふらする。これは、現実か?
* * *
《──やっと、舞台に上がってきてくれたアンドくんです》
笑い声と、拍手が湧き起こる。ライブでもないのに。
《アンドくん、大丈夫? 状況、理解してる?》
「これ、現実、ですか?」
《うん、現実だよ! ……どうやら、まだ混乱しているようですねぇ。──アンドくん。君は、最優秀助演男優賞に選ばれたんだよ! 賞を獲ったんだよ! ノミネートされていた人達はベテランと言っても過言ではない人達ばかりだった。その中で、初めてドラマ出演を果たした君が! この賞を獲ったんだ》
興奮した声を出す司会者が、重い塊を手渡してくる。
「あ……」
それを受け取り、落とさないように抱える。指紋をつけることを厭うような、磨かれたガラス玉だった。表面には、司会者が言ったように最優秀助演男優賞の文字と、アンドの名前が入っている。
──自分のものだと?
《新人賞じゃない。最優秀助演男優賞。栄誉あることだよ。さあ、今の気持ちを聞かせてくれないか?》
「俺、が」
コアとフールがもたらした情報は何の偽りもなく、この日、アンドを授賞式に連れてきた。会場には報道陣とノミネートされた俳優陣が一同に会し、受賞者が発表されるのを今か今かと待っており、重要な発表役を兼ねる式の司会者は、前年度最優秀男優賞を獲った者が務めることになっている。
だから、アンドに笑いかけてくる司会者の男も、テレビの中でしか会えないような人なのだ。
《アンドくん》
「……」
つい先程、彼が読み上げた受賞者の名前はアンドであって……?
アンドは乾いてくっつく唇を離し、喉に張り付く声を懸命に押し出した。
「とま、どってます」
喋り出したアンドにもう大丈夫だと思ったのか、司会者が離れていく。壇上に、アンドは一人残された。
「俺が、賞を、獲るなんて……実感、ないです」
嘘なのでは? ドッキリ、とか……自分を罠に嵌めたとしても誰も喜ばないだろう。
アンドは恐る恐る、前を向いた。
煌めく光、瞬く強烈な、光。その、濃くなった影の中に、志葉を見つけた。
「志葉さん、……俺、あなたに会えて、よかったです。最初は、言葉にできないほど、大変なことになって、皆さんにもたくさん迷惑かけました。初めてのことについていけなかった俺は、本当は、……。でも。諦めなくてよかった。そう思わせてくれたのは、志葉さん、あなたです。俺のことをライバルだと言ってくれたこと、忘れません。嬉しかったから。この場を借りて、俺も、言おうと思います。──俺は、志葉さんに負けません。志葉さん、あなたが、俺のライバルです」
十二月二十四日。アンドは、最優秀助演男優賞を獲り、俳優の仲間入りを果たしたのである。
* * *
「──ぼっ僕はっ、しん、信じてたよっ、アンドくんがっ、獲って、ぅ、くれるって……っ、うわあああぁぁっ」
数時間に及ぶ授賞式が終わり、舞台裏で挨拶をして回るアンドの前に現れた立花は、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。号泣だ。
そんな普段は必死に隠している立花の幼さを見たアンドは、ようやく張っていた気を緩めることができた。
「立花さん。この賞は、立花さんのものでもありますよ」
「ふえぇ?」
「ありきたりな言葉かもしれないけど、立花さんがいたからここまで来れたんだし、立花さんがこの仕事を俺に持ってきてくれなかったら、背中を押してくれなかったら、今、ここに俺はいません」
「っッ……アンドくん!!」
「ぅわ!」
「アンドくん! 君はなんて、なんて……!」
「あー……はは、立花さん。もう帰りましょう。みんな宿舎にいると思うので、一緒に」
「ぼ、僕もお邪魔してもいいと……?」
「はい」
ぐずぐずと鼻を啜り、目を赤く染める立花。成人男性とは思えない有様だが、喜んでくれているのだと分かって、嬉しかった。
「──いやあ、負けっちゃったなぁ」
「志葉さん」
