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Q8
仕事をする上で、スケジュール管理は重要だ。記憶に自信があっても、スケジュール帳の日付ごとに分けられた小さな四角の中に書き込むことは忘れない。日々、覚えることはたくさんあって、スケジュールを覚えるぐらいならダンスや歌をしっかり覚えたいと思う。
アイドルという仕事を完璧にこなす為の領域に、使いたい。
そんな信条を持つユズのスケジュール帳は、女子高校生が使うようなポップで可愛らしい、淡い色を基調としたものだ。男が持つには似合わないものではあるが……言いたいのはそういうことではない。
来週の予定を確認する為に開いた十二月第三週。ぽっかりとした空間に目を奪われたのだ。
二十四日、世間は一喜一憂するだろう、クリスマスイブ。なんだかんだいって特別な日になりそうな予感を思わせる日。
そこの予定がない。あれ、なんて思い、ユズは携帯端末を手に取り、マネージャーにメールを送る。すると、すぐさま返信が来た。
【間違いはありません。十二月十四日、ユズくんはお休みです】
と。
「……え。待って」
ユズは慌てて、もう一冊の手帳を取り出した。中身はスケジュール帳と大して変わりないが、サイズは小さく、予定を書く欄も狭い。しかし、過ぎた日付の隣には全て黒い文字で埋め尽くされており、それは予定だったり、感想だったりと一見、内容は決まっていないように思えるだろう。
ユズは先にある二十四日の欄を凝視する。──空白。
それは一つの未来を示している。
マネージャーである立花の方針で、メンバー間の仕事の予定は共有していた。時間までは知らずとも、今日誰が何をしているのかは分かる。
つまり、休みの日も予想しやすいということである。
「なんてこと」
ある事実を把握した瞬間、衝撃が走った。
「これは……、っ」
深夜一時、叫びそうになって、口を手のひらで覆った。
* * *
運命の十二月二十四日。早い時間から、続々とメンバーが宿舎を出て行く。それを笑顔で見送りながら、まだ開かないとある扉をちらちらと見る。
心臓が破裂しそうだ。自分は冷静でいられるだろうか?
カチャリ。
その時がやってきた。扉の取っ手が回される、金属音がいやに宿舎内に響いたようで、ユズは生唾を飲み込む。
「──おはよう、ユズ」
「おっ、おはよう……キュウくん」
「ん……まだ眠い」
ふぁぁ、と無防備にあくびをする。
それから目が離せないまま、暴走しそうになる自分を必死に宥めた。
クリスマスイブ、謂わば、勝負してもいい聖なる前夜祭にて。ユズは一日、キュウと二人きりで宿舎にいる権利を得た。
yUz side:rest:love
「いただきます」
「ど、どうぞ」
眠気眼なキュウがゆったりとした動きで、焼かれた食パンに手を伸ばし、銀の匙でマーガリンを塗り始める。
休日のキュウはどこか子供っぽく、寝癖もそのままで、服だって寝間着のままだ。小さな水玉模様のパジャマ、とは妄想の類でそうはいかないが、灰色のスウェットはまるで彼の為にあるようによく似合っていて、朝から見るには少々目に毒である。
「おいしい」
「ふふ、よかった」
キュウは知らないだろう。ユズの裡に秘められた想いなど。
「そういえば、今日はユズと二人きりだよね」
「あ……っ、うん」
だから、こうして無防備に無神経を重ねて言うのである。
「どこか行く?」
「え……?」
「僕は特に予定はないけど」
「そ、それはお誘い?」
言い過ぎたかな──思うものの、キュウは笑って、罪作りにも頷く。
「そう、お誘い。一緒にお出かけする? 今日は、クリスマスイブだっけ。目立つかな」
──目立つところに行こうとしているの?
「キュウくん、」
「ユズは何か予定ある?」
「……ないよ、ない。僕もキュウくんといたい」
「はは。かわい」
「! ずる、っ!」
「ふは」
「……キュウくん」
どうやら彼はユズをからかって遊んでいるらしい。
それが分かって睨むユズだったが、こうしているキュウも独占できるのだと気付いて、普段は叶わないだろう要望を吐露してみた。
「外じゃなくて、ここがいい」
「うん?」
熱いカフェオレを口にしていたキュウが、マグカップから口を離さずユズを見てくる。
そんな外見の暴力に耐え、ユズはやってやろうと決意した。
「お部屋デート、しよ。キュウくん」
* * *
二人しかいない宿舎で。朝食を終えたキュウがキッチンでお皿を洗っている。その後ろ姿をソファに座ったまま見つめるユズは……。
鼻血を抑える如く、顔面を両手で押さえ、悶々とした気持ちの逃げ場所を作るように足をバタバタさせていた。
もう我慢できない。憧れのキュウと二人きりなんて──夜まで? これが夜まで続くのだろうか。
「やだ、心臓こわれる……」
「ユズ」
「ひゃっ」
「?」
軽く悲鳴を上げたユズに、キュウが不思議そうに首を傾げる。
──首が長い! 無駄に色っぽく、扇情的に思えるのは邪な目で見ているから?
