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Q11

 誰にでも秘密がある。後の為に現状は秘めておきたいことか、一生貫き通したい(ひめ)(ごと)とか……。  いや、こう言い換えよう。  ──誰でも、一度は秘密を()いたことがある。 kEy side:resT:kissable a mole 『──こういう世界は初めてですか? 一度でも事務所に所属してテレビに出たり、雑誌に出たり、』 『ないです。初めてです』  目の前にあるのは、圧倒的な不利。困惑が輪の中に広がっていって、打開策は出てこない。  光に向かって歩き出した先に突如出現した暗雲。乗り越えなくてはいけない壁。  誰が自分達を潰しにかかってきている?  この世界は弱肉強食。食うか、食われるか。その瀬戸際で戦い、今日まで生き延びてきた。  飛び出る釘は打たれる。引っ込むまで叩かれる。引っ込まずとも折ることができれば、ハンマー役は満足するだろう。  しかし、これは。  目の前に用意された困難は何故か、ケィに打破させようと必死である気がした。 * * * 「──ケィ、おまえ、すげぇな」 「あ?」  すぐ横に座っていた大きな子供のコアが素直な賞賛の言葉を口にする。 「これ。すっげぇ話題になってる」 「……」  彼が示したのは、とある雑誌だ。若い女性をターゲットにしたファッション誌なのだが、今号でサンセプが特集された。といっても、編集部がオススメする注目の人物、という大きな特集の中でたった二ページ、載っただけだ。が、そのたった二ページがこの先を左右する時もある。  今がその時であると、コアに言われずとも、ケィにも実感があった。 「おれ、ケィのことよく知ってるわけじゃないけど」 「おい。そこは知っとけよ」 「けど! 新しいケィを知った気がする」  にっこりと笑い、コアは感慨深そうに誌面を眺める。  そう。ケィは、サンセプに課せられた圧倒的不利な状況を、結果的には有利にさせたのだった。  先日の撮影の際、決まった衣装とヘアスタイルで立つケィ達を見て、カメラマンは何か物足りないと言って、アクセントを加えたかったのだろう、アクセサリー類をスタイリストに持ってこさせた。が、その持ってきたものがよくなかった。  使用する衣装が、あの時あの雑誌であの俳優が着ていたものと同じだ、というのはある話である。しかし、衣装と小物、それらの組み合わせは既視感を覚えさせるもので。一言で言ってしまえば、パクリ、であった。  ある時ある雑誌であるアーティストが世間を騒がせたインタビュー記事。カメラマンは、ケィ達を撮ってくれていたあの男であるのをケィは覚えている。  つまり、仕組まれたと言っても過言ではないだろう。こういう場合、後から出た方が悪いとされ叩かれるのだから。  サントラップセプテットというグループをよく思わない者の画策だった。  カメラマンにそれを指摘するか、このまま言われた通りアクセサリーを身につけて、既出のスタイルで撮影してもらうか。  その二択で揺れ動いた。実際、言われたことを言われた通りにするしかケィ達には選べなかった。カメラマンの男も実績は十分にあり、尊敬もされている人物で、大物と言ってもよかった。そんな彼に楯突いたとあっては、新人アイドルという肩書きのサンセプは、それこそ圧倒的に不利だ。潰されるのがオチだ、一番なんてなれない、なれるのは底辺の一番。  戸惑うメンバーを目の前に、ケィの頭にはあることが浮かんでいた。  ──自分が、全部、コーディネイトしてやる。  やめた方がいい。すぐさま冷静な自分がそう思ったものの、けしかけられたことに、熱くもなっていた。  ここで終わるわけにはいかない、相手の思い通りになってたまるか。  だからケィは、それまで培ってきた知識をフル動員し、自分の好みを反映した。  嫌だったが、これも自分の為に、トップにのし上がる為だと思い、もう見ないふりをした──……熱視線を送ってくる男の存在なんて。 『モデルの真似事、もうしないんじゃなかったっけ?』 