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Q16-1

「──ありがとうございました!」  新曲発売記念の握手会を終えたサントラップセプテット。ファンに笑顔で手を振り、楽屋に入って、自然と七人は顔を見合わせ、掲げた拳を打ち合わせた。 「今日のダンス、すごい噛み合ってたね!」  ユズが嬉しそうに言う。 「ええ、今までで一番の出来だったと思います」 「ああ、オレもよかったと思うよ。ギンは?」 「うん……よかった。アンド」 「うん。もう凄いとしか言いようがないよ……泣きそうだ」 「貴方は涙脆いですね。ファンの子にお礼を言われただけで泣いてたでしょう?」 「だって、嬉しいこと言ってくれるからさ。俺がいるから、毎日が楽しくて、生きていられるんだって」 「それ、重いって思ってたことあったな」  ケィが懐かしそうに言う。 「でもメチャメチャ嬉しい言葉だよな。オレの存在意義があるもんな」 「そう! そうなんだよ……っ、あぁ、思い出したらまた泣きそう」 「全く貴方は……」  笑いがじんわりと空気に滲み出す。  それを眺めながらコアは、キュウに矛先を向けた。 「キュウ」 「……ん?」  CMの曲に使用されている新曲から、彼は一段と色気というものものにしたようで。ステージから降りたというのに、その色気を醸し出したままである。  曲中、カメラに向かって流し目をする担当があるのだが、それが癖になっているとでも言うように、コアを見る目の動きは妖しかった。 「はぁ……ぅ」  息も乱れていて、胸が扇情(せんじょう)的に上下している……? 「どうした? 具合、悪い?」 「ん。ちょっと」 「大丈夫ですか? wolfは移動が多い上、キュウはセンターですからね。座ってください」 「あ。ありがとう」  椅子を持ってきたフールの手を借り、キュウが腰を下ろす。その様子は少々辛そうで、コアの心に不安が広がる。あ、と思い、用意されていた水の入ったペットボトルを手に取り、キュウに寄る。 「こ、これ、あげるから」 「コア。ありがとう」  ふっと笑い、頭を撫でられる。 「おれ、汗かいてる」 「? 僕もだよ」 「ち、違う。臭いだろ? 触んない方が、」 「バカだなぁ」  ふふ、ともう一度笑う。 「汗掻いたのは頑張ったから。ファンに最高のものを届けられた証だよ。汚くないし、臭くもない。ほら、抱き締めようか?」 「え……!」  思ったよりも強い力で体を引き寄せられ、キュウの腕に囲われる。 「あ、ずるい!」  決まったようにユズが不公平を口にする。  だからだろう。 「ユズもおいで」  そんなふう招いて。 「いいの!?」  嬉々として飛び込んできた小さな体をも彼は抱く。 「ふふふっ、キュウくんあったかい」 「ユズも。コアも温かいね」 「っ!」  位置が悪かったのだろう、耳元で囁かれ、コアはびくっと震えてしまった。  そんな三人を見ていた後の四人はどうやら呆れているようである。 「握手会と言ってもライブもしたんですよ? 熱くありません?」  と、フールは眉根を寄せ。 「あはは、仲がいいなぁ」  アンドは比較的楽観視していて。 「……」  ギンの表情は読めなく。  ケィは手の届く距離にまで近づいて来て、キュウの額に手をやっていた。 「昨日無理させた?」 「ううん、別に、平気」 「熱はなさそうだけど」 「大丈夫だよ」  そんな二人の会話にコアが顔を顰めると同時に、キュウの胸元に幸せそうに埋めていた顔をぱっと上げた。 「“昨日無理させた”って何それ」 「あ?」 「すっごい意味深なんだけど」 「意味深? 何が」 「あっ、その言い方怪しい! キュウくんと何したのっ?」 「別に──」 「私も気になります」 「おい」  フールが首を傾げ、問う。 「何、したんです?」  フールといったら眼鏡の印象があるが、今回は初めてだというコンタクトを嵌めている。素顔の彼は少々子供っぽい顔つきで、それが曲中に化けるものだから、彼が前線に上がってくると毎回悲鳴じみた黄色い声援が凄まじい、のだが。