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Q13-1
key side:idol:beat
“彼”と会ったのは、それが最初ではなかった。
「──おはようございます」
気持ちのいい挨拶。そのはずなのに、どこか小馬鹿にした……ねっとりと、こちらを舐めるような言い方に、足を止めずにはいられなかった。本当なら無視でもして横を通り過ぎるべきだ。けれど、相手は格上。認めるのは癪 ではあるものの、芸能界はどこまでいっても上下関係である。
「……おはよう、ございます」
しかし、少々ふてぶてしくなってしまうのは、また仕方のないことだ。
「最近、よく名前を見かけますよ」
反吐が出そうなほど完璧な笑顔。腐っても、モデルだと思う。
故に、ケィもアイドルであり続ける。
「ありがとうございます。そう言って頂けると、嬉しいです」
「……ふは」
「なんですか」
「ケィ。……いや、」
“冴 木 美 乃 ”は笑みの種類を別のものにし、舐 るように目を細める。
「鈴木馨 。モデルの真似事、もうしないんじゃなかったっけ?」
ねぇ? と、冴木が一歩距離を詰めてくる。
「オレ達の番だから、」
「待ちなよ」
横を通り過ぎるつもりが、腕を掴まれる。その力が強くて、思わず冴木を睨んだ。
……腹立つことに、百九十に迫る彼を睨むには見上げなくてはならない。腹立つことに。
「この世界に戻ってきたってことは、それが馨の答えで──」
「違う」
「何が?」
「オレは馨じゃない。ケィだ、サントラップセプテットのケィ。分からないことを言わないで、ください。撮影が押したらいけないので……失礼します」
──あぁ、腹の立つことに彼の方が先輩のせいで、繕 わなくてはならない。
「ふふ、じゃあ、ケィ。頑張ってね。応援してます」
くすりという笑い声が聞こえて、ケィは舌打ちをすることを我慢した。
それからサンセプとライバルと見据えているデーフェクトゥスの関係を刺激するような撮影があり、ケィのセンスによってなんとか困難を結果的になかったことにした直後。
ファッションが好きなのだと勘違いした立花の余計な配慮により、ケィは一人でファッション雑誌のグラビア撮影に望むことになった。
その雑誌は、
「おはようございます。あ」
冴木美乃が属する、男性をターゲットにした大手ファッション雑誌であった。年に一回のオーディションがあり、応募総数数千の中からグランプリを獲れば、一気にモデルとしてデビューができ、冴木もその頂点に輝き、現在の地位を築いていた。
「ケィ、さん。今日は撮影ですか?」
にこやかな笑顔で近くに寄ってきては、人懐っこく話しかけてくる。側から見れば、面倒見のいい先輩、というところか。誰も彼の腹の中が真っ黒なことには気付いていない。
「幸いなことに、」
ケィも負けじと笑みを顔に張り付けた。
冴木の考えていることは分かっている。ここでケィが冴木をあしらうような態度をとれば、不利になるのはこちらだ。ここにいる全員が、冴木とケィの間にある溝のことなど知らないだろうから。
「呼んでもらえました。精一杯、努めようと思います。冴木さんとご一緒できて嬉しいです」
「ふふ……嬉しいこと言ってくれるね。今日はよろしくね」
そう言って肩に手を置かれる、瞬間。
「猫被りが上手になったようだね」
「……うるせぇ」
「あはっ」
「……っ」
いまいち、冴木のペースから抜け出せていないようで、腸 が疼く。
煮えたぎらせるわけにはいかない、と冷静に深呼吸をしようとするケィの傍で緊迫した声がした。
「……」
だが、自分には関係ない。
そう決めつけて、ケィは慣れたようにメイクルームに向かったのだ。
だが、その異変に気付いたのは、メイクが終わり、衣装を着て撮影スタジオに足を踏み入れた時だった。
慌ただしく行き来するスタッフの先で、冴木とカメラマン──今回は関ではない──、雑誌の編集者らしき女性が一箇所に集まって、何やら深刻な顔を突き合わせ、話しているのである。
何かトラブルかと思ったのも束の間。
ふと、視線を外した冴木と目が合う。