声が聞こえてきた方へ顔を向けると、スーツに身を包み、いつもはふわふわとした髪も今日は後ろへ撫でつけられ、まさしく正装といった格好で。女の子の黄色い声援が今にも聞こえてきそうなほど輝いて見える。
「俺、今回は本気で獲りにいったんだけどなぁ」
「志葉さんの演技も素晴らしかったです!!」
「え……」
「あ、立花さん」
「あっはは、ありがとう、マネージャーさん。立花さんというんですか? こうして改まって話すのは初めてですよね?」
「え? ……あ。はい! 初めまして、サントラップセプテットのマネージャーをしています。立花と申します」
「ご丁寧にどうも〜」
二人の会話を聞きながら、あれっと思う。撮影現場に出入りする人物として、各俳優のマネージャーも最初の顔合わせで挨拶をし、その後に立花が志葉に声をかけていたことは記憶に新しい。
どうして初対面を装うのだろう。
「じゃ、じゃあ、僕は、監督さんに挨拶してきます。失礼します」
「はい」
にこやかに志葉が手を振って、立花を見送る。
と、志葉がこちらを見た。
「立花さんにはちゃんと感謝しとくんだよ」
「え」
「アンドが不調な時、誰よりも周りに気を配ってたのは立花さんだからね。立花さんがいなかったら、アンドはもっと現場でコテンパンにされてたよ」
「……」
去っていく立花の背中が、人混みに見えなくなる。
彼なら、アンドの為に頭を下げることは厭わないだろう。撮影を止めてばかりのアンドが降板宣言される寸前で留まっていられたのも、立花のお陰だ。
そこまで考え付かなかった自分は恥じて、改めて志葉という男を見つめた。
子役からこの業界に住み、常に第一線で活躍している彼が、一切努力をしていないわけがない。笑顔が絶えない彼だが、並々ならぬ努力があり、きっと誰も知らない困難や苦労があったに違いない。それを見せない、感じさせない、芯の強さ。
──俳優としては、憧れる。
「また、どこかで共演できたらいいね。アンド」
「……はい」
「あれ? あんまりそう思っていない感じ?」
「いえっ、志葉さんがそう言ってくれるとは思ってなくて」
「ははっ。だって言ってくれたじゃない。あんなに堂々と、舞台の上で。俺を倒す宣言」
「た、倒すって……! そんなつもりで言ったんじゃ──」
「いや、いいんだよ。そういう人がいないと後が続かないし。俺もつまらないから。アンドのことは、ライバルとして不足ないって思ってる」
ちらっと見上げられ、不意にその顔が顰められた。
「ちっ、その高身長マジでムカつく」
「……え?」
* * *
《俺は、志葉さんに負けません。志葉さん、あなたが、俺のライバルです》
《──とアンドさんは志葉さんにライバル宣言を堂々とし、話題になっています》
《いやーすごいですねぇ。私だったらこんなこと言えないなぁ》
《以前、授賞式前のインタビューで志葉さんがアンドさんのことを個人的にライバルだと仰っていましたよね。ある意味、相思相愛ですよ!》
《若いなぁ、若いっていい》
《えー、アンドさんは今、話題になっているテレビドラマ、南家の受難で長男の卯月を演じていらっしゃいます。皆さんもご存知だとは思いますが、先日、最終話が放送されました。感動のハッピーエンドでしたよね。中でも、卯月の妄想シーンとネットで盛り上がっているシーンがあるんですが……最中さん、分かりますか?》
《分かりますよ、あれでしょ? 学校でいじめられている弟を助けようと、いじめっ子を殴るシーン》
《はい。それは卯月の癖でもある妄想であって現実で起きたことではないんですが。アイドルをしているアンドさんと、それまでの卯月の姿からは想像できないほどの豹変だったので、ファンを中心に知名度を上げるきっかけにもなったんですよね!》
《確かに迫力はあったよねぇ。中には今回の受賞を訝しむ人間もいるみたいだけど、最初がどうであれ、賞を獲るに値する演技をしていたと僕は思いますねぇ。実際、話題になってるんでしょう?》