ケィに詰め寄るフールはいつもとどこも変わらない、規律に厳しい副リーダーであった。 「な、なんだよ。みんなしてキュウのことになると必死だな」 「当たり前じゃないですか。大事なセンターなんですよ? それなのに無理させたなんて聞いてみてくださいよ、心配します」 「そうかよ」 「キュウ、大丈夫なんですね? どこも痛めてませんか?」 「なんでオレが怪我させたみたいに言ってんだよ」  ケィの非難なんて聞こえていないとでも言うように、フールはキュウの顔を覗き込む。  すれば、彼はそんな心配を払拭させようと笑顔になった。 「大丈夫だよ。フール。あまり心配しないで? また胃が痛くなるよ」 「そんな、私は大丈夫です。貴方のことは、誰よりも大切なんですから」 「あはは、面白いね、フールは」 「なんでですか?!」 「あと優しい。でも、ちゃんと自分のことも労わらなきゃダメだよ」 「……」 それなら私も抱き締めてください──フールの本音のような言葉をコアの耳が捉えた刹那、 「──みんなお疲れ様!」  楽屋の扉が開き、立花が勢いよく飛び込んできた。 「暑苦しくないの? 仲が良いのはいいけど」 「キュウくんがおいでって!」 「へぇ……」  意外とばかりに立花は瞬く。 「大丈夫なの?」  その問いかけに、キュウは、コアにはよく分からなかったが、迷いなく頷いていた。 「訓練、しましたから」 「お、じゃあ次のステップに行けるね!」 「キュウ!」  キュウが一人で楽屋が出たのを見計らって、コアは彼の後を追いかけた。後は立花が運転する車で宿舎に帰るだけだが、まだ立花の仕事が残っている為に楽屋での待機を命じられていたのだ。 「コア? どうしたの」  キュウは振り向く。いつもと同じように。  しかし、コアは知っていた。彼が、いつもとは違うことに。 「キュウ、怪我してる」 「え?」 「おれ、わかるから」  言って、(おもむろ)にしゃがみ込み、彼のズボンの裾を捲る。左足。間違いなかった。 「キュウ、おれの足踏んで(くじ)いたろ?」 「……」  瞬間、彼が驚いたようにこちらを見る。  それでコアは確信した。  wolfの中盤、後ろにいるコアは前にいるキュウと入れ替わるようにして前にでなければいけないところがある。今日、そこで少しだけコアは右にずれすぎた。いつもならもっとコンパクトに移動できていたのに、今日だけ膨らんでしまった移動。その少しのズレは、日々、合わせて踊っている者にしてみれば大幅なズレとなる。それが分かっているから、自分の体が外側に膨れた刹那、まずいと思った。キュウとすれ違う、その一瞬。けれど、修正することもできず、コアの右足はキュウの左足の着地地点に運悪く重なり、それを知らずキュウは──……。 「ごめん、キュウ。痛い? ……赤くなってる!」  靴から覗いている足首は薄く色付いている。 「コアのせいじゃないよ。僕の移動が大袈裟だっただけ」 「そんな! 靴脱げる? おれ、氷もらってくるから」 「いい」 「キュウ、」 「大丈夫。心配させるわけにはいかない」 「でも、痛いでしょ? 腫れてたら──」 「腫れてない。さっき確認した。挫きはしたけど大丈夫。明日には治ってる」 「キュウっ」 「コア」  彼の手によって、立たされる。 「なんで隠すの? おれのせいだから、キュウは悪くないよ。怒られないし、」 「怒られるのが怖いんじゃないよ」 「じゃあ、」 「今ある勢いを壊したくない」 「……?」  キュウの瞳は真剣で、掴んだコアの手に力が加わってきた。 「怪我した、なんて言ったら行動に制限がかかっちゃうかもしれないでしょ。今がデーフェクトゥスとの差を埋める時なんだ。動くのには問題ない」  キュウが左足を回し、アピールする。 「ダメだったらちゃんと言う。だから心配しないで」 「……むり、だよ」 「どうして」 「し、んぱいは心配だよ。おれ、キュウがいなくなったらイヤだもん!」 「いなくならないよ、ただの捻挫で──」 「あ! 捻挫って認めた! とりあえず、誰にもバレたくないならバレない場所にいて! 冷たいもの持ってくるから!ね!」  拒絶されないようにそう次の行動を押し付けて、コアはその場を離れた。