「……」
なんだ、と思う前に冴木が何かを話し、カメラマンと女性が頷くのだ。
「……?」
そして、何故か、冴木は一つの曇りもない笑顔を向け、手招くのだった。
つい、眉根を寄せてしまう。しかし、先輩に呼ばれていかないわけにはいかない。
嫌だったが、歩いていったケィに、冴木はこう言う。
「ねぇ、今回の撮影。俺と一緒に組んでくれない?」
「は?」
「実は俺と一緒に撮るはずだったモデルがドタキャンしてさ。俺一人でもいいんだけど。ね?」
「……冴木さん一人の方がいいんじゃないですか」
「そうかな? 俺は、ケィくんと撮ってみたいんだけど」
「──僕からもお願いするよ」
と、カメラマン。
「──わ、私からも!」
女性も続く。
「あ、あの。私、編集をしていまして。今回、冴木さんの企画をした者なんですが……」
いそいそと、名刺を渡される。
「冴木さんが今人気のあの人とグラビア撮影! という煽り文句をもう公表してしまっていて。ソロでの撮影はどうにか避けたいんです。ですが、すぐに代わりの方が見つからなくて……。無理は承知の上です。でも、どうか、お願いできませんか?」
「オレは、」
「ほら、ケィくん」
冴木が得意げに笑う。
「ミカンちゃんもこう言ってるし」
「、……」
──ミカンって誰だ。
その言葉を危ういところで飲み込む。
昔から変わっていない。冴木の女好きは。
まさかこの女性編集者にも手をつけたのか、と想像してしまい、その考えを振り払った。今大事なのはそこではない。
「ね? プロだったら、こういうことも臨機応変に対応しないとね」
そう釘刺され、ケィの逃げ道はなくなった。
手早く女性編集者は事務所への許可を取り、冴木とケィを撮影する準備が進められていく。
せっかくメイクをしてもらったのに、この色は合わないだとか冴木が口出しするからやり直す羽目になったのは言うまでもない。
『今回のテーマは、芸能人の休日なんです。女性って見えているところよりも、見えない部分が気になると思うんです。だから、自然さを大事に』
自身の思いを語る女性編集者の言葉を思い出しながら、ケィは鏡に映った自分を見つめた。
ワイシャツに、ミルク色のセーター。黒の細身のパンツ。ハイカットのスニーカー。肩まである明るい髪は一時的に黒く染められ、大きめの眼鏡をかけている。
「うわ、学生みたいだね」
隣に忌々しい男がやって来る。
冴木は、普段身に纏っている野獣さや色香を手放し、ケィと似たようで少し大人な印象を受ける格好になっていた。皺が一つもないワイシャツに、黒のスキニー。足首を覆うブーツも黒く、赤茶色の髪はストレートに近い。
確かに。女性編集者が想像しているだろう、芸能人の休日といった装いであった。
「うん、よく似合ってる」
「近寄んな」
「あれ、褒めてあげたんだけどな」
「求めてない」
「……ふふ、素直に慣れないところはあの時のままだね」
「うるさい」
吐き捨てるように言い、鏡の前から離れる。
が、その前にまたもや腕を掴まれた。
「ちょ、何ッ」
「そんな毛嫌いしなくてもいいんじゃない?」
「は……っ?」
「傷付くなぁ。そんなに俺、嫌われてんの?」
「……」
「昔は昔。今は今、じゃない?」
こてんと頭を傾け言う冴木に心底苛ついて、
「チッ。ネコ被りはどっちだよ。いい加減その気持ち悪い笑顔やめろ」
「…………」
「これは仕事だ。オマエと馴れ合うつもりは、」
「キュウくんってさ」
「っ……あぁ?」
いきなりメンバーの名前を出され、反応が遅れる。
冴木の表情は不気味なほど静かなものになって、笑うなと言ったケィ自身が困惑するほどだった。
二人以外には誰もいない控え室。嫌な予感がして、無意識に後退しそうになった次の瞬間。冴木が口を開く。
「キュウくんって、どんな人?」
「……オマエに何の関係がある」
「いいじゃん、教えてくれたって。俺、サンセプのファンでもあるんだよ。凄いよね、デビューしてすぐ人気者になってさ。今まではデーフェクトゥスの一枚岩だったのに、彼らの足元も危うい」
「……まだ、遠く及ばない」
なんだ、何が目的か?