《はい! そうなんです。話数が進むにつれて、アンドさんの演技に引き込まれていったという方も多いんじゃないでしょうか! ──続いては、最優秀男優賞を獲ったこの方! 超人気アイドルグループ、デーフェクトゥスのミカさん! 両親を殺した犯人を探す殺人鬼といった難しい役柄に挑戦した作品で見事、最優秀男優の名を射止めました。最中さんも注目していましたよね?》
《ええ、彼はいいですよ。顔の美しさとか中身の強気なところとか、もうファンの感想になっちゃうんですけどねぇ。演技も素晴らしかった。映画ということでね、まだ公開中なのでぜひ見てもらいたいんですけど!》
《興奮してますね、最中さん》
《いやぁ、ミカさんに関しては私、冷静なコメンテーターじゃいられないですよ! ……と冗談はここまでにして。最近、アイドルにも演技力というのが求められてきて、備わってきているというのが現状ですよねぇ。全く、未来が楽しみですよ。これが、アイドルである彼らが見せてくれる夢や希望の一つなんでしょうな!》
《そうですね。今後も目が離せそうにありません! 以上、エンタメコーナーでした》
《続いては明日のお天気です、》
──頭上にあるテレビ画面を見つめる瞳は、何を思っているのだろう。
授賞式後、社長への報告とをしに会場を後にしたアンドは立花と共に事務所へと寄っていた。
賞を獲ったことを告げると、社長は手を挙げて喜んでくれた。よくやったと背中を叩いてくれもし、その力があまりにも強かったので咳き込んでしまったぐらいだ。それほど嬉しいと思ってくれたのだろう、アンドは自然と笑顔になった。
これからも期待しているとの言葉を最後に社長室を退出したアンドは、デスクに置いてある資料を取りに行きたいと言った立花を待つ為に、休憩所に足を伸ばした。本当は一人でも宿舎には帰れるのだが、今日ぐらいは送らせてよといつもと同じ言葉を吐く立花の優しさを無碍にできず、待っていることにしたのである。
その休憩所は六畳ぐらいの広さがあり、二つの自動販売機とウォーターサーバー、壁に沿ってブイの字に設置された革のソファの他にテレビが天井から吊るされている。無人であるのに淡々と音声と映像を流し続ける画面には、早くも授賞式の模様が映し出されていて。
自分が映ったことにどぎまぎしながらも、スピーチ下手だなぁとか思っているところに、
『──アンド』
キュウが姿を現したのだ。
なんだか最近、よくこんなふうに顔を合わせる気がするのは、気のせいだろうか。
なんでも彼は事務所の個室を使わしてもらい、個人練習をしていたらしい。今日はボイストレーニングだと言っていた。マネージャーと社長の許可さえ貰えればそういうこともできるようだが、デビューして一年が経った新人が率先してやろうと思っても、大体はマネージャーに諭され、ボイストレーニング専用のスタジオに案内されるものだ。が、社長がサンセプに期待をしていること、何よりもキュウが社長のお気に入りだからこそ、彼の要望はいつどんな時でも通るのだろう。比較的に所属している芸能人も温厚な人が多く、そんなキュウの言動に文句を言ってくる人はいない。文句を言うどころか、事務所に行けばキュウに会えると女性を中心に噂が広まり、中には特に用もないのにキュウとばったり出くわすことを目的にやって来る人もいるのだとか。立花が羨ましいと溢していたので、信憑性は高いだろう。
そんな人気者のキュウはどこでアンドの居場所を嗅ぎつけたのか、練習を終えて、真っ直ぐ休憩所にやって来たらしい。しかし、何の話もせず、彼はテレビの画面を無言で見続けている。タイミング的にアンドが受賞したことは見ていると思うのだが……。
どうやら自分はキュウからの祝福を待ち構えているようだ。烏滸がましいほどに。
「頑張ったんだね、アンド」
「っ……ぁ、う……うん、頑張った、つもり、だよ」
構えていなかった、完全なる不意打ちを食い、アンドはなんとか均衡を保つ。
「おめでとう」
「う、うん。ありがとう」
「トロフィーは?」
「あ、立花さんが持ってる。さっき、社長に報告しに行ったから」
「そうか。アンドのトロフィーも、ロビーに飾られるのかな?」
