22 / 32

Q15-4

 次。どこへ行くのか教えてもらえないまま、キュウの後ろ姿を追っていく。夜も更けた頃。高層マンション群地帯に比べれば、明かりも少なくなり、人通りも全くと言っていいほどない場所へと彼の足先は向かう。これなら他人の視線を気にする必要はなさそうだ。キュウもそう思ったのか、今度はタクシーを使うことなく徒歩を楽しんでいるようでもあった。 「少し寒いね。ギンは大丈夫?」  先を行っていたキュウが歩調を緩め、隣に並んでくる。 「うん。大丈夫」 「そうか」  くすっと笑って、徐に両手を広げる。 「僕、夜が好き」 「……どうして?」 「一人じゃないって思えるから」 「……一人だと、思うんじゃないの?」 「ううん。こうやってギンもいるでしょ」 「……よく分からない」 「はは……分からないかー……そうかぁ」  少々残念そうに。キュウは子供みたく白線の上を歩き始める。両手を広げたまま、バランスをとって。まるで、地上から飛び立つ前の鳥のように……。  そんな姿でさえ、見るのは初めてだった。 「志葉さんとは」 「うん?」 「昔馴染みって言ってたけど……?」 「あぁ。近所だったんだ、家が。僕が五歳ぐらいの時に、隣に志葉さんが引っ越してきて」 「……志葉さんって何歳だっけ」 「今? 今は二十五」  ──淀みなく言えるほど、頭に残っているのか。志葉のことを覚えているのか。 「幼馴染でもあるのかな? こういうの」  ギンの心情など知る由もないキュウは、おかしそうに笑顔を浮かべた。 「そうだね……志葉さん、キュウのこと、好きそうだった」 「え」  素直に瞬きを繰り返する。そして眉尻を下げた。 「困る。昔と同じように可愛がられるのは、嬉しいけど、ちょっと変な感じだ。成人男性をお姫様抱っこするなんて、びっくりしたでしょ?」 「驚きはしたけど……」 「会うたびにスキンシップがすごいから、デビューしてからは会わないようにしてた。僕には容赦ないんだ」 「……いい、と思う」 「え?」 「真っ直ぐ」  ギンは志葉を思い出す。キュウを本名で呼び、抱き締め、言いたいことを口にして。 「自分の気持ちを言ってて、すごいと思った」 「……ん」  頷く。  分かってくれたのだろうか? ギンの思いを、胸に秘めていること。 「おれの為に、ありがとう。会いたく、なかった?」 「……ううん。ごめん。志葉さんに会えて、嬉しかった」  もしも──もしもそれを志葉が聞いたらどんな反応をしただろう。喜んだだろうか。堪らなくなって、彼を抱き締めただろうか。  そう想像ができるほど、志葉の態度は明らかであった。 「ギン」 「?」 「ついたよ」 「……ここ?」  キュウの足が止まったのは、暗く、闇夜に沈む二階建てのアパートだった。八つある各部屋の上で黄色みがかった蛍光灯が点々と灯り、寂しさや(わび)しさを醸し出している。高層マンションを目にした後では、なんとも言い難い感情を抱いた。  キュウは丸石が敷き詰められた敷地内に入っていく。それに(なら)い、ギンは一階の最奥である一○四号室を目の前にした。表札が木製の扉の上部に貼られている。 【吉野】 「……」  名前に心当たりはない。  夜の十二時をとうに過ぎている為、キュウは周りに配慮したらしく、中の住人に聞こえるか分からない音で扉を叩いた。  数秒経って、静かにその扉が開く。そうして出てきたのは。 「(さえ)()(よし)()……?」 「──やっと来た」  芸能界からいつの間にか姿を消した、元人気モデルである。  キュウは一体、どういう友好関係を築いているのか。顔が広い、と一言では片付けられない展開に、ギンは思考を止めてしまいそうになる。と言うよりも、考えるべきことが理解しきれていないのだ。  扉を開けた冴木美乃は、二人を部屋に上げてくれた。どうやらずっと二人が来るのを待っていたらしく、扉を閉めるなり、苦情を口にする。 「遅れるなら連絡してよ」 「ごめんなさい」 「心配するでしょ? お前に何かあったらどれだけの人が悲しむと思うの」 「はい」  素直に返事をするキュウの頬に手を当て、その素直さにいい子、と笑う冴木。 「……」  彼も、キュウのことを好いていることが見て取れた。  