ケィの失言を誘っていそうな冴木の言葉に、警戒心だけが引き上がっていく。
「けど」
冴木が徐に携帯端末を取り出し、弄り始める。録音を示唆しているのか。
「女性をターゲットにしているアイドルが、本当はゲイでした、ってどうなのかな」
「……は? 何言って、」
「これ」
不意に冴木の手の中にあった端末が反転し、ケィの方に画面が向けられた。そこに映し出されていたのは──。
「どういうことか、分かる?」
「それ」
眼前で揺らされるものに、視線が惹きつけられる。嫌と言うほど鮮明に写された、夜の風景。そこに溶け込む二つの影。
「アイドルって、恋愛禁止なんじゃなかったっけ? それとも。“こういう”のは許されるわけ? これ持ち込んだらスクープになると思わない?」
「……」
「どこ、とは言わないけど」
この秘密を、どうしたらなかったことにできる? ──そんな思いがすぐさま浮かんで、それを悟ったような冴木が不敵な笑顔を浮かべるのである。
「バラされたくなきゃ、全部俺の言う通りにして」
ぱしゃり、パシャリ。ストロボスコープが焚かれていく。一枚、また一枚と、データがパソコン上に追加されていく。
ケィは、冴木と共にカメラの前に立ち、レンズを見つめていた。無論、ずっとではない。適度に視線を外すことは、もう癖になってしまっている。だから、こうやって撮影してもらう時、メンバーに比べ、ケィがカメラマンに何かを要求されることは少なかった。理由は──……。
「嬉しいよ」
不意に冴木が呟く。肩に手を置かれ、表情が凍りそうだったが、努めて微笑む。
テーマは芸能人の知られざる休日。つまり、冴木とケィは仲が良く、休日にも会うような関係ということだ。
「昔を思い出すね」
「そればっかり……」
「だって、ケィもそう思ってるんじゃない? 懐かしいと思ってる」
「ぅ!」
自然に背後から抱き締められる。
それにカメラマンが興奮したような声を上げ、シャッターが切られた。
「っ……」
分かっている、これは撮影だ。必要なことだ。
だが、どうしてこうもこの男は自然とやってのけるのか。
この忌々しさや腹立ちは、冴木の方が強く感じているだろうに。
「俺、仕事はちゃんと成し遂げる主義だから」
「!」
「はい、表情に出さない」
「ぅぐ」
あからさまに瞠 目 してしまったケィの片頬を彼は摘む。スタジオ内が騒ついた。もちろん、いい意味でだ。
分かっている、分かっているのだ。この男は、“こういう”人間だ。
「……」
「俺、頑張ってる子を見ると応援したくなるんだ。あの子、まだ新人さんでね。まぁ、言うなれば新人イビリだよね」
そう言う冴木の視線が一瞬だけ、ケィに教えるように女性編集者にフォーカスする。
「今回のドタキャンも、きっと編集内の諍いが原因だろうね」
「……何か、知ってるのか?」
「うーん、知っていると言うか。この前寝た子が、嬉しそうに話してくれたんだよね」
「うわ、最悪」
「うん、俺も最悪。女の子を見る目がないってつくづく思うよ」
散々だとばかりに息を漏らして、ケィの方に今度は顎を乗せ、あざとらしくレンズを見る。
から、ケィはわざとカメラから目を逸らした。
「つまり、俺は利用されたわけだ。俺は安く見られた。仕事を遊びにするような連中が一番ゆるせないんだ。だからあの子につくことにした。いつもなら俺一人で二人分の良さを出します、って言うところを、お前を選んでまで撮影に臨んでるんだからね」