「なにする?」
「なにする?!」
「うん。デートって、なにすればいいのかな? ユズ教えてよ」
キュウが隣に腰を下ろしてくる。
「え、ぇ……あ」
「なにをしたらデートになる?」
「え……と」
「ユズがしたいことでもいいよ」
「ぅ、んむ……むむ」
「うん?」
「ひ……膝枕?」
──あれ? 違う? 違くない?
「わかった」
キュウが自身の膝を叩く。
これは、もしや……明日、世界が終わってしまうのではないか?
「おいで? 硬いかもしれないけど」
「キュウくんの膝なら硬くても問題ない」
「……あ、そう? なら早くおいで」
「う、うん」
──あぁ、世界より、自分が死ぬのかもしれない。死因は、ときめき死だ。キュン死にとも言える。とにかく心臓が止まってしまいそうだった。
だが、ユズは理性と本能と欲望に忠実である。
「待ってて。ゲーム持ってくる!」
「うん、ふふ」
おいで、と手招かれるなら喜んで飛び込んでみせるのだから。
* * *
リビングに軽やかな音が満ちる。後は二人分の息遣いと、本を捲る音が紛れ込み、たまに衣擦れの音が現実を感じさせる。
ユズはキュウの膝に頭を乗せ、両手にゲーム機を握って、アクションゲームに意識をやる。でないと、発狂してしまいそうだったから。……もう言うまい。
「……」
キュウは小説を読んでいた。彼が読書家なのは知っていたが、何やら題名は怪しさを放っていて。
【美しい男のアカイ唇】
なんだ、ボクを殺す気か?! などと逆ギレしたい気持ちを抑えた自分を褒めたい。
内容が気になって仕方ないが、問う勇気もない。自分の頭がキュウに触れているだけでも限界なのに、卑猥な文章を大して顔色も表情も変えないで読んでいると知ってしまったら、生きていけない。
「……」
気付かれないように、深呼吸をする。
ゲームに集中しよう。
そう思い、画面を注視した最中、彼の“アカイ唇”が動くのを見た。
「これ、デートって言う?」
「え」
「僕は楽しいけど、ユズはちゃんと楽しい?」
「た、楽しいよ! だってボクは膝枕してもらってるし……。だって、みんながいたらできないでしょ?」
「膝枕ぐらいいつでもしてあげるけど」
「エ。それは本当ですか」
真面目な顔で聞き返してしまった。
頷いたキュウはぱたりと厚めの本を閉じ、顔を近付けてくる。
「へ、」
「ユズはどんなゲームが好きなの?」
「え……あ! えっと、こういう戦う……」
ずっと膝枕をしてもらうのも忍びなく、ユズは上体を起こし、ゲーム画面を見せることにした。
「勇者が魔王を倒しに行くっていう王道ストーリーなんだけど、ところどころに謎解きをする場面とかもあって」
「へぇ」
興味深げに、キュウは画面を見つめる。
「キュウくんはゲームとかあまり、しないよね?」
「うん。操作が苦手なんだ」
「触ってみる?」
「いいの?」
「う、うん」
ちょっと嬉しそうに笑った彼にゲーム機を渡す。その時に触れた指先や近過ぎてぶつかる肩の方が、膝枕よりもユズをドキドキさせた。何故だろう。触れそうで触れられない距離が、そうさせるのか。
「左スティックで移動だよ。ここでジャンプして」
「うん」
それからしばらく、ユズが指南する声とキュウの相槌、重厚感を増したゲーム音が室内に響いていた。
* * *
「なんかお腹空いた」
ゲームをして三時間が経った頃。あまりゲームをしないというキュウはすっかりアクションゲームにハマり、ユズの教えもあってか、めきめきと上達していった。もしやキュウにできないことはないのではないか。さすがキュウだ、と思うのであるが。
「そういえば僕もお腹空いたかも」
キュウも空腹は我慢できないようだ。
朝食はパンとハムエッグにカフェオレだった為、まだお昼ではないが二人のお腹の虫が騒ぎ始めているらしい。
笑い合う。
「お昼、なににする?」
「どうしようか」
ゲーム機の電源を落とし、キュウが考え込む。
宿舎では、立花がいない時の出前は禁止されていた。セキュリティーは完璧だと謳われていても不測の事態が起きるのを防ぐ為であるのだが、こういう時、不便である。
