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Q17-1

gin side:rest:sweet whisper of love  普通と思っていたことが普通ではないと知らされた時、幼い少年はただただ目の前の現実を見つめることしかできなかった。  * * *  (はす)()(れん)は、家でも学校でも本という空想の世界に入り浸っている小学五年生である。何故なら、家でも学校でも、喋る人がいないからだ。 「いってきます」  朝、七時過ぎに学校へと向かう。本来なら徒歩五分で行ける小学校に通うはずだったのだが、何かの手違いで学区外の小学校へ通うことになってしまった為、他の小学生よりやや漣の行動は早い。黄色い通学帽に、茶色のリュックサックを背負い、背の高い大人達に混ざって通学路を歩いていく。裾の短いズボンは少々秋めいてきたこの季節には不釣り合いで、大人達の視線が無遠慮に漣の素足を撫でていった。大方、学校へ向かう方向が真反対だと不思議がっているのだろう。だが、五年もこうして一人で通学していれば、慣れるというものだ。道に迷うことなく、いつもと同じ時間に同じ場所を通る。  てくてくと歩いていく。学校まで四十分の道のりは、退屈そうでありながらも決して漣にとってそうではない。道を歩いていても、ギンの脳内は家で読んだ小説の話、そして続きを早く読みたいという思いに満たされているのだ。  その小説は、学校の図書室で見つけたものだった。何の変哲もない、ありふれた冒険譚である。けれど、一週間に二冊までと貸出数が決まっている中で、確かにその本は漣を夢中にさせている。言うなれば、退屈な現実に、彩りを与えてくれているのだ。  朝早くに起きて歯磨きや着替えといった支度を終え、家を出る前の一時間、読書をしていた。そこでは物語も終盤に差し掛かり、強力な仲間を得た勇者が人類を滅ぼそうとする魔王を討伐しに行くところで。捲るページを惜しく思うほど、その物語は陳腐であれど魅力に溢れているのであった。できるなら通学途中も読みたい気分である。が、電車通学ならまだしも、歩きながら読書に(ふけ)るのは言うまでもなく危険だ。怪我でもしたら大変なことになる。擦れ違う大人達はみんな懸命に小さな端末に夢中になり、漣の歩く先など考えずに突き進んでくるので、漣まで仲間入りしたらぶつかり、体の小さな漣が負けるだろう。尻餅で済むならいいが、変に注目を浴びるのも嫌だし、大人に怒られるのも嫌である。  目立ちたくない漣はようやく学校に着くと、ランドセル代わりのリュックサックから本を取り出す。自分の席に座って始めにやることがそれで、周囲がたわいもない話に花を咲かせている中、挟んでいた紙切れを取り、一文字目から読み始める。  そんな漣に話しかけてくるクラスメイトは当然いない。友人とのお喋りに夢中だったり、学校に来るなり読書を始める漣に呆れていたりと反応は様々だが、好んで関わろうとしてくる人物は一人としていなかった。  そのせいか。クラス替えから約五ヶ月経った今になってもクラスに溶け込めないでいる漣に教師は注目し、たびたび漣を人気のない資料室に呼び出した。なんでもここにはこれまでの学校の歴史が積み上がっているらしい。話の糸口を探るようにしてそう言う担任の話を頷いて聞きながら、漣はもう幾度目かも分からない同じ言葉をかけられた。 「──蓮水くん、学校は楽しい?」 「はい」 「そう……? 先生ね、色々見ているつもりなの。蓮水くんがお友達とあまり喋っていないことも知っているし、上手く溶け込めていないのも……。そうなのよね?」 「? おれは、溶け込めていないですか?」 「え……」 「先生は喋っていないと言いましたが、おれには友達がいないだけだと思います。だから大したことじゃないです」  返す言葉に、担任の女教師は絶句したようだった。良かれと思って、心配して声をかけたというのに、漣はちっとも気にしておらず、担任の思いを()()にしたのだ。  が、それに漣は気付かなかった。何故なら、それが普通だからだ。 「は、蓮水くん、でもね、友達は大切よ。