冴木と共演したのは雑誌の撮影をするスタジオが同じだったぐらいで、その時も特に交流はなかった気がする。どうやってキュウは彼とそんなにも親しくなったのだろう? まさか、彼も幼馴染みと言うのだろうか。 「でも、こうして無事につきました」 「これで幽霊ですなんて言われた怖いよ」 「そうですか?」 「うん。──あ」  冴木がこちらを見る。 「ねぇ、ちゃんとここに来ること彼に言ってないの?」 「言ってないです」 「なんで」 「秘密にしておいた方が驚くかなって思ったので」 「驚かしすぎなんじゃ? 彼、固まってるけど」 「ギン」  キュウも振り向き、小首を傾げる。 「こっちおいで」  そう言うので、控えめな位置に腰を下ろした。  それを見た冴木が笑い、キュウと話を始める。 「それで? 最近はどう?」 「順調です。仕事もいっぱいで、毎日忙しいです」 「それは何より。喜ばしいことだね」 「(りん)さんは?」 「俺の方もぼちぼち。今日はお前が来るって言うから、早めに終わらせて帰ってきてたんだよ」 「すみません。携帯、部屋に忘れてきちゃって」 「あ〜だから電話しても出なかったんだ」 「ごめんなさい」 「いいよ」 「ん」 「……」  冴木がキュウの横髪を耳にかけ、それを嫌がることなく受容するキュウ。その態度が、志葉に対してとは違う気がした。志葉がそんなことをしようものなら、手を払い除けそうである。ということは、冴木の方が親密度が高いのか。  ギンが知らないキュウの交友関係を考えている間に、二人の距離はどんどんと縮められていた。 「最近、お前に会えないとちょっと寂しいんだよね」 「ふふ、驎さんは寂しがり屋だから」 「ね? モデルしてた時はオオカミとかライオンって言われてたけど、本当はか弱い兎なんだよ」 「はい」 「じゃあ、膝乗って」 「……仕方ないですね」 「!」  困ったようにしながらも言葉に従うキュウに目を()く。だって……それまでのキュウとは全く違う……!  男の膝に乗るキュウはどこかぎこちなくも、冴木の満足を得るには十分で。冴木は癒された顔をしていた。ぎゅっと抱き締め、肩口に鼻を埋める。 「キュウ……冴木さんとも幼馴染なのか」  言ってから、はっと我に返った。完全に心の声が出てしまっていたのだ。 「驎さんは違うよ」  抱き締められている為にこちらを向けないキュウが答える。 「驎さんとは、」 「ギンさん」  キュウの言葉を遮るように、冴木が口を開いた。キュウの肩口から顔を離し、こちらを見ている。 「驚いてるでしょう? いきなり連れて来られた場所がこんなボロアパートで、しかもそこにあの冴木美乃が住んでいるなんて」 「はい」 「うん、素直な子は好きだよ。でもね、今君の目の前にいるのは、冴木美乃ではない。ただの吉野驎だよ」 「……」 「昔、芸能界にいたことがあるだけのね」 「驎さん、今は降りてもいいですか? また甘えに来ますから」 「本当? 次の約束してくれるの嬉しいな。いいよ。クッションあげるからこれに座りな」 「ありがとうございます」  そう言ってキュウは冴木の膝から降り、大して離れもしない位置に腰を再び下ろした。  ギンは驚くことばかりで、何から問うべきかいまいち計りかねる。  そんな気持ちを()んでくれたのか。キュウが改めて説明してくれた。 「驎さんは今、服飾の仕事をしてるんだって。スタイリストになりたいんですよね?」 「そう。君たちみたいなアイドルを着飾って輝かせたいんだ。モデルの仕事も楽しかったけど、将来を考えるとさ、いつ干されるかも分からない世界じゃない? だからもういいかなって」 「どうして、黙って消えたんですか?」  ギンは自然と、そう問いかけていた。人々が冴木美乃の存在を忘れる中で、ファンだけは、冴木美乃の喪失をいつまでも抱えているような気がした。  けれど。 「誰の心の中にも、冴木美乃だけを刻みつけておきたいから」 「……?」 「分からない? 冴木美乃のファンは冴木美乃だけを知っている。吉野驎は知らない。それでいいと思ったんだ。それがいい、ってさ。自分の新たな夢を追いかけます、って吉野驎のことも応援してもらうわけにはいかないでしょ? みんなにはモデルを頑張ってた冴木美乃を応援してもらっていたんだから。