「──ケィ」  朦朧としていたことに気付いたのは、耳のすぐ近くで名前を呼ばれたからだった。 「あ……?」 「飲み過ぎじゃない?」 「あー……」  嫌なことを肴にして、酒が普段よりも進んでいたらしい。最初は一つだったグラスが三つも四つもカウンターに置かれているのを見て、ケィは思わず苦笑した。 「そう言ってるオマエはあんまり飲んでなくね?」  理由を追及されたくなくて話題を変えれば、隣に腰を下ろしていたキュウは仄かに目尻を緩くした。 「僕、あまりお酒は飲めないんだ」 「そうなのか? へぇ」 「美味しい?」 「あ? ……うん、まあ。美味くなかったら飲まねぇよ」 「そっか。じゃあ、僕も飲もうかな」 「やめろやめろ、飲めないのに」 「うー……ん」  キュウが瞼を擦る。  朝から夕方まで取材やら次の曲についての会議など、仕事が詰められていた。雑誌のこともあり、人気に火も点きつつあるのか、新しい仕事が舞い込み始めている、ようだ。初めての冠番組を持てるかもしれない、と立花が溢していたのを聞いた。まだキュウ達は知らないだろう。あまり期待させては悪いと思い、ケィからは何も言っていない。  仕事終わり、いつもなら立花が真っ直ぐ宿舎に車で送ってくれるはずなのだが、車が向かったのは都市部から少し離れた薄暗い路地だった。困惑するケィ達の背を押すようにして一軒の店に入った立花は、 『遅くなっちゃったけど。僕から、みんなに。一年、お疲れ様ありがとうの会だよ。あ、これからもよろしくねっていう意味もあるかな』  と、どんなモデルにも負けない綺麗な、純粋な微笑みを浮かべた。  昔馴染みの知り合いが経営しているという小さな店はバーであったが、今日の為に貸し切ってくれ、未成年のユズやコアを考えてノンアルコールも用意してくれているのだと、立花は嬉しそうに言った。  自分達のことを考えてくれたのだ。ケィ達も嬉しくないわけがない。  一瞬で場が盛り上がって、それぞれ好きなように店主に注文をし、寛ぎ始めたのが一時間も前だろうか。  アンドとフールと立花に店主。ユズとコア。ケィとキュウという組み合わせに分かれているようで、それぞれ会話に夢中で誰もこちらを見ていなかった。  キュウと二人。 「オマエとこうして喋るのは珍しくね?」 「そうかもね」 「いつもユズかフールが側にいるからな」 「はは」 「モテるのは辛いねぇ?」 「ううん。好きでいてくれるのは嬉しいよ」 「そうですか」  キュウと話すのは、正直苦手だった。冗談のつもりの言葉も真に受け取られ、気付けば懐に攻め込まれているから。  こうして話すことが珍しいのは、ケィが自主的にキュウと二人きりになるのを避けているからでもあった。  だから探すものの、会話の糸口が見つけられない。店主は立花と話していて、好きなように飲んでもいいということなのだろう、ボトルが置かれてあって、それを注ぐことで間を埋める。それでも更に間を持たせたくて、グラスを煽った。 「飲み過ぎじゃない?」 「ぶ……ッ」 「うわ」  まさか声をかけられるとは思わず、ケィは口に含んだ液体を吹き出してしまう。 「きゅ、急に話しかけんな」 「……ごめん?」  あまり悪く思ってなさそうなキュウに息を吐き、手持ち無沙汰にグラスの表面を撫でる。 「……ケィは」  取り直したように、キュウが声を発する。  ユズとコアがはしゃいでる声が店内に響いているが、その声はよく耳に入ってきた。 「ファッションの勉強とかしてたの?」 「!」 『──こういう世界は初めてですか?』 「……」 「ケィ?」 「ぁ……あぁ、別に?」 「そうなの? 立花さん、ケィの才能を生かせるような仕事を絶対取るって気合入れてた」 「そう、か」 「僕も、すごいと思ったよ。あの場で考えて、みんなに似合うコーディネイトをしたこと。カメラマンの関さんも驚いてた」  あの男は関というのかと思いながら、あの時のことを思い出し、鼻で笑う。 「あれは褒めてたんじゃない。切り返されてイラついてたんだよ」 「……ケィは、あのこと、関さんが仕組んだことだって思ってる?」 「さあな。でも、あのカメラマンがオレ達を好きだって噂はないだろ。