「いい迷惑だけど。こっちは」
「はは、だろうね。でも……たまには人助けもいいと思わない?」
ケィは冴木を視界の端に捉え、仕方なくカメラを見た。ここぞとばかりに写真が撮られていく。
「それ、まるでオレが普段は人助けをしないみたいな言い方だな」
「う〜ん、的を射てない?」
「……」
「ほら、もうちょっとだよ。嫌なら少しでも協力したら?」
「っ……うっぜ」
「あははっ」
「笑うなんてオレの役目じゃないのに」
腹を括る。嫌でも、見てくれる人がいるなら。楽しみにしてくれている人がいるなら。それに応えなくてはプロではない、アイドルではない。
一度アイドルになると決めたのだから、それだけは突き通さなくては。
眼鏡を外し、冴木を見て、精一杯の愛想笑いをしてやった。
* * *
「ケィさん!」
撮影後。一番に声をかけてきたのは、編集内で難しい立場に置かれているという女性編集者だった。どこか心配になるような、おどおどとした様が印象的な彼女だが……。
がばっと頭を下げられる。
「あの、本当に、ありがとうございました!」
「え」
「ケィさんのお陰でいい記事ができますっ、本当、感謝してもしきれないです……! お礼はちゃんとさせていただきますっ」
「あ、オレは、別に……冴木が、」
「え?」
「あ。冴木さんが、リードしてくれたお陰です。オレはそれに合わせただけで……。冴木さんがやろうと言わなかったら、オレは、何もしてません。だから、お礼を言うなら冴木さんに」
「は、はい! それはもちろんですっ」
では失礼します、と深いお辞儀をして彼女は去っていく。その後ろ姿は自信に満ち溢れているようで。
「ケィ」
声に、眉がぴくっと動く。言うまでもなく、冴木だ。
「見てたなら出てくればいいだろ」
「なんで? 感動のシーンに水を差すほど野暮じゃないよ」
「ッチ」
「ふふ。今日はありがとうね、ケィ。お疲れ様」
そう労い、冴木もケィの目の前から姿を消す。
そのまま消えてくればいいのに。
本気で思った、願った。
「……なんだって……くっそ」
──昔 日 が蘇る。思い出したくもないのに、ケィに纏わりつくそれ、過去。
「あれ、どうすれば……」
それから、ケィと冴木がとても仲の良い友人だという噂が出回るまで一日とかからなかった。
「──ケィって、冴木さんと知り合いだったの?」
冴木が率先して流しただろう噂を真に受けるキュウに否定することもできなくて、嫌な顔をすることしかできない。
「ケィ?」
すれば、彼は追及して来るから、どうにもできないのだ。
「別に、そんなんじゃねぇよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
きつい口調になったというのにキュウはけろっとした顔で納得する。
……あれ以来。キュウは、あのバーでのことを翌日目を覚ました時には覚えていなかった。酔っ払っていたことすら嘘だったのではないかと思わせるほど普段の彼と変わりなく、ケィにも普通に接してきた。キスした仲だというのに。
キュウにとって、キスは、何ともないのだろうか? あの時の話を顧 みれば、キュウは男女関係なく、性的な目で見れるのではなかったか?
分からない。キュウのことは、分からない。
「オマエ、さ」
「うん」
「アンドとは、どういう関係だ?」
「え……」
キュウの目がケィを見る。
……驚いたように……?
