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Q16-5

「ギン?」  六○六。その部屋を訪ねるのが日課となっていく。 「……」  ギンは一言も喋らない。食事やトイレといった生理的な欲求は自ら満たしてくれ、特別コアが何かをする必要はないが、何を話しかけても彼はコアと口を利いてくれなかった。  それなのにアンドや立花と話をすることなんて無理だろう。だから、コアは彼をこの部屋に閉じ込め、仲間達には嘘の伝言をしているのである。──ギンは体調が悪く、仕事できる状態ではない、と。  だが、それも数日で怪しまれてきている節がある。なんせ急なことで、コアがあの日ギンを体調不良だと言って連れ出して以降、彼らは会っておらず、説明も一方的であるのだから、心配するのは当たり前だし、(いぶか)しむのも当然だろう。  それでも決定的に踏み込んでこないのは、ギンを信じ、コアを信じてくれているからなのだろうけれど。 「ギン? 喋ってくれないの?」 「……」  まるで魂が抜けてしまったかのような様子に、コアは忘れていた焦りを思い出すようだった。 「そろそろみんなの前に出ていかないと怪しまれる。効力は切れてるはずだよ。もう、大丈夫だろ?」  ──大丈夫ではないのだろうか。  コアが見ただけでは、あの透明のフィルムに入っていた量は少ないように思う。どう考えても、その効果が三日にも渡って続くとは思えない。  では、何故、彼はこうも無気力であるのか。  副作用ということも考えはした。ネットで調べたところ、摂取してから四十八時間が山で、そこから徐々に回復してくるのだという。それに当てはまるのか定かではないが、誰にも頼れないコアからしてみれば有力な情報であった。  当初、数日誰にも会わなければ、ギンが秘密を摂取したことが露見することはなく、ギンも通常通りに戻るだろうと思っていた。だが、こうなると楽観視もしていられないのかもしれない。  時間の問題だ。あの薬は、一度口にしてしまったら、生きる気力を奪うのだろうか? 「ギン、頑張れ。おれも、頑張る。頑張って、みんなに怪しまれないようにする。それに……色々情報を集めるから。じゃないと……やっぱ、ギンがいないと、七人が揃わないとサンセプじゃないんだ」 「……ん……」 「っ、ギン!?」  短い、呻きのような音を聞いた気がして、ギンの顔を覗き込む。  と、目が合った。 「ギン、大丈夫か? 水、飲むか?」 「平気、だ……頭、がぼーっとする、だけ」 「しゃ、喋れる?」 「悪い」  緩く首を振るところを見るに、まだ本調子ではないらしい。  しかし、やっと本来のギンが垣間見えた。  一気に嬉しさが込み上げてきて、コアは久しぶりに心の底から笑えた。 「よかった。なにか、ご飯は食べれる? 今日は、おれもここで食べていくから」 「……あぁ」  綺麗な銀の髪が揺れる。さらさらと肩を流れて、彼自身の背中を撫でている──。  これでもう大丈夫だ。後は、何もなかったように戻ればいい。ギンも、コアも。この数日のことは墓にまで持っていって、忘れたことにするのだ。  ギンに何があったのか、どうしてコアの鞄を漁り、見つけたものを告発もせず自身に取り込んだのか。  そんなこと、知らずともいい。あの場所に戻れるなら。また、七人で舞台に立ち、家族としてあの宿舎で暮らせるなら。  * * * 「よかった! ギンくん! 元気になったんだねっ」  翌日。コアはギンをホテルから連れ出し、宿舎に戻らせた。と言っても、コアがホテルの個室に閉じ込めはしつつもギンの意思があればいくらでも出ていくことはできたのだが。  ギンの体調は、完全に復活した。会話もでき、食欲もある。戻ってくる前は笑顔だって見られたし、コアは大仕事を成し遂げた気になって、みんなの前で自信満々に胸を逸らした。 「だから言ってろ? おれがついてるから大丈夫、って!」 「うん。最初は本当心配したけど、よかったよ」  と、アンド。 「コアに任せてよかった」 「ったく心配させるなよ。今度はちゃんと説明してから出てけよな」 「ごめん」  ケィの言葉にギンはしっかり言葉を返す。 「まあ、私も色々言いたいことはありますが」  前口上のように言い、フールが眼鏡を神経質に押し上げた。 「たった三日で戻ってきてくれて安心しました。一ヶ月後には大切なライブが控えてるんです。もう、良いんでしょう?」 「うん。大丈夫」 「では、この数日のことは水に流しましょう。今は先のことだけを考えて動いていきます。