懇意にしてるのはデフェだ」 「……」 「オレ、今でもよくわかんねぇんだけど。なんでデフェはコラボ企画だなんて言ったんだ? 知らなかった、パクられたって言えば、オレ達を潰せたのに」  カメラマンが仕組んだ──ケィはそう思っている──今回の画策は、完全にサンセプを潰す為のものだった。用意された衣装やアクセサリーはデーフェクトゥスというアイドルグループがとある雑誌に掲載された時のコーディネイトと全く一緒だったのだ。デーフェクトゥスはサントラップセプテットにとって、ライバル的な存在だ。相手はそう思っていなくても、デーフェクトゥスの動向をこちらは気にしている。だからこそ、類似性、全く同じだということに撮影現場で全員が気付いたのである。それをケィの思いつきで、メンバーの衣装を少し変え、アクセサリーも本来とは違う使い方をしたりしてできるだけ違うようにした。仕上がりは上々、全く同じ、ではなくなった。だが、同じだと訴えられれば弁明はできないはずであった。  しかし、雑誌が発売されると同時にデーフェクトゥスの記事との類似性が話題になる中、誰よりも先に騒動を鎮めたのは、デーフェクトゥスの方であったのだ。 【今回の件は、サントラップセプテットとのコラボ企画であり、類似性は全く意に反することなく、常々応援してくれるファンの皆様に対して、少しでも感謝と楽しんでほしいということから実現したものです】  ファンと報道陣に向けてデーフェクトゥス側が出した声明である。  もちろん、コラボ企画なんてなかった。そもそもコラボできるほどデーフェクトゥスと関わりがあるわけではなく、相方協力的ではない。  なのに、理解ができないのだ。どうしてデーフェクトゥスは自身達の優位性を捨てまでして、サンセプを助けるようなことをしたのか? 「事態を長引かせることでデーフェクトゥスの名前にも傷がつくから、早急に収束させる為に声明を出したって話だった」 「オマエも謝りに行ったの?」 「うん」 「そりゃ大変だったな」  雑誌が発売され、世間が騒ぎ始めた頃、アンドと立花は先方の事務所に出向いて、今回のことを謝りに行った。それは知っていたが、まさかキュウもついていっていたとは。 「でも、あまり怒ってなかった」 「へぇ。あのデフェだぞ。騒動を起こしたオレ達を潰すことなんて容易いのにな」 「……これは、言ってもいいのか分からないけど」  キュウが言う。 「なに」 「デーフェクトゥスのメンバーが、事を荒げたくない、って言ったんだって」 「メンバーが、ねぇ」  脳裏に、圧倒的な声援を浴びる三人組の姿が浮かぶ。 「マネージャーさんとか社長さんはかんかんに怒って、許さない姿勢だったって」 「だろうな。けど、それを止めてまでオレ達は生かされた?」 「うん」 「貸しを作ることで、寛大さを見せることで、追いつけないことを示したのかもな。……非はこっちにあるように画策されてんだ、これだから、」  ──これだから弱肉強食の世界は。 「これでデフェはマウントを取ったつもりかもな」 「ん……」  キュウが目元に手を持っていく。 「でもね、ケィのこと褒めてたよ」 「あぁ?」  思いがけない言葉が飛び込んできて、ケィはキュウを真正面から見てしまった。 「同じ衣装であれだけ違いを出せるのは凄いって」 「謝りに行ったオマエ達に? それこそお世辞だろ」 「ううん」  首を振る。 「失礼しますって言って帰ろうとしたら、僕だけが呼び止められたんだ」 「誰に」 「デーフェクトゥスのマネージャーさん」 「そいつに言われたの?」 「うん」 「うさんクセェ」 「あれだけのことを、関さんが思いつくわけないし、スタイリストさんもできなかっただろうって」 「何様だよ」 「元々モデルしてたんだって。デーフェクトゥスのマネージャーさん」 「……ふーん」 「それで、ケィがこの業界に戻ってきてくれたことを喜んでた」 「……! ……へぇ。そうなんだ」 「うん」 「……」  キュウを見る。何か聞かれるだろうかと身構えたが、なかなか彼は次の言葉を発しなかった。三度、目を擦っている。 「なに。目、痒いの?」 「うぅ、ん。