まぁ、一言ぐらいあってもよかったんだろうけど、いい案が思い浮かばなくてね。それにふと気が付けば消えてる方が、芸能界っぽいでしょ?」  暗くなることなく、(ほが)らかに、すっきりと話す冴木を見て、本当に後悔のない決断だったのだと分かった。  ──みんなの前から黙って消える。 「……」  その難しさを、冴木は乗り越えたのだ。 「それでキュウとは偶然仕事で会って、お互いに知らないわけじゃないからお酒飲みに行って、俺が酔い潰れて情けないところ見して」  目を合わせ、二人が笑い合う。 「そうしたらなにこの子。付き合ってくれたんだよ、俺の愚痴とか溜め込んでいたもの全部吐き出すの。そんなの女の子でもしてくれた子いなかったからさ、すぐ仲良くなって、今はたまにこうして秘密の逢瀬を重ねてるってわけ。キュウって可愛いよね」 「ぅ」  手のひらでキュウの頭を撫で、くすくすと笑う。 「で、なんだっけ。ギンさんは悩んでることあるんだよね」 「あ、はい」 「俺に教えられることがあるなら、教えてあげよう。今までにしてあげられなかった先輩面、一回してみたかったんだよね」 「……実は、」  話すことに躊躇う気持ちはなかった。冴木──吉野が知らなかったところを考えると、キュウはギンの気持ちを推し量って訳を詳細に明かしていたわけではなさそうだが、そんな気遣いはいらないと思った。  自分に足りないところを見つければ、みんなが楽しみにしていたミカとの初共演を無事に乗り越えられる──次に繋げることができるのだから。 「新しいことを構築するのは難しいよね」  ギンの話を聞いた吉野の一言目がそれだった。志葉とはまた違う反応である。 「自分は一人しかいないのに、何人分もの量を求められるんだもの。疲れるよねぇ」 「志葉さんには色気は品の良さだと教えられました」 「志葉さん? ああ、あの俳優さんね。……ふむ。じゃあ、俺は少し違うアプローチを教えてあげようか」  吉野が右手を伸ばし、キュウの腕を掴む。そうしてベッドに座らせた。 「志葉さんが心構えを言うなら、俺は体で表現する方法を教えてあげる」  その笑みが、雑誌でよく目にしていた冴木美乃の笑顔であることを彷彿とさせたのは、やはり吉野驎が、同一人物であるという証拠なのだろう。  * * * 「俺は、色気って安直にエロさだと思うんだよね。それを表現するのって、簡単なようで案外難しい。いつも冴木美乃が求められてきたものだけど、その中でもバリエーションがなくちゃ話にならなくてさ。例えば」  ベッドの下にいるギンへ、吉野が手のひらを見せる。 「こうして相手がいた場合。手のひら全体で掴むのと、」  その手がキュウの二の腕に向かう。 「指先をやんわりと立てて触れるのでは、印象が違うと思わない?」 「思います」 「掴むか触るか、触るか触れるか。言葉でも微妙な差が出るけど、それを見る側に感じさせなきゃいけないんだよね。顎を掴むにも指で挟むより、指を添える意識。見る側に“もしかして冴木美乃ってこの人に触りたくない?”って思われないような匙加減。あと、これは初歩的なものだけど、」  キュウを抱き寄せ、後ろから耳に触れて見せる。 「触りたいところと逆の手で触れるとそれっぽく見える。交差させるんだ。こうして右耳を右手で触るより、左手で触った方がいいでしょ? どう?」 「はい」 「でも逆に、抱き締める時はわざと腕を交差しない方法もある。こうやって脇の下から腕を入れて、肩を掴むようにする。ね」 「はい」 「いい子」  ずっと微動だにせずなされるがままであったキュウへの(ねぎら)いだろうが、自分が言われているような錯覚に陥ったのは言うまでもない。  吉野はそれからも様々な技法を教えてくれた。ぱっと目を引く色気、じわじわと滲み出るような色気、思い出して感じる色気。 「そして大事なのは。もっと自分に素直に。自分をひけらかすんだ。普段隠している自分を、カメラの前で見せる──その先に誰を見るか?」  視線を送られる。 「誰に君自身を見てもらいたい? 想像する。君の一番は誰? 誰にその色気を見てエロいって思われたいの? 想像は何よりも表現者にとって劇薬になる」  * * * 「ありがとうございました」 「ううん。