それでいいですよね?」  七人がそれぞれ頷き返す。  それを見た立花が嬉しそうに微笑んだのを見たコアは解き放たれるような、爽快な気持ちになって、これから何もかもが上手くいくのだろうと思わずにはいられなかった。  一ヶ月後のライブは今ある力を全て出し切り、大成功を収めるべく、ダンスも歌も、フォーメーションも、完璧にしよう──。  でもダメだった。そんなコアを嘲笑うように、見えぬ禍が手招いているのだった。  * * * 「え、ギンが帰ってない?」 「はい、そうなんです。まぁ、心配ないでしょうけど。ユズが美容院に行くと言っていたのを聞いていたらしいので」  まぁ、私達や立花さんに伝えてないのが難点ですが、とフールは晩御飯を作りながらぶつぶつと呟いている。  ギンが回復をして戻ってきてから一週間が経ったある日。コアはそれまで忘れていた焦燥感を思い出してしまう。 「美容院」 「はい?」 「ギンが行ってる美容院って、どこ?」 「そういえば、どこなんでしょう? 一度も聞いたことありませんよね? あ、アンド」 「ん?」  お風呂から出てきたらしいアンドが、冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップに注いでいる。 「ギンの通っている美容院ってどこか知ってますか?」 「え? ……えぇっと、どこだったかな」  右斜め上に目を遣り、アンドは考える素振りをする。やがて腕を組み、眉間に皺を寄せて熟考しだしたところで、首を横に振った。 「そう言われると聞いたことないや、ごめん」 「いいえ、私達の中でいるんでしょうか。知ってる人」 「どれ。聞いてきてみるよ」 「あっ、おれも行く!」  行動力のあるアンドの大きな背中を追い、コアも手分けして仲間達にギンの通う美容院について聞き回った。しかし…… 「コア、こっちもダメだ」 「そ、っか……みんな知らないって」 「ギンの性格からして、あまり自分のことを口にしないからなぁ」 「……」 「気になるのか?」 「あ、うん……ちょっと」  気になる、というより引っかかる。どうしてだろう。胸騒ぎのような、嫌な予感だ。 「おれっ……ちょっと行ってくる!」 「どこに?」 「う〜ん、わかんない。わかんないけど……」  二の足を踏みつつ、上体を何かに引っ張られるようにして前屈みにするコアに、アンドは好きなようにしたらいいと言うように頷いてくれた。 「けど、もう暗いんだから無闇矢鱈に走っちゃダメだぞ。事故はダメだ」 「うん、わかった」 「あと、携帯は持っておいて。入れ違いになったら連絡する」 「うん。ありがとう、アンド」  言うと、彼はくすぐったそうに笑った。 「お前とギンは仲が良いからな。安心して任せられる。これからもギンのこと、気かけてやってくれ」 「うん」 「よし」  今度は嬉しそうに破顔し、頭を撫でてきたのだった。  それからコアは宿舎を飛び出し、何かに導かれるようにして“あの場所”へと急いだ。予感があったのだ、ギンはあの六○六号室にいる、と。  * * * 「アンド」 「あ、キュウ。風呂空いたよ」 「うん。今、コアと話してたよね?」 「あぁ。ほらギンのこと。二人は仲が良いから」 「探しに行ったの?」 「黙っていられないんだよ。俺達だって、ギンのこと、よく分からなくなっちゃってる」 「……湯冷めするよ、ちゃんと髪乾かさないと」 「うわ、じっ自分でできるよ」  * * * 「あのっ、六○六号室って今日埋まってますか?!」  深呼吸一つせず、ぜぇはぁと荒い息と共にフロントにいた女性に声をかけると、彼女は呆気に取られた様子ながら流石は接客業に携わる人間である、少々ぎこちないながらも笑顔を見せ、手元のパソコンに視線を落とす。 「──そうですね。入室して頂いています」 「ありがとうっ!」  ぴかぴかに磨き抜かれた床を蹴り、エレベーターへと向かう。背後からお客様!? という女性の声が聞こえてきたが、聞こえなかった振りをした。  確かめなくてはならない。六○六にいるのがギンなのか、どうか。  エレベーターが降りてくる時間に焦れて、コアは影に紛れるようにしてある階段を上がっていく。六階などすぐだ。  自分の激しい呼吸音だけが響く。高級ホテルのここでは、誰もがエレベーターを使い、階段を使用するのはせいぜい従業員だけなのだろう。  誰一人とも擦れ違わず、コアは目的の部屋の前までやって来た。  だが、扉はオートロックだ。カードキーがなければ部屋に入ることはできない。 「ギン……っ」  一か八か、扉をノックする。 「ギン、いないのか……っ?」  