さっき、ユズからチョコレート貰って食べたんだけど、それからぽっぽする」  言いながらまたもや目元に手をやる。 「チョコ食ってそうなるか? なんのチョコ?」 「チョコレート、ぼんぼん?」 「チョコレートボンボン? ……あっ、ウイスキーボンボンのことか! オマエ、あれ酒が入ってんだよ」 「ぁえ? そうなの? 知らなかった」 「ユズのやつ、狙って食べさせたな。オマエ、喋り方もおかしくなってきてるぞ」 「うー……ん」  気付けば、目元が赤く染まり、締まりのない顔つきになってきているではないか。普段は表情があまり変わらない印象だが、酔うとその限りではないらしい。 「ユズのところには行くなよ」 「はぁい」 「……大丈夫かよ」  ここまでキュウが酒に弱いとは思わなかった。チョコレートとはいっても酒が入っているものを未成年に渡すのはどうなのか、と立花のいる場所に目をやるが、大人組も結構酔っているようで。  ユズとコアはいつも通りに見えるが、けらけらと笑いすぎではないだろうか。 「……はあ」  一気に酔いが覚めた気がして、ケィはグラスから手を離した。琥珀色の液体がまだ半分も残っているが、飲めそうにない。  今日は介抱役か、と改めてキュウに視線を戻せば、ふとあるものが目に入った。 「オマエ」 「うん……?」  とろんと溶けた瞳がこちらを向いて、感じた破壊力に慄くものの、咄嗟に頭を切り替えて、話を続ける。 「そんなところにほくろなんてあったっけ?」 「え……?」  しきりに擦っていた左の目尻に、小さな黒い点があるのだ。塵かと思い手を伸ばし擦ってみるが、皮膚と同じく伸びたので違う。 「あ」  ばっと、ケィの手を振り払うようにしてキュウが左目を押さえる。 「え。なに」 「み、見た?」 「あ? ほくろだろ。見たよ」 「ぁ……、ぅ」  何やら動揺しているようである。 「なに、見られちゃいけないものだった?」 「……隠してたから」 「なんで」 「僕の、キャラじゃないから」 「キャラ?」  疑問符が浮かぶ。 「オマエのキャラって何?」 「……えっと。少なくとも、ほくろは、ケィのものだから」 「は? オレ?」  そんな言葉が出てくるとは思わず、ケィは瞬きを繰り返す。 「ケィも、ここに、あるでしょ」  キュウが自身の目元を指差す。 「……あぁ。そういうこと」  つまり、彼が言いたいのは、個性が大事とされるグループ内において、同じ場所にほくろがあることがいけないということだ。 「別にほくろぐらいいいだろ」 「ううん。ケィのそのほくろはえろだから」 「……、やっぱオマエ酔ってんな?」 「うー、ん。熱い」 「クソ。誰だよ、チョコ用意したやつ」  考えてみれば、マネージメントする立花がキュウが酒に弱いことを知らないわけがない。浮かれていたとしても、立花はガードすることを忘れない。だからこそ、今いる店は信用できる人物が営業するところであって、半地下だから窓の一つもなく、こうして羽目を外している姿を誰にも見られない体勢を整えているのだ。  ということは、酒入りのチョコレートを用意した人物は……──。 「って、立花じゃなかったら、メンバーの誰かってことか」  店主は、立花が依頼人なのだから同じ理由で立花自身が何かしらの要望を出しているはずだ。  残るは、サンセプの誰か。しかし、この場所が用意されていることを知ったのは、立花の運転する車に揺られ、現地に着いた瞬間だ。誰も知らなかった。実際、立花はみんなに内緒で、と言っていた。リーダーのアンドも、グループを纏めることも多いフールでさえも驚いていたのだ。子供なユズとコアが心躍るであろうこのことを知っていれば黙っていられないだろうし、何かとそわそわするだろう。それも感じられなかった。ギンは表情が読めず、一応ユズとコアの監督役をしているようだが、知らなかっただろうと決めつける。キュウだってそうだ。  ……なのに、酒入りのチョコレートを“持っていた”理由はなんだ?  探偵になった気分で考える。思考を巡らし、思案する。思いつく限りの可能性を一つずつ検証し、潰していく。  酒に弱いキュウに酒入りのチョコを食べさせることが目的だと仮定して、どうしてそんな考えに至ったのか。  