「買いに行く? それともなにか作る?」
食材は十分に備蓄されているので、作る分には困ることないが……。
ユズが冷蔵庫の中を見に行くと、キュウも後を追ってきて、背後から覗き込んできた。
「ユズは食べたいものある?」
「う〜ん」
「ご飯か、麺か、パン?」
「そうだねぇ」
実際、キュウと食べればなんでもいいというのが本心だが言うまい。これも平常心を保つ為の自制──
「僕はユズと食べれればなんでもいいよ」
「はぅ!?」
「? どうしたの?」
「きゅ、キュウくんは、ボクをどうしたいの?」
「どうしたい、って?」
「だって、さっきから……ボクを殺しにきてる」
上目に彼を見た。彼も、こちらを見下ろしてくる。
そんなキュウが言葉を続けないことをいいことに、ユズは二の句を継ぐ。
「あのファッションショーの時もそう。キュウくんはボクの心を掻き乱すのが上手だよ」
その時、右手が重なった。上にあるキュウも手に力が込められ、冷蔵庫の扉が閉められていく。確かに、開けっ放しは電気代の無駄だ。
けれど。
「キュウくん」
離れていこうとする右手を掬った。
「ボクのこと、揶揄 ってる? こうして触るだけでボクの心臓はね。ドキドキするんだよ──キュウくんは?」
「……ユズ」
「違うよね、キュウくんはこれぐらいでドキドキなんて、」
「してる」
「……?」
不意に、耳朶に温かさを感じた。何だと思う間もなく、それがキュウの吐息だと理解する。
「……っ」
慌てて体を反転させる。
すれば、キュウは長い首を縮めるようにして顔を俯けていたのだった。
「え……」
思っていた反応でなくてユズは戸惑う。自分の知っているキュウなら、淡々と自身の気持ちを正直に口にするし、なんなら天然な部分を垣間見せて、もっとユズを追い詰めてくるだろう。
……それなのに。目の前にいる年上の男は、何をしている?
「キュウ、くん?」
「ユズこそ」
「え?」
長い前髪の間から、弱りに弱った、潤んだ瞳が覗く。
ぞく、とした。
「ユズこそ、今日は、僕を殺しにきてるだろ」
「えっ?」
「なんか、いつもより……可愛い」
「!!」
ぶわっと、全身の毛穴が開いたような気がした。
その言葉に混乱しているうちに、キュウが口を開く。
「なに? ドキドキしてるって……。それはどういうこと?」
「きゅ、……ぇ」
「ユズは今、僕にドキドキしてるの? ……そういうふうに言われると、弱い」
「……!」
「僕は、そういうの弱い」
「……キュウく、ん」
恐る恐る手を伸ばし、彼の前髪避けてみた。──真っ赤だ。いつも淡々と、その適度に肉がついた柔らかそうにも思える白肌の頬が上気するのはライブの時ぐらいで、鮮やかに色づくなんて見たこともない。毎日彼を観察しているユズでさえ、初めて見る顔だ。
「なん、で」
思わず口から出る。
「ファッションショーの時は、あんな大勢の前でき、キスしてきたじゃん……! 終わった後だって、平気そうに、ドキドキしてるボクを見て普通に笑ってたじゃんっ。なのになんで……、え? やっぱりキュウくんボクを揶揄って──」
「仕事とプライベートは違う」
きっぱりと言い切る声音は少し浮ついていて。キュウは困ったように首筋を掻いた。
「ファッションショーでは、仕事だったから。ファンを喜ばせたかったし、ユズが可愛かった。それよりも、衣装に悪戯をされたでしょ? 僕はあれが許せなくて、なにか、特別なことをしたいって思ったんだ。彼女達の嫉妬が無意味だってことを、知らせたかった」
「……」
「断りもなくキスをしたことは謝らなくちゃいけない。時間が経っちゃったけど、ユズ、ごめん。もうしないから。あの時のことは許してほしい」
「……キュウくんは、ボクが怒ってるって思うの?」
──あれ、何を話しているんだっけ。
話の目的を見失ったのは、キュウの言葉を受け止めたからだ、理解したからである。
言葉を精査するまでもなく、彼はあのすらりとした女性達ではなく、ユズを“一番”だと示した、と言っているのだ。そういうことだろう?