分厚い扉越しではその小さな呟きがめいた声が聞こえるわけがない。  一階に戻ってフロントで事情を話そうか。いや、けれど──。 「あ、すみません!」  * * * 「中にカードキーはあるんですよね?」 「はい、すみません。急いでたので携帯するの忘れてしまって」 「いえ、よくあることなんですよ。……はい、開きました」 「ありがとうございます!」  得意になった嘘で、コアは偶然通りかかった従業員に鍵を部屋に置いたまま出てしまったと言ったのだ。その従業員はギンを三日ほどこのホテルに連れてきた時に何度か部屋に料理を運んできてくれた年若い男で、コアの言葉を疑う様子もなく、鍵の解錠を手配してくれた。 「また困ったことがあったら言ってくださいね!」  にこにこと笑う彼に頭を下げながら、コアは六○六の部屋へと体を滑り込ませた。  もしも全くの他人がいたら大問題になる。しかし、コアは恐れていなかった。予感があったらからではない。鍵を開けてくれた従業員の態度で、コアのお願いをすんなりと聞いてくれた彼のお陰で、ここにギンがいることを確信することができたのである。 「ギン?」  部屋の中は真っ暗であった。が、大きな窓にはカーテンが引かれておらず、外灯のお陰で室内の様相は十分に観察できる。家具の配置など、以前と変わったところはない。匂いも、仄かに花のような香りがして心地いい。 「……」  声が聞こえた。 「ギン!?」  聞き間違えない、ギンの声音であった。 「どこにいるの? おれだよ、コア……──!!」  そうして彼を見つけた。  美容院に行っていると、ユズに伝えていたらしい彼。  そんな“嘘吐き”の彼は、自慢の銀髪をベッド上に広げ、虚な目をこちらに向けていた。 「ギンッ?! どうした──」 「はは、」 「!!?」  乾いた笑い声が漏れる。  ぎくりとした。それは、ついこの前に見た、秘密を摂取したギンと同様だったから──いや、それよりも酷いだろうか。 「なんで」  焦りと共に形容し難い、怒りのようなものが込み上げる。 「なんでッ、もう終わったことじゃん! 薬の効果も消えて、ギン……元に戻ってたじゃん! なんでまた……っ」  足を踏み出すと、毛の長い絨毯に見覚えのあるフィルムが落ちていた。そこには粉が付着していて……。 「どうして……? おれ、もう持ってない! あの時、ちゃんと捨てた! それに、っ、あの時はピンクじゃなかった……!」 「コア。どうして怒っている? こんなにも気持ちいいのに」 「ギン!」  虚な目をしたまま、ギンは口元を歪ませて笑う。 「やっぱり、俺には無理だった。こんな生活を止めることも、お前やキュウ達と一緒の場所に立つことも」 「何言って……」 「ははっ」  刹那、大きな、大きな高笑いが部屋中に響いた。 「!?」  泣きそうになる、逃げ出してしまいたい。怖い、こわい。 「ギン……っ、やだ、普通のギンに戻ってよ! おれ達、アイドルの一番になるんだろっ?」 「あははははははは!!」 「……ギンッ」 「お前は助けてくれると言った、でもこの有様だ、全然……助けてくれないっ!!」  壊れてしまう。 「……」  全てが、もう終わりを迎える。  登る時は一生懸命に頑張って、でも落ちる時は一瞬?  自分達はもうここまでなのか。ある程度の人気を誇り、ある程度の旋風を巻き起こしつつも、デーフェクトゥスには到底及ばない? 今まで応援してくれていた人達を裏切ることしかできないのか?  ──自分では、ギンを助けてやれないのか……?  床に落ちているフィルムは、コアが鞄に忍ばせていたものではない。あの日、しっかりとビニールやティッシュに包んで、何重にも包んで捨てたはずだ。そうしてギンを連れ帰ったのだから、まさかゴミ箱を漁ってギンが手に入れたわけでもない。  つまり、彼は、自身で新たにそれを手に入れたのだろう。コアの鞄から見つけたものを構わず摂取したギンである。薬は彼のそばにあって、馴染みがあったのだ。  彼を助けると言って、何も聞かなかったのがいけないのか。彼が回復したと判断するのが早すぎたのか。  今となっては、分からない。どうしたらよかったのか、これからどうするべきなのか。  ただ破滅を待てばいいのか、少しでも足掻くべきか。  もしも……もしもこの状態になることを能津湖が予想していたなら。 「マスコミが、来る……?」  振り返ったコアの耳に、扉を叩く音が異様に大きく聞こえた。

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