人気のない場所を選んだキュウの居場所は、意地でも見つけるつもりであった。  * * *  結果的にコアは、キュウのことをしっかり見つけ出した。彼は隠れると言ったら本当に姿を眩ませて見つけられないのだが、心に決めていたのだからもう自棄になってその建物の隅々まで見て探った。まるで死期を悟った猫のように姿を見せないから、焦る焦る。楽屋に戻ってしまっただろうかと思いつつ、あれだけうるさく言ったのだから、どこかで自分のことを待っているはずだ、と足を動かし続けた。そして、人気のない、入り組んだ廊下の最果て、非常口の前にぽつんと置かれたぼろぼろの革張りソファに彼は座っていた。  行儀良く、背筋を伸ばして。ただ、左足は前方に投げ出されていて、やはり彼は痩せ我慢をしていたのだと思い知った。  手にしているペットボトルがまだ冷たいのを確認して、声をかける。 「キュウ! お待たせ!」 「あ……本当に見つかった」  ほんの僅かに瞠目して、笑う。 「すごい。こうして意識的に隠れて見つかったの、ケィ以外で初めてだ」 「ケィ?」 「うん。ケィは、すぐ僕のこと見つける」 「へぇ。ケィはキュウのことわかってんだ」 「そうかな」 「うん。あ、ほらこれ。ちょっと温くなっちゃったかもしれないけど、ないよりマシだろ?」  投げ出されている左足の裾を捲り、患部に当てる。が、どうにもしっくりこなくて、 「靴、脱がしていい?」 「うん」  慎重に、痛くないように努めてぴかぴかに磨かれた靴を脱がせた。滑らかな肌が露わになって、コアは唾液を意識的に飲み込む。そして、ゆっくりと、赤くなっている足首にペットボトルを当てた。自分の膝の上にキュウの足を乗せ、様子を見る。 「ぁー……きもちぃ」 「!」  その時、キュウの体からふっと力が抜けたようだった。脱力したように背凭れへ背中を預け、天井を仰いでいる。 「ありがとう、コア。冷たくていい」 「う、うん。これぐらい、どうってことないよ」 「ん」  彼の胸が上下する。気持ち良さそうに目を閉じる。 「コアはいい子だね」 「え……そう? 嬉しい。キュウに、そう言われると。完璧だから」 「完璧?」 「うん。キュウはすごいよ。尊敬してるんだ」 「ふふ、嬉しいけど……僕はまだまだ完璧に程遠いよ。ほら、こうして怪我しちゃうしね」 「これは、おれのせいだから。いつものようにできなかった。練習ではできてたのに」  ──本番でのミスは良くない。見てくれる人に最高の物を届けてこそ、アイドルである。そう思っているのに……。 「ミスすることは、悪いことじゃない。何度ミスしたっていい。次、成功させればいいんだよ」 「……」 「難しいと思ったら練習して、自信をつける。ね」 「うん。キュウ。おれ、もっと練習する」 「うん。僕もする。あの交差のところ、もっとよく確かめ合おう」 「うん! ねぇ、キュウ──」 「あ、ここにいたのか」  声に振り返ると、ケィがいた。片手にタオルを持っていて、コアを見て、少々驚いている。 「コア……オマエ……」 「あ、ケィ」  キュウが背凭れから体を起こす。  それに気付いたケィはコアから視線を外し、キュウの隣へと遠慮なく腰を下ろした。 「大丈夫かよ? 足、やったろ?」 「なんで分かるの?」 「そりゃあ、あのキュウ様が一瞬でもダンスにキレがなくなったんだから分かるに決まっててるだろ」 「一瞬……? もしかしたら、僕だって手抜きをするかも」 「バカ。んなことしないの、誰でも分かるよ。オマエのこと知ってるヤツならな」 「……ふ〜ん」 「でも、コアがいるならこれいらなかったかもな」  そう言うケィが持っていたのはただのタオルではなく……濡れタオルであったことが分かった。  ケィも、キュウの怪我に気が付いて、楽屋から姿を消した彼を探していたのだろう。一度姿を見失うと、再び見つけるのが困難な彼を。ケィはそんなキュウを見つけるのが得意らしい。 「あ、待って。それおでこにちょうだい」 「あ?」 「冷たいんでしょ? 冷やしたい」 「……別に、いいけど」  気遣いか、本音か。  キュウはケィの優しさを無駄にすることなく、それを額に乗せた。