からかい目的? それとも行動不能に陥れ、“何か”をする予定だった?  怪しいのは──誰だ? 「普段、どうやって隠してんの?」 「こんしーらー」 「ふ〜ん」  じゃあ、もしかして、今二人でいることに目を光らせているやつがいる?  純粋に考えてみれば、キュウにチョコレートを渡したユズが怪しいが。 「……ふぁ。眠くなってきちゃった」  潤んでいた瞳を更に欠伸で追い打ちをかけるキュウ。 「寝るなよ」 「うん」 「……はあ」  返事はしっかりとしているが、先程よりも頭がふらついてきているから時間の問題だろう。  そろそろ立花に終わるよう声をかけるのが賢明か。  思考を巡らし続け、そうしているうちに、ケィはあることに気付いた。 「うわ。今日、バレンタインデーだ。だからチョコか!」  想い人にチョコレートを渡す日。 『──いつも応援してます! ケィを知ってから、私の生きる意味ができたんですっ。ケィがいることが、私の生きる意味なんです!』 「っ……く、そ」  ──基本的には、女性が気張る日だ。好きな人に好きだと言うチャンス。世の中もその日に向けて盛り上がり、商品棚には綺麗に装飾されたものや、手作り用のチョコレートが並ぶ。  アイドルだって、無関係ではない。バレンタインデーに向け、ファンレターなどの贈り物も増える時期だった。それこそ、男のファンも多いというデーフェクトゥスなんかは大変だろう。  二月十四日の今日。キュウにチョコを渡そうとしたメンバーがいる……──その事実に思い至ったケィは、また溜息を吐いた。 「なんだってオマエはモテるな」 「うん……?」 「別に。なんでもねぇよ」  露わになったほくろが気になるのだろうか。メンバーにも隠していた小さな点を指先で押さえたり掻いたりするキュウを視界に入れながら、思う。  ──“男”さえ虜にするこの男は、死にたいなんて思ったことがあるのだろうか、と。  不意に興味が湧いた。 「なぁ、聞きたいことがあるんだけど」 「ぅ、うん?」 「オマエは、男が好きなの?」 「……」 「……」 「……え?」  ぱちり。今度はキュウが瞬きをした。 「ど……どういう、いみ?」  チョコレート一つ──かどうかは分からないが──で酔っているせいか、戸惑っているのか。幼さを感じさせる響きで彼は珍しく、こてん、と頭を傾げた。コアがよくする仕草が移ったのだろうか。 「そのままの意味だよ」  そんなキュウを見つめ、ケィは答えを急がせるべく言葉を紡ぐ。 「この前、ショーに出た時、ユズにしてただろ?」 「ユズ……? ……」  目を細め、思い出そうとしているらしい。  あれだけのことをしていてもう忘れているのだろうかと思ったのも束の間、キュウの表情が変わった。 「あれは……」 「分かってる。あの時は“ああする”のが最善だった、オマエならそう言うだろうな。でも聞きたいのはそういうことじゃない。あの時、どうして男のユズにキスができたのか、って聞きたいんだよ。アイドルっていう立場もあるけど、女の子には興味なさそうじゃん? この仕事してたら、近付いてくるだろ? 向こうから」  ケィは経験があった。アイドル、という恋愛禁止が暗黙のルールにある中、世の女性はそんなことは関係ないとばかりに誘ってくる。食事やデート、あからさまに夜の街に溶けたがる人も……。  けれど、自覚はあるのだ。それに一番になることを目的としているのだから、うつつを抜かすわけにはいかないのは分かりきっている。……断っても断っても後を絶たないことに、最近では憂鬱さが増している。  ケィがそうなのだから、サンセプのセンターであり、人気もグループ一のキュウは誘いも非ではないだろう。だが、彼の意識がそうさせるのか、女性と行動している彼は全く見たことない。スタッフであってもそうだ。それ故、男性と行動しているのはよく見るのである。  そうして去年のファッションショーでの一幕。ユズとランウェイを歩くことになったキュウは道の先端で、ファンが待つ観客席に笑顔を向けたのではなく、ユズに対して愛情を与えたのである。言うなれば、悲鳴を上げさせたのである。  