「どういう、関係、って?」
「何、動揺してんの?」
「え。あ、そうじゃなくて。いきなり、言うから。関係って、どういう意味? 仲間、とかじゃなくて? 家族、とか……?」
「……」
珍しく、混乱しているらしい。
というのもケィが藪から棒だったのだ。
「悪りぃ、なかったことにして」
逃げてしまおう。そう思って席を立とうとするケィに、キュウは、
「待って」
手を握って引き留めてきた。
「っ、なんだよ」
彼は時折、距離感が近く、スキンシップも躊 躇 なくしてくる。
それにどぎまぎしてしまっている自分を感じながら、ケィは冷静でいようとする。
が、それを突き崩してくるのがキュウという美しい男である。
「何か思ってることがあるなら話して。途中でやめないで」
「そんなんじゃ、」
「僕とアンドは家族だよ。大切な仲間だ。……そうじゃない?」
そういう意味ではないのか、と聞かれ、ケィは拳を握った。
こんなの自分らしくない。
──これでは、まるで嫉妬しているようだ。
心臓が痛い。
「!?」
自分の感じたことに、違和を抱く。
心臓が痛い? どうして?
* * *
冴木とケィの仲の深さが広まると、相乗効果として生まれるのは、新たな関わりである。人間は新しいものを望む。それと同時に、安定をも望むのだ。一度、インプットされたことはなかなか覆すことが難しく、ケィのグラビアも好評となれば、自ずと、冴木とセットで呼ばれることが多くなっていた。もしかしたら、冴木自身が企てたところもあるのかもしれない。二人で撮影に臨むたび、冴木からは嬉しさや喜びといった感情が伝わってきて。
──“ケィと仕事がしたかった”のだという長年の思いが、痛いほど突き刺さってくるようだった。
「お疲れ様、ケィ」
「……お疲れ様、です」
「タメ口でいいのに」
「……」
「つれないね」
あれから、キュウとアンドが写り込んだ写真で脅されることはなかった。だがそれも、ケィが大人しく冴木との仕事を引き受けているからだろう。ひとたび断りでもしたら、冴木がどんな行動に移すか……。想像できないケィではない。
様々な困難を乗り越え、運にも味方されて、サンセプの名は順調に広がりを見せている今、余計なスキャンダルは邪魔以外の何者でもない。
一番を目指すなら、多少は汚いこともしなくてはならないと、思う。
……ケィに苦痛しか感じさせなかった冴木との仕事は、徐々に冴木の“凄さ”を知ることになっていた。まず、スタジオに入ったら誰彼構わず挨拶をして周り、ミスをしたスタッフには笑顔で声をかけ、大丈夫だと安心させる。撮影を臨む前にはカメラマンなどと入念な打ち合わせをし、撮影時にも自身が思ったことは容赦なく口にする。そういうことを嫌がるカメラマンもいるのだが、冴木の言葉が柔らかく的確だからか、ケィが見てる限り、冴木の提案が却下されたことはない。みんな冴木を信頼し、最高なものを作ろうとしていた。例え、小さな記事であっても。
「ファンは、どんなものでも手に入れようとしてくれる。数十ページある中で、たった一枚写っているだけなのに。無理しないでって言うのは簡単だ。お金は誰にとっても大切だからね。でも、ファンの思いを無 碍 にするようなことは言いたくないんだ。手にしてくれるなら、その分、最高のものを届けたい。同じ、にはしたくないんだ。だから打ち合わせもするし、時間をかけるのも厭 わない。ケィ、お前なら分かってくれるよね?」
「……あぁ」
冴木に同調するのは嫌だったが、彼の考えには賛同してしまう。“同じ”だ。どれだけ彼のことが嫌いでも、考え方は同じなのだ。
「同じ記事は見てて飽きる。そう感じるファンが悪いんじゃない。同じにしてるオレらが、悪い」
「そう。いつでも新しいものを作る。それがモデルの仕事だからね」
