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Q15-3

「なるほどね」  ギンの話を一通り聞いたキュウは馬鹿にすることなく、神妙な顔で相槌を打ってくれた。  撮影が中断し、ミカにアドバイスのようなことをされて。一考したギンの答えは、【色気】であった。  普段、サンセプとして活動していく中で、ギンの立ち位置と言えば、特に目立つことがない。目立たないことがギン、と言ってもおかしくはない。派手な仲間達が歌い、踊り、観客にアピールし、自分は時折彼らの視界に入って、その一瞬を奪う。故に、その一時、ギンを意識してくれたファンがギンを好きになってくれ、容姿から幻想的な雰囲気が綺麗だと新しいギンの立ち位置を確立してくれたこともあり、デビューして時が経ち、経験を積んでいくうちに、ギンのその一瞬の煌めきを待ち望んでくれるファンが増えたのである。  ──この国ではない、どこかファンタジーな世界から現れた無口な王子様。  雑誌の煽り文句でそう書かれたことがある。それを機に、ファンの中でもそういう印象を持たれ、ギン=幻想的で綺麗という式ができ、イルミネーションのようなアイドルだと評されてきた経緯がある。  自分は綺麗でいなくてはいけない……。  それは嬉しくも、少し難しいものだった。本来の自分とはかけ離れているようで……だが、それがアイドルの仕事なのだと思って、ここまでやって来た。  しかし、それをミカに否定された。今回の仕事内容もあいまい、新たな自分を発掘しなくてはならないのだろうと思うに至ったのである。  そうして考え出したのが、色気だ。 「コンセプトが変化なら、俺の元のキャラクター性を考えて、ユズみたいな可愛さだったり、コアみたいな天真爛漫さは、出せないことはないだろうけれど、よくない変化だと思ってる。今ある輪郭を壊さず、何か変えたい……変えなくちゃいけない。みんなの為に」 「……」  この思いを、キュウは受け止めてくれるだろうか?  常にこちらの意を汲んで理解してくれるセンターだが。 「そうだね。ギンの色気。見てみたい」 「…………本当に?」 「うん。新しいギンを見てみたい」 「じゃあ」 「うん?」 「じゃあ、一緒に、考えてくれるか?」  * * *  その日の夜。他の仲間が寝静まった頃。ギンはキュウの自室に約束通り赴き、机の上にある橙色の光に満たされた室内に体を滑り込ませた。 『これは極秘任務だよ』  リビングでそう言ったキュウの、子供のような悪戯顔が脳裏から離れない。  彼は、そんなお茶目な性格だったろうか?  扉も叩かず入室したギンに驚く様子もなく、キュウは笑って迎えてくれた。 「言われた通り、着替えてきたよ」 「うん」  ギンもキュウも、寝巻き姿ではなかった。  初夏の夜。陽が沈むと少々肌寒くなり、外出するのに半袖では心許ない。だからこそ、カーディガンを羽織り、色にも気を遣って、闇夜に溶け込む紺色を着用しているのだが。  キュウは灰色の前開きパーカーを羽織り、ギンの腕に触れる。 「?」 「みんなに見つかる前に行って、帰ってこよう」 「やっぱり、どこか行くのか?」 「うん。僕は色気には詳しくないから」  ──そんな馬鹿な。  とは、言わない。自分で思っていることと、他人の評価が違うことは知っているから。 「目標は朝になる前に帰ってくる。そして、ギンは、次にここへ帰ってきた時。色気を知っている」  ある種の予言のようなことを言ったキュウに促されるまま、ギンは忍び足で宿舎を抜け出した。先述したように、夏特有の冷気が素肌を撫でていく。けれど、感じ入っている暇はなかった。時間が限られている為か、キュウの足は止まることなく、何も知らないギンを先導していったのである。  途中でタクシーを拾い、キュウが運転手に聞き慣れぬ住所を告げる。それから三十分ほど車は走り、高層マンション群が夜の景色を遮断し始めた頃。