不思議なのは、関係者や間近で見た者ですらそれを演出だと思い込み、本当にはしていないと思っていることだ。  しかし、事実は違う。他のメンバーが分からずとも、ケィは見た。……いや、勘と言った方が正しいか。  ──あれは、していた。  間違いない。ファッションショー後、ユズの反応を見ていれば自ずと勘づく。  他が鈍感なのだ。 「僕は……」 「オレ、告白されたことあるよ。男にさ。マジないわって思った。だって、そいつ太ってんだぜ? ありえねぇわー」  ──そう、ありえない。 「……」  キュウが見つめてくる。潤んだ瞳に映り込む自分自身を見つめそうになって、ケィはなんとなくを装い目を逸らす。 「……」 「僕は、可愛いと、思う」  先程よりも輪郭のある声が放たれる。薄い唇、赤い……。 「あの時、ユズを可愛いと思った。意地悪をされたけれど、」 「あぁ、そういえば衣装大変だったよな。あれ、オマエが買い取って好きにできるようにしたんだろ?」 「うん。……たぶん、あれは、嫉妬されたんだと思うんだ。でも、挫けなかったユズが綺麗で、ファンの声を聞いて笑顔になったユズが可愛いと思った。誰よりも、可愛かった。純粋で、いい子だったんだ。そう思ったら僕は……、我慢できなかった」 「!?」  ぶわっと、膨れ上がる。何かが。 「女の人のことも可愛いと思うことはある。けど、アイドルだから誘われても断るし、手も出さない。それをケィがそう思うなら、そうなんじゃないかな」 「……認めるのかよ?」 「うー、ん。自分でもよく分からない。僕は、あまり人と触れ合ったことがないから、」  ユズが初めてなんだよ、と溢すキュウを見つめ続け、ケィは。  グラスから離していた手を彼の方へ伸ばし、後頭部を包むように触れ、何をされるか分かっていない顔を引き寄せる。 「ケィ?」  呼ぶ唇を、塞いでやった。 「ん!?」  触れ合った唇がもごもごと動く気配。胸板を押し返されそうになって、思わず、繋がりを深めてしまった。 「ん……っ」  目尻が赤く染まり、閉じまいとしているのか、細められたそこから雫が垂れる。 「……」  それを拭いながら、弾力のある唇に吸いついて、離した。 「っはぁ」  熱い息が彼から漏れていく。 「な、にすん……の、ふぅっ」 「なに」 「なに、って……」 「オマエは自分をどんなキャラだと思ってるのか知らないけど。十分、えろいだろ」 「……」 「他人のことを気にする前に、自分の魅力をちゃんとファンに見せろ、バカ」 「…………」  雑誌の撮影で気付いたのは、この男の実力はまだまだ底知れないということだ。  美しいと形容されがちなセンターは、ケィの指示を鵜呑みにし、新たな引き出しを開けてみせた。下品ではない、磨き抜かれた蠱惑さ。同性にも感じさせる、芳醇な色香。  雑誌のインタビュー記事には写真も付き物だが、それまで以上にグループとしての特色が出て、メンバーの新しい一面を引き出せたとケィは自負している。これで、頂点にまた一歩近づくことができた。そう思えている。 「ほくろだって、オマエの大切な一部だろ。隠すことない、」 「ケィは」 「……あ?」  ──キュウの顔が目の前にあった。  照明の光度が落とされている店内、バーに相応しい、酒場特有の性と直結した何か。それらが二人に纏わりつく。 「ケィはずるいね」 「な……何?」 「ずるい」 「どこが」 「分かってるくせに」 「わ、わからねぇよ。なに?何がずるいって?」  狡いのはキュウの方であろうに。ファンもたくさんいて、誰からも好かれて、必要とされている。サンセプはキュウがいないと成り立たない──そう言われているのを、知らないのだろうか。  ──知らないとは言わせたくない。 「僕は、今日、ケィを褒める気だったんだ」 「褒める? なんで」 「撮影の時のこと。僕達は、知らずのうちに萎縮してた。冴木さんの撮影を目の当たりにして、ちょっと意地悪なことをされて」 「あれをちょっとの意地悪って言うのはオマエだけだよ」 「ううん、偶然かもしれないでしょ。たまたま身に付けるものが一緒だっただけ。