そうして先程コアの前で見せたように、両目を閉じて深く息を吐き出すのだった。言わずとも、リラックスしているのが分かった。 「ケィは、キュウのことよく知っているんだ」 「あ?」 「羨ましいなぁ」 「……」 「おれも、ケィみたいにキュウのこと知れたらいいのに」 「…………ふふっ」 その時、どうしてキュウが吹き出すようにして笑ったのか──コアは理解できなかった。  * * *  キュウはしばらくそうして冷やしているから、と言うからコアはその場から離れた。もちろん、キュウ一人でいるならコアも喜んでついていた。だが、ケィもキュウと共にいるようだったから、コアは離れたのだ。なんとなく……邪魔をしてはいけないような気がした。  何故だろうか。ケィの方がキュウのことをよく知っているようで、自分がその場にいることが相応しくないようだったのだ。無論、自分がそう思ってしまっただけで、キュウもケィも、何も思っていないのだろうけれど。  しかし、不思議なのは、以前なら抱いていただろう恐怖を全く感じていないことであった。自分の目の前からまた誰かがいなくなったらどうしよう。  その不安が払拭されている今、コアは若干後ろ髪を引かれる思いに駆られながらも、キュウをケィと二人きりにできたのである。  そろそろ立花の仕事も終わっただろうか。割り当てられた楽屋を目指して歩いていくコアは擦れ違ったスタッフに声をかけつつ、先を急いだ。 「──あれ、コアくんじゃないかい?」 「?」  その声に、コアは足を止めた。振り返る。  すれば、見たこともない男が立っていた。 「誰、……だ? おっさん」  見た瞬間、顔を顰めてしまった。スタッフでないことは見て明らかであった。男の容貌こそ中年、といった具合だが、着ている服はヨレ、何日も洗っていないような印象を抱かせた。決しておしゃれとは言えず、見た目が重要視される芸能界においてその男のような格好を業界人が許すはずもなかった。故に、コアの知らない芸能人、という可能性も少ないようだった。だからこそ、“おっさん”と呼んでしまったのだ。無論、これで重鎮であったら大目玉であるが。 「あはっは」  しかし。コアの勘は当たっていた。 「こりゃあ手厳しい。警戒心はしっかりしている、というところかな?」  馴れ馴れしい口調。嘘っぽい笑顔。  それを見て、コアは男の全身を眺めた。どうして警備員に止められなかったのだろうと思うほど酷い格好は一旦置いたとして、どちらかといえば小柄の男はその体格には大きすぎる分厚い鞄を肩にかけ、時折ケィにファッションセンスがないと言われるコアでもダサイと思ってしまうぐらいの位置で重そうにしている。そして、自身の後ろに隠すようにして手に持っているのは──コアにも馴染み深い、カメラ。 「おっさん、どっかの記者?」 「おっ、分かるかい?」  一眼レフだった。それだけが、高価そうである。カメラを買えるぐらいなら服だって、野暮ったそうな髪だって小綺麗にできるだろうに。 「初めまして、コアくん。私は週間U(アンダー)()()()と申します。以後お見知り置きを」 「なぁ、キュウ。よかったのか? 引き留めなくて」 「うん?」 「コアだよ」 「引き留める? なんで?」 「なんで、ってオマエ……鈍感か? コアはどうしてオマエの怪我に気付いたよ」 「……う〜ん、僕が、足を踏んだから?」 「違ぇ。いやそれも合ってんだろうけど……。コアがオマエの怪我に気が付いて、甲斐甲斐しく世話してくれた、それってただの罪悪感じゃないだろ? オマエの気持ちに配慮して、こんなところに隠れてるオマエに冷やす物を持ってきた、そうだろ?」 「ケィはなにが言いたいの?」 「ぅ、ぐ……っ、クソ、マジでわかんねぇの?」 「……そう言われると、不安になる。僕、何か忘れてる?」 「はぁ」 「え」 「オマエは無駄にモテるんだから、気を付けろよ。妙なことになって逆恨みでもされた面倒だろ」 「あ……うん。分かった」 「本当に分かったのか?」 「ん。ねぇ、ケィ──」

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