車の速度が落ち、ゆっくりと道端に停止した。 「ここ……」  ギンは見上げる。高層マンションの一つだが、周囲と比べて、一つ敷居が高そうな建物であった。  しかし、キュウは迷わずに入っていき、当然のように立ちはだかるセキュリティードアに怯むことなく、端に設置されている石版のような装置を慣れたように操作する。  宿舎もアイドルが住む為のセキュリティーが組まれ、普通よりも厳重なロックが扉にされているが、なんとなく、監視カメラが四方八方にあるのを見るに、数段違うようだ。  部屋の番号と思われる数字を押していくキュウの斜め後ろに控えたギンは、一体彼がどこに向かおうとしているのか、悩む。もし、嫌なところだったらどうしようなどと考えて、キュウがそんなことするはずがないと腹を括った。  すると、 《──はい》  こちらの呼び出しに、誰かの声が応じる。男の声だ。女性ではないことに無意識に胸を撫で下ろすギンである。 「こんばんは。京です」 《おっ、待ってたよ。入りな》 「はい」  直後、目の前に立ちはだかる磨き抜かれたドアが二人を歓迎するように開く。 「ギン、行くよ」 「あ」  先に行ってしまうキュウを追いかけ、待ち構えたようにその口を開けていたエレベーターに乗り込んだ。  * * *  いくつ上昇したのか。エレベーターが少々苦手なギンはよく覚えていない。あの独特の浮遊感が不快なのだ。上昇時には頭がふわふわと浮くようだし、下降時には足が震えてしまう。まるで床が抜けるのではないかという恐怖に囚われるのだ。  その恐怖を帰りに味わうのか、と早くも帰りたいという心理を働かせるギンをよそに、マイペースなキュウはある部屋の前で歩みを止めた。  やはり迷いなくインターホンを鳴らし、振り向く。 「最初は戸惑うだろうけど、そういう人だと思って」 「……え?」  どういう意味か。聞く寸前。扉が開いた。  そして、 「っ!」  中からぬっと出てきた男の手に、キュウは瞬く間に室内へ引き摺り込まれていったのだった──ギンの目前で。 「ぇ……」  一瞬何が起こったのか、理解ができない。  だが、そこで動けなくなるほど腰抜けではなかった。 「キュウ!」  閉まりそうな扉を押し退け、キュウを飲み込んだ室内に勢いよく踏み込む。  室内は暗かった。辺りを急いで見渡し、キュウが着ていた灰色のパーカーが視界に映ったような気がして、部屋の奥へと進む。 「キュウ……っ」  何かを蹴飛ばす。しかし構っていられない。転びそうになりながらもキュウの後を追い、ギンは、ようやく光に満ちた部屋に飛び込んだ。 「キュウ!!」  入ると、すぐにキュウを見つけた。 「な……!」  だが、彼の身に起きていることを視認した瞬間、言葉を失った。 部屋は寝室のようで、二人は十分に寝れそうな大きさのベッドがほぼ占領し、窓があるだろう場所には、赤いカーテンが引かれている。橙色の蛍光灯なので、怪しい雰囲気が漂っている。  そして、問題のキュウは、そのベッドの上で、男に抱かれていた。 「……ちょっと」  キュウの眉間に皺が寄っている。 「キュ、キュウ……?」 「──こら。動いたら落ちちゃうよ」 「離して」 「落ちたら痛いよ?」 「いい」 「良い? 俺も気持ちいいよ」 「そういうことじゃない」 「あいて!」  バシッとキュウが男の頬に手のひらを叩きつける。 「……」  勢いよく引き摺り込まれたように見えたが、キュウは嫌がっているだけで、もがくほどに男の腕の中から抜け出そうとはしていなかった。  ──男の膝上に横抱きされている、というのに。  一体自分はどうするべきなのか。キュウを助けようと必死に追ってきたけれど。  どうすることもできず立ち尽くすだけのギンに、男が視線を寄越した。 「で、彼が例の?」 「そう」  キュウが低く、いくらか不機嫌そうな声音で首肯する。 「……」  純粋に驚いた。