俺も楽しかったよ」 「明日もお仕事ですよね?」 「うん。でも、それはキュウも同じでしょ。……ケィは最近、どう?」 「元気です」 「ははっ」 「頑張ってます。これからもっとサンセプは大きくなって、デーフェクトゥスに追いついていくと思います」 「うん、期待してる」 「……本当に会ってくれないんですか?」 「キュウ。何回目のやり取り?」 「ごめんなさい」 「俺は俺で一歩を踏み出したんだ。忘れることも大切でしょ、ケィが忘れてるんだから」 「……」 「それより、お前の特訓はどうするの。まだ続ける?」 「お願いします。これからますます仕事の幅が広がっていくにつれて、僕が他人と触れ合うことの危うさを抱えているのはリスクにもなると思うので」 「おっけー。どんどん容赦なく手繋いだり抱き締めたりするからね」 「はい」 「でも思ったんだけど、キュウは、案外女の子と触れ合うのは平気だったりするんじゃない?」 「え」 「男だからドキドキするのかもよ?」 「……そう、ですか? やっぱり……」 「ふふ、かわいーね。可愛い子は好きだよ」 「あ……」 「はい、ダメ。顔赤くなった」 「っ、す、すみません」  * * *  扉が開き、やっとキュウが吉野の部屋から出てきた。志葉の時と同様、彼は個人的な話があるとギンを先に家から出していたのだ。志葉の家とは違い、一間であったから仕方ないとは思うが。 「ありがとうございました」 「また待ってるね。ギンさんも。よかったら遊びに来て。友達以外に少ないからいつも暇してるんだ」 「はい……今日はありがとうございました。参考になりました」 「はい。またね!」  キュウは小さく手を振り、ギンは頭を下げて。終始笑顔であった吉野は、部屋の中へと消えた。静かに扉が閉まり、辺りに静寂が戻ってくる。室内の明るさに目が慣れていた為、足元が途端に暗くなった。 「ギン、行こっか」 「ああ」  キュウと共に慎重に歩き出し、生い茂る草木を掻き分けるようにして道路へと出る。それでも人通りはなかった。吉野との会話が弾んでしまったせいか、もう深夜である。 「キュウ、今日はありがとう」 「うん? あ、うんっ、役に立ったかな」  少し不安そうな顔だ。等間隔に設置されている街灯に照らし出されたキュウの顔を見て、ギンは灯りがあるうちに頷く。 「うん、凄く……いい話が聞けた」 「僕がああいうことを言ってあげられたらいいんだけど、無理だったから。ごめんね。なにも言わないで勝手にギンの悩み、相談して」 「ううん。いい。キュウの気持ちは、ちゃんと分かってる」 「……ふふ、ありがとう」  キュウの綺麗な笑みが、やっと夜闇に慣れた目に映る。 「キュウは、いろんな人にモテる」 「え?」 「志葉さんと吉野さん。意外だった」 「……うん、嬉しい。僕のことを好きだと言ってくれるのは」  言葉通りの表情を浮かべるキュウから、ギンは視線を逸らした。  神にも愛されるこの男は、何を不幸に思うのだろう。彼を嫌う人なんて、この世にいるのだろうか。 「でも、弟には嫌われてるかもしれない」  ふと呟かれた言葉に、目が引き寄せられた。 「弟? キュウは弟がいるのか?」 「うん。こっちに来てから、一度も連絡してない」 「……どうして?」 「別れが、ちゃんとできてなかったから」  寂しそうな声を出して、キュウは夜空に目を放った。 「反対されてて……都会に出て、何するの? お兄ちゃんは僕達を捨ててどこか知らない場所へ行っちゃうの? って。僕は、大好きな弟を置いて、今、ここにいる」 「俺の前にいる」 「?」  今夜は、自分の意思とは別に、口からよく言葉が(ほとばし)る。その現象に内心戸惑いつつ、ギンは思うまま口に出した。 「少なくとも。……今日、キュウが俺の目の前にいなかったら、俺は悩んだまま……助からなかった。みんなに落胆されて、せっかくの共演も台無しにしてた」 「……」 「……」 「、」  キュウが見つめてくる。街灯のない場所で足を止めた彼の表情は、よく見えた。──ギンだけを、見つめている。先程まで志葉、吉野、星空を映していた二つの瞳に、ギンの銀髪が。 「キュウはここにいてくれ」 いなくなるのは自分だけで──。 「ありがとう」

ともだちにシェアしよう!