実際、関さんもスタイリストさんも何も知らなかったって言ってた」 「……それをまともに信じるかね」 「信じないと足元を掬われる」  その言葉に、どきりとした。 「信じて裏切られた時より、信じなくて裏切ってしまった時の方が嫌だから」 「……」 「僕は男が好きなのかな」 「は、はあっ?!」  ころころと変わっていく話の内容に、ケィの思考は混乱し始める。そういえばキュウは酔っているのだったと思い直した時には、もう遅かった。 「みんなといるのが楽しくて。女の人といるより、ケィ達を取りたいって思うんだ。ユズと手を繋いだ方がいいし、コアを抱き締めた方がいい。フールがたまに笑ってくれるのを見ると心臓がどきどきするし、アンドは頼り甲斐があって甘えたくなる。ギンは僕のことよく分かってくれて、甘やかしてくれるし、」 「な……なに、言って……」 「ケィとのキスは気持ちいい」 「!」  キュウが微笑む。 「僕にとってみんなは大事で、必要な人だよ。で……えっと、何が言いたかったんだっけ。……あっ、そう。──ケィのお陰で、サンセプは潰れず、次に行くことができた。ケィが僕達の新しいところを見せてくれたから、また僕達のことをみんなに知ってもらう機会ができた。ありがとう。ケィ」 「……は、」  戸惑った。彼の言葉は常にストレートで、小っ恥ずかしいことも平気で口にするような男だが。これは……。  呆然としているケィの唇に、キュウのそれが再び重なった。彼の顔は酷く真っ赤で。酔っている、というより酔っ払っているのが一目瞭然で、タチの悪い酔い方をする人間なのだと理解した。けれど。 「……!?」  粘膜同士が合わさるなんて思っていなかった。 「ん」  けしかけたのは自分だ。それは認める。しかし、キュウが、仕返しをするとは思っていなかったのだ。  意思を持って蠢く肉の塊。触れたそこから、微弱な電流が走るようで。  キュウから離してくれるまで微動だにしなかったケィは、 「ケィは女の子好きかもしれないけど、男もいいって思うでしょ?」  そう言って笑い、ふっと意識を失うキュウを危うく受け止め損ねるところであった。 「あ、っぶね」 「…………」  腕の中から、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。起きているのがもう限界だったようだ。  ぐっと腕にかかる重さにキュウという一人の人間を感じながら、果たして彼は結局何を言いたかったのだろうと思う。自分のどこが、狡かったのだろう?  狡い、なんてキュウの為にあるような言葉なのに。  視界には綺麗な寝顔と、左目の下にあるほくろ。  ケィは、なんとなくそこへ口を近付けた。 「あーーっ!!」 「ぅぎぃ」  あまりの唐突な大声に変な声が出た。  見ると、コアがこちらを見て指差していた。 「キュウ寝てるじゃん!」 「えっ、キュウくんどうしたの?」  その声に釣られてか、アンド達もこちらを向く。ユズが近寄ってきて、反射的にキュウの顔を隠した。 「オマエ、ユズ。こいつに酒入りのチョコ食べさせただろ」 「え。うん」 「キュウ、酒弱いんだってよ」 「え!?」 「もう食べさせんな」 「それで体調悪くなったの!? ごめんね、キュウくん」 「オレが介抱するから」 「うわああぁん、キュウくん。悪いことしちゃった」 「キュウってお酒ダメなんだ。ザルだと思ってた」  コアが呟くのを耳にしながら、ケィは誰も知らない秘密を隠したままにすることを望んだ。  しかし、抱えた秘密は日々が過ぎていくにつれて大きく膨れ上がり、黙っていられなくなる。 「──これ。どういうことか、分かる?」 「それ」  眼前で揺らされるものに、視線が惹きつけられる。嫌と言うほど鮮明に写された、夜の風景。そこに溶け込む二つの影。 「アイドルって、恋愛禁止なんじゃなかったっけ? それとも。“こういう”のは許されるわけ? これ持ち込んだらスクープになると思わない?」 「……」 この秘密を、どうしたらなかったことにできる?

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