キュウがそんなふうに負の感情を表に出したところなど、ギンは見たことがなかったからだ。仲間達も見たことないだろう。  メンバーも見ていない表情を引き出すこの男は、誰なのか。  答えは、彼から提示された。 「お目目丸くしちゃって。アイドルなのにこういうの耐性ないのかな? 初めましてだよね? ギンくん」 「……」  男は、キュウの頭を愛しそうに撫でながら、にこっと爽やかな笑顔を浮かべた。 「俺は()()(あきら)。本名はめい、だから気軽にめいちゃんって呼んでよ」 「あ」 「明(めい)、怒るよ。ギン、驚いてるから」 「怒っちゃイヤ!」 「……」  親しそうに──志葉が一方的に見えるが──する二人を見つめ、ギンは思い出した。  志葉明。アンドがドラマで共演した俳優である。子役の頃から活躍し、今も尚最前線を走っている人気俳優だ。背の高さはキュウよりも少し高いだけ。爽やかな好青年という外見をしていて、当たり前のように醜いところなんてどこもない。  同性のキュウを抱いていても違和感を抱かない……。 「キュウ……助けなくて、大丈夫?」  凍りつく声帯をなんとか震わせて言葉にすると、キュウの瞳がぱっと色を変えた。 「ごめん。もうこの体勢は気にしないで」 「うん。それはいいけど」  それがいつもの彼で。  けれど、志葉に向けられる瞳はいつもと違くて。 「キュウは、志葉さんと知り合いなのか?」 「おぉっ、いいこと聞くね!」  キュウに問いかけたはずのなのに、答えたのは志葉の方であった。嬉しそうな顔をしてキュウを抱え直す仕草をする。 「京と俺は昔馴染みでね。知り合いというよりもっと親密な仲なんだよね」 「……そうなのか?」 「……言ってることに間違いはない」  だが不満であるという口調に、志葉は体を揺らして笑う。 「京は可愛いからね。俺はこの子にぞっこんなんだ。この前、キスマーク付きのサイン色紙貰っちゃったもんね!」 「あれ本当にやだった」 「なんで?」 「わざわざアンドに頼むところが嫌」 「ははっ。だってその方が書いてくれるでしょ? 個人で頼んだら絶対嫌だって言って書いてくれないじゃん」 「いらないでしょ、僕のサインなんて」 「そんな! 京が触れたものはなんでもいるよ!」 「……」  ──うざ。  そんな呟きが聞こえた気がして、ギンは(どう)(もく)せざるを得なかった。  キュウがそんなことを言うなんて一ミリたりとも思わなかったのだ。うざい、だなんて。 「明」 「あはは、はいはい。ごめんね。そんなに怒らないで、京」  互いを本名で呼び合い、キュウの知らない一面を難なく引き出す志葉。つまり、キュウは彼の前でなら、本来の自分を出せるのではないのか……。  だからそれは、ギン達の前では本当のキュウを出せないのではないか?  可能性に思い至るギンだったが、志葉が話を続けるのでその思考は止められた。 「ギンくんは、色気を知りたいんだって?」 「ぁ……はい」  キュウが言ったのだろうか。  志葉は静かに微笑んで言う。 「色気、ってなんだと思う?」 「……」 「なんでもいいよ。ぱっと思いついたことを言ってみてよ」 「……エロさ、ですか」 「うん。エロさ。確かにね。色気って言えば、みんなそう思い浮かべるよね。──だからこそ、変化はない」  断言する志葉が、笑みを深めた。  その様子をキュウは見つめて、黙って彼の懐へ収まる。抵抗は諦めた、のか。 「ギン」  注意が逸れたことをきちんと見咎めたらしい志葉が呼んでくる。  目が合い、くすりと笑われた。  ……まるで心の中を覗き込まれているようで。居心地の悪さを感じる。 「色気とは、品の良さ、だと思わない?」 「品、ですか?」 「そう。京から話は聞いてるけど、君が悩んでいるのは性的な魅力についてだろ? その中で色気に着目し、正解を導き出せていないなら、それは辞書で書いてあるようなことではないのは明らかだよ。