モデル達の嫌がらせの目的が、花嫁衣装を着れなかったことや、麗しいキュウとのウォーキング機会をユズに奪われたことによる嫉妬で。それを聞くまでもなく悟り、怒ったキュウが、彼女達に示した──ユズの方が好みだと──。
自惚れでもなんでもいい。詰るなら詰ってくれて構わない。今だけは。
「キュウ、くん」
「ユズ……?」
今だけは、“この時”を邪魔しないでくれ。
ユズは両手でキュウの頬を包み込み、顔を近付けた。
唇が触れる寸前で止め、瞳をかち合わせる。
「怒ってない。確かに、仕事とプライベートは分けるべきだよね。でも、仕事の時はドキドキしないのに、今はしてるって言うの、ずるい。ボクはいつでもしてるのに」
「……ごめん」
囁き声がすぐ側から耳に入ってきた。
「あまり、慣れてなくて。恋愛とか、したことないんだ。だから、前に恋愛映画のオファーがあったんだけど、受けなかった」
「え! 初耳だよっ」
「うん。立花さんに言わないでって言った。ファンからエロいって言われてるのに、恋愛もまともにしたことないんだ。僕はいつでも期待に応えたいと思う。でも、ほら」
「っ」
手のひらに擦り寄ってくる。
「ユズにこうされるだけで、すぐに顔が赤くなるんだ。一回、立花さんに抱き締められたことがあって」
「はい!? なにそれ」
「僕の顔が真っ赤になったのを見て、驚かれもしたけど、その危うさを教えられた。例えば、事故で女の人に触れたことにする。僕は赤面してて、その場面をカメラに撮られたら、アイドルの僕の寿命はなくなる。たった一回、されど一回。焼きついた印象を変えることは難しい。それだと、僕は、みんなと一緒に一番にはなれないから。他人と触れ合うことは慎重に、って立花さんとの約束。実は、あのステージでのことも軽く注意されたんだ」
「ぇ」
「僕とユズがキスをして、喜ぶ人とそうじゃない人がいる。みんなを幸せにするアイドルが、人を選ぶようなことをしちゃダメ。立花さんは優しいからそこまで言わなかったけど、そう言いたかったんだと思う」
「キュウくん……」
ユズは、自分のことばかり気にしていた。キスをしたキュウの気持ちは推測するしかなくて、でも答えは見つからなくて……今がいいなら、と思考をやめてしまった。
キュウが起こした行動が起こす波紋をユズは想像しきれていなかったのだ。
キスをしたのはキュウなのだから、責任は彼にあるのかもしれない。怒られるのは承知だったろう。
しかし、そう割り切れないのがユズである。
「ここまで話したから、気付いてるかもしれないけど。僕、こうして触れるとすぐ赤くなっちゃうんだ。心臓がドキドキして、よく分からなくなる」
「それ、他に知ってる人は?」
首を振る。
「立花さんの他には、ユズだけ。メンバーも知らない。だって、こうして触ってくること、滅多にないでしょ?」
眉尻を下げて笑うキュウは普段よりも幼く見えた。
「ユズだけだよ。僕に触ってくるのは」
「だっダメ?!」
「え?」
「触っちゃ、ダメ? ボクは、キュウくんが好きだよ。好きだから触る。スキンシップ、したい」
「……どストレートだ」
「あ」
「ふふ、」
「あ、やばい、ちが……! 間違えた、調子乗った、違くて、えっと──」
「いいよ」
再び手が重なる。今度は両手だ。
離すタイミングを逃して、キュウの顔を固定したままだったユズの手を、彼は優しく掴んできた。
「僕もこのままじゃダメだと思ってた。アイドルなら、触られるぐらい大丈夫にならないと」
「で、でも」
「ユズが嫌じゃないなら、これからも触って」
「……っ!」
触ってとか触 れるとか、ユズの脳内は段々と愛に沸騰していく。
「ぅぅ……やだ、キュウくん……イケメンすぎて、死ぬ……っ」
「ははっ、ユズは面白いことを言うね。──ユズも可愛いよ」
「ふぃ!?」
「あはは」
「ちょ……キュウくん?!」
「ありがとう、ユズ」
「……!!」
──外国では、それは挨拶だという。だが、ユズがそれを悠長に挨拶だと思えるだろうか。思えるわけがない!