「たぶん。そうしてくれるといいけど」
「社長、喜んでたでしょ」
「うん。背中叩かれて咽せた」
言うと、キュウはふっと表情を緩める。
「抱き締められないだけいいよ。社長、意外に力強いから」
「確かにな。あんな細っこい人なのに」
「ね」
一瞬の沈黙。ただ隣にいて、喋らないことも苦ではなかったが、アンドは口を開いた。今なら、言える気がしたからだ。
「あの、キュウには言っておこうと思ったんだけど、さ」
「うん」
「俺、明日実家に行くことになった」
「……」
「呼ばれたんだ」
「……」
「だから、行ってらっしゃいって言ってくれないか?」
変なことを言っている──自分でもそう思うが、止まらない。
キュウがようやく視線をアンドに合わせてくる。
「明日は、みんなでお休みだよ。アンドだけ、またいないの?」
「え……あ」
「今までもちょっと寂しかったのに」
「キュ、キュウ、」
「帰ろう」
アンドの言葉を遮るように、キュウがソファから立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って」
だが、いつものアンドならそうして背中を見せるキュウを引き止めることができなかったが、気付けば、彼の離れていこうとする細い腕を掴んでいた。
「キュウは、俺がいなくて寂しかったの?」
「何言ってるの」
──そうだ、何を言っているのだ?
「キュウがそう言ったんじゃないか」
──そう、キュウが先に言った。
すると、キュウは視線を斜め下にして、珍しく言い難くそうに口をモゴモゴとさせるのだった。
「……普通のことでしょ? 同じグループにいて、アンドは仲間だ。ドラマの撮影でも、誰かが欠けた状態で仕事をするのは寂しいに決まってる。そうでしょ? アンドもそうじゃないの?」
「……」
ちらっと見上げられ、ふと、志葉とは違うなと思った。比べるまでもなく、キュウにそうされた方が何倍も威力がある。
「アンド? ……何か言ったらどう?」
不貞腐れたように、僅かに、本当に些細な変化であるが、彼の唇が前へ突き出された。
それを見たアンドはどうにもならない感情を裡で殺し、ぱっと掴んでいた手を離した。
彼の我が儘を可愛いと思ってしまう自分はもう既に末期で、戻れないところに足を突っ込んでしまっているのだと理解する。沼ではないだろうか。ここに踏み込んでしまったら、もう後は沈むのを待つだけ──……。
「アンド」
「うん?」
「行ってらっしゃいを所望するぐらいなんだから、ちゃんと帰ってくるんだよ」
「! ……あぁ、うん。もちろんだよ。すぐ帰ってくる」
「ならいい」
そう言って背中を見せる彼を、アンドは呼び止めなかった。
呼び止めてしまったら、ダメだと思ったから。
「──あ、アンドくん」
キュウと入れ違いに、立花が顔を覗かせた。
「ここにいたんだね。宿舎に帰るよ。キュウくんも捕まえたから、みんなで一緒に帰ろう」
「……はい」
立ち上がり、後を追う。
そう言えば、立花が宿舎で豪勢な料理を作って待っていると言っていなかっただろうか。彼は嬉しくてそれを口にしたのだろうが、仲間達はサプライズのつもりなのでは……?
可能性に思い当たり、どう驚こうかなんて考える。
宿舎には暖かい光が灯り、アンドを待っているのだろう。
早く帰りたいと思った。撮影や番宣が続き、キュウが言ったように、あまり一緒にいられなかった。
自分も寂しかったよ。機会があれば、キュウにそう言おうと決めた。
どうか、この幸せがずっと続きますように──アンドは願わずにはいられない。
「あ……雪だ」
予報を裏切る今年最初の雪は、アンドとキュウ、立花の頭上に降り注ぎ、祝福しているのか、これから訪れる困難を頑張って乗り越えろと鼓舞しているのか。
どちらにせよ、この時のキュウは美しく、目が合って笑う姿が可愛いと自信を持って言えた。
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