俺が助言できるとしたら、それは、色気は品の良さだってことかな」 「……品の良さ」  口の中で呟き、ギンは志葉見つめる。  そう言う彼の周囲を覆う雰囲気は、確かに、エロいとい直接な言葉で表すより、色気があると言った方がしっくりくる。キュウを抱くその姿はどことなくいけないものを見ているようでもあり、ずっと見ていたいと思わせる美術的な美しさも感じる、と言えば感じてしまう。 「仕事に関わっていることだから詳しくは知らないけど、悩むだけ悩むといいよ。それだけ真剣ってことなんだから」 「……はい」 「よし。じゃあ、京、報酬を貰ってもいい?」  くるりと百八十度。態度を変えて、にっこりとキュウ向き直る志葉が催促をし始める。  すれば、当然キュウは眉根を寄せた。 「もっといいこと言ってよ。全然アドバイスになってない」 「えっ、辛口だなぁ」 「ギンにアドバイスしてくれるって言うからここに来たのに」 「俺に会いに来たんじゃないの?」 「違う。こんなんだったら来てない」 「うわ。悲しくて泣いちゃうようなこと言うね」 「もっと」  キュウが語調を強めて言う。 「もっと、ギンの為になることを言って。言葉だけじゃ分からないでしょ? 明が教えられること、」  その時、志葉はがっとキュウを抱え込んだ。 「や、なっなに」  驚くキュウに、志葉が低い声で尋ねる。 「それって、俺の本気出してもいいってことだよね……?」 「? 本気を出さないでどうするの」 「……わ。やば」 「??」 「やっぱ京、君って最高だね! 大切な仲間の為なら一肌脱いじゃうってやつだ」 「え? なに──」  次の瞬間。志葉はキュウの細い顎を両側から摘み少し顔を上げさせると、目を細めた。 「め、明……?」  キュウが戸惑っている。何度もギンの方に目を泳がせ、志葉が何をするのか、警戒しているようであった。  ──色気とは。ギンに不足しているものとは。 「演じてみるのはどう? 普段の自分に色気がないと思っているなら、色気のある自分を演じるんだよ。品の良さを醸し出すんだ。初めて君をみる人は、君を“そう”思う。色気のあるひとなんだ、と。逆に前から君を知っている人は、新しい君を知って喜ぶよ。落胆なんてされない、されるはずがない。だって……新しい“彼”を知ることは、君にとって苦痛? 違うだろ」 「……」  志葉が決めつける。 「……、」 「こら。こっち向きなさい」 「ゃ」 「っ!」  そんなんじゃないのに。 「っ……ゃ、やら」 「京」  キュウの頬が、耳が、唇が赤い。ふるふると震え、志葉を威力のない眼差しで見つめ返している。  そんなの、睨んでいるうちに入らない。それじゃあ、志葉は──……。 「お邪魔しました」  志葉との話を終え、ギンは一人で部屋の外で待つよう言われた。志葉にではなく、キュウに、である。  志葉に話があるから先に行っていて、と。  想像してしまった。ギンが出て行った後の寝室で、何が行われているのか、と。  だが、盗み見する勇気はなかった。勇気、というよりギンの性格がそれを許さなかったのだ。  キュウが閉ざされた部屋から出てくるまで数分かかった。その間、会話らしい声は聞こえなかった。 「お待たせ」 「ううん。大丈夫だ」 「志葉さんには挨拶したから、」 「志葉さんって呼ぶの?」 「え……あぁ」  キュウが笑う。 「明、って呼ぶのはプライベートの時だけって決めてる」 「今はプライベートじゃないのか?」 「ぅっ……!? ギンまで意地悪……?」  身構える言い方に、ギンは笑いを誘われる。 「今日はありがとう、キュウ。十分、参考になった」 「うん」  玄関先で靴を履く。これでもう帰るのだろう、と帰りのエレベーターのことに囚われるギンに、キュウはこう言った。 「じゃあ、次行こうか」

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