しかし、自分の容姿をしっかりと把握し、グループの立ち位置も理解しているアイドルのユズは、男であって、強かだ。虎視眈々と獲物を狙うことだってする。
だから、この機会 を逃しはしなかった。
「どういたしまして」
だらりとだらしなく緩みそうになる表情筋に力を入れ、大したこともないと言わんばかりに、キスを返した。外国の挨拶。そう、挨拶である。
リップ音は上手くならなかったが、柔らかい頬は堪能した。唇が覚えている。
大丈夫。自分自身が獣にはならないだろう。
* * *
気を取り直すように冷蔵庫を覗き、ユズとキュウはうどんを食べることにした。温かいきつねうんである。
そして午後は午前中と特にかわりなくまったりとした時間を過ごし、二人はほぼ一日中くっついていた。ユズが所望したように膝枕を交互にしたり、互いを背凭れに座ったり。
極めつけは、キュウの足の間にユズが座り、まるで抱き締められているような体勢になったことだ。
本当にデートだった。思わずほぅと恍惚な吐息を漏らし、今日死んでも悔いはないと胸に抱いたぐらいで。
しかし、その体勢を帰宅したメンバーに見られた時。まだ死ぬわけにはいかないと思った。
「──オマエら、何してんの」
呆れているような、引いているような声音をケィが出す。
その後ろにいたフールが事態を把握するなり、大きな溜め息を吐いた。
「貴方達はよくもまあ、飽きないですね」
「え。どういう意味?」
「暖かいところにいるのに、まるで子熊のように身を寄せ合っていることを皮肉ったんですよ」
「ふ、フールくん……」
すたすたとフールが自室へ去っていく。
「フール、どうかしたの?」
「あ、わかるか?」
キュウの問いに、ケィは嬉々とした好奇心を表す。
「フールのヤツ、ブラックコーヒーを飲んだから不機嫌なんだよ」
「えっ、フールくん、コーヒーは砂糖をもうこれでもかっていうぐらい入れないと飲めなかったよね?」
「なんでそんなことになったの?」
「それには深い事情があってさ。まぁ、手早く言えば、先方のお偉いさんが飲め飲めと酒のように勧めてくるから、断れなかったんだよ」
「うわぁ……」
その時のフールは氷を纏ったように冷たい空気を醸し出していたに違いない。何故かそういう時、相手はフールの機嫌が悪くなっていることなど気付きもせず、自ずと煽るので尚更タチが悪い。
今はフールに近づかない方がいいなと思うユズに反して、キュウはゲーム画面をユズに見せながら、全く違うことを思ったらしい。
「じゃあ、僕、フールのところに行ってくる」
「勇者か、キュウ。近付かない方が身の為だろ」
「そうかもしれないけど、フールはコーヒーが単に嫌いなんじゃなくて、飲むと胃に来るんだ。確か胃薬あったはずだから、それ渡してくる」
「へぇ。そんなこと知ってんだ。オレ、知らんかった」
「ケィが悪いわけじゃないよ。──ユズ、ここのヒントは?」
「え」
ゲームのことを聞かれているのだと理解して、ヒントを口にする。画面は謎解きの場面になっていた。
「えと、ここは、アールをエルに変えるんだよ」
「あぁ、なるほど」
「なに? オマエらずっとゲームしてたのかよ。今日一日休みだったろ」
そう言いながらケィはマフラーを取ることもせず、キュウの隣に座り、ゲーム機を見つめる。
「うん。ずっとユズといたよ」
「へぇ」
「あ、忘れてた」
「何」
「おかえり、ケィ」
「……んだよ、おせぇだろ、言うの……ただいま」
「うん」
──もうデートも終わりのようだ。
謎解きを終えたキュウはゲームを終わらせ、ありがとうとユズに礼を言って、フールの元に向かう。
ケィと共にリビングに残されたユズは、自分も自室に引き上げようかと腰を上げる。
刹那、
「今日さ。アンド、受賞するの確定だってさ」
「え……ほっ本当!?」
ケィのもたらした情報に、ユズは座り直す。
「なんでケィくんが知ってるの? 発表までは絶対に知れないことじゃなかったの?!」
「オレを誰だと思ってんだよ。情報網はたくさん持ってるぜ。結構有力なものだから、なんか祝いでもすっかなぁってフールと話してたんだけど」
あの様子だと忘れてんだろうなぁ、とフールの機嫌を思い出したらしいケィは呟く。
その横で、ユズは考えを巡らし、思いついたまま言葉を発した。
「ボク、いいこと思いついたんだけど!」
「あぁ?」
──後に、ユズの思いつきが一転してギンの動かない表情をどれだけ動かせるか、という趣旨の料理対決になろうとは誰も、ユズでさえ想像できなかったことだろう。
十二月二十四日。初雪が降った夜、サンセプが暮らす宿舎は深夜になっても灯りが落ちることなく、楽しそうな笑い声が絶えず家中に響いていた。
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