──悔しいことに、冴木との会話は、ケィを新しくしていった。仕事の向き合い方がそれまで以上に丁寧になり、熱心になった。楽しさ、というものを感じるようになっていた。
「あ」
予定の時間よりも早く目覚めてしまったケィは、寝癖を直そうと洗面所の扉を開けた。すると、洗面台の前でキュウが鏡を覗き込んでいるところだった。
「ケィ、おはよう」
「……はよ」
自然に挨拶をしてきたが、ケィは見逃さなかった。
「いつもそうして塗ってるのか?」
「え……、あ。うん」
キュウが少しだけ後ろに下がる。その片手に隠されているのは、人差し指ぐらいのメイク道具だ。ほくろを隠す為のコンシーラーだろう。
「こうして誰かが入ってきたらどうする気だよ?」
「あ……」
視線が彷 徨 く。
「今まで、そんなことなかったから……」
考えてなかった、と小さな声。
そんなキュウに、呆れた。
「そんなんじゃバレるぞ。鍵あんだから掛けるぐらいしたっていいだろ」
言って、扉にある鍵を捻る。かちゃり。密室ができあがる。
「あ……ぁ、うん。ありがとう」
にこりと笑って、コンシーラーを取り出し、目元にあてがいはじめる。
「……」
この無防備さは。ケィにしか──
「なぁ、オレにやらせろよ」
「えっ」
「何、ダメなの?」
「そう、じゃないけど……できる?」
「舐めんな、オレだってアイドルだぞ」
「アイドル関係ある……?」
「いいから。やらせろって。やりたいんだ」
そう、言うなれば、無防備な姿を見たくなかったからだ。やってあげれば、幾らかはマシになる。そう考えたのだ。
「……」
「……」
静かになる。受け取ったメイク道具を見様見真似で小さな点に当てる。判を押すように、柔らかい肌につける。黒い点が見えなくなったところで止め、指で馴染ませていく。とんとん、とできるだけ優しく叩いて……。
「ふふ」
「っ、なんだよ、笑うな、やりづれぇ」
「だって、真剣な顔してるから」
「それは真剣にもなるだろ。いい加減にやってもいいのか?」
「ううん、やだ」
「……じゃ、じっとしてろ」
「うん」
唇に笑みを浮かべて、キュウが目を閉じる。
それすらも無防備に感じてしまい、ケィは思わず目の前の顔を凝視してしまった。
「オマエ……目閉じてもブスじゃないな」
「ぶす?」
「……別になんでもないし」
肌の色と、人工的な色を混ぜる。馴染ませる。
「もったいないな」
「うん?」
「オマエのほくろ、いいと思うけど」
「……ふふ、ありがとう」
「オレが隠してやるからさ」
「ううん。いいの」
「だったらいっそ、本当に取ったら?」
「うん、それも嫌だな。親から貰った体だから。大切にしたい」
「……、……」
「僕の場合は、これが僕のアイドル像に合わないってだけで、いらないわけじゃないんだ。……ケィ?」
「オマエって、家族と仲良いの?」
「うーん、普通だよ。たまに母親と連絡取るぐらい」
「そっか」
なんでもないように相槌を打ち、心底、キュウが目を閉じていてくれてよかったと思う。
今、自分の顔は、自分でも直視できないほど歪んでいるだろうから。
「おら、できたぞ」
「ん。……うん、ばっちり。ありがとう、ケィ」
まるで外国人が頬と頬と合わせるような挨拶をするように。キュウは一度体を寄せてきて、ケィが何かをする前に扉の鍵を開け、すっと出て行った。
「……なんなんだよ」
──翻弄されている。
自覚し、妙な胸のざわつきに吐き気がした。なんだろう。最近の自分はだんだんおかしくなっていて、それが冴木のせいかキュウのせいなのか、本当に未知の物体になってしまっていそうで漠然とした恐怖を感じた。
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