これから蓮水くんの人生は長く続いていくの。一緒に遊んだり、お喋りしたり、放課後だって楽しく過ごせる、」 「友達は大切だと思います」 「! それなら──」 「でも、おれには必要ありません。先生だって知ってるんじゃないですか? みんな、おれとは関わりにくいって言ってます。無理に友達になろうとしなくてもいいと思います、じゃないとみんなが可哀想です」  そこで担任は何も言わなくなってしまい、同時に次の授業が始まるチャイムが鳴った為、漣は頭を下げて教室に戻ることにした。  以来、担任やその他の教師から呼び出されることはなくなった。  ようやく自分の気持ちに納得してくれたのだろうと漣は思ったが、事実、そうではない。見放したのだ。どれだけ言っても、謂わば自分の価値観に染め上がった漣に友人の大切さや協調性を説いたところで、時間の無駄である、と。それらの時間を、他の生徒のケアに使う方が有意義であると。  週に二回ほどある六時間目の授業を終えて、漣は足早に校舎を出る。家に帰ったらまず宿題をして、本の続きを読むのだ。  いつもと変わらない予定。漣の日常である。  昼休みに読んだ続きが気になって四十分かかるところを三十五分で帰宅した漣は、一畳半ほどの自室に直進し、つる下がった蛍光灯のスイッチを入れる。仄かに温かい光が一面に広がり、漣を照らした。 「……」  家の中は静かだ。物音を立ててはいけないと思うほど細やかな音すらない。  漣の家族はたった一人。漣がまだ立ちもしない赤ん坊の頃から一人で育ててくれた母だけがいる。世の中はその母をシングルマザーと呼ぶが、漣の母はそう呼ばれることを酷く嫌がった。理由は簡単に想像がつく。  リュックサックから今日の宿題を取り出し、丸まった鉛筆で書いていく。漢字ドリル二ページ分の漢字をひたすら方眼ノート二行にわたって練習するのだ。同じ文字を書いていくと所謂ゲシュタルト崩壊がやってきて、果たしてこの練習方法は理に適っているのかと疑問に思うのだが、本を早く読みたいので考えることはやめる。せっかく家の中が静かなのだ。休み時間なのに図書室や生徒のいない静かな空間を探す手間が省ける。この好機を逃すわけにいかない。  漣は手早く手を動かし、ものの十五分で終えると、漢字ドリルやノート、筆箱さえも机に広げたまま、冒険譚を手に取った。  ここから漣の自由な時間が始まる。誰にも邪魔されない、一人だけの世界だ。  * * *  窓のない自室にいると時間の経過が分からない。お腹が鳴って、六時を回ったことに気付いた漣は部屋の扉を開ける。家の中は暗く、どうやら本に夢中になっていたらしい。依然として家中は静かで、時折家鳴りがするだけ。  その中を慣れたように歩き、キッチンに行って、照明を点けた。そういえば自室の明かりをつけたままであった。怒られるといけない、早足で自室に戻り、蛍光灯を切る。  そして、改めてキッチンを見渡した。だが、大きなテーブルの上に食べ物は当然の如くなかった。あるのは、何日も世話を忘れられた花が寂しそうに花瓶に収まっている。すっかり元気をなくしたそれに水を満たしてやりながら、漣はそこで思考し、花瓶をテーブルの上に戻してから冷蔵庫を覗いてみた。 「……」  入っているのは母の飲み物である缶と、ハム。サラダチキンに即席焼きそば、卵と牛乳である。しかし、どれも食べていいと言われているものではなかった。  冷蔵庫の扉を閉め、明かりを消して、隣の部屋へと足を向けた。壁にあるスイッチを入れ、周囲を照らす。テレビと()(たび)れたソファがあるリビングだが、そこにあるタンスの右上の引き出しには、使用を許されたお金が入っている。毎日一千円があるようにされていた。  剥き出しの一千円を取り、電気を消すことを忘れない。それからもう一度自室に戻ったが明かりをつけることをサボった。漣は夜目が利く方なのである。  自分の財布に一千円を突っ込み、外へ出た。  目的地は、歩いて五分のところにあるコンビニだ。テーブルの上や冷蔵庫に漣の食べるものがなければコンビニへ買い出しに行くのが常だった。買うものは決まって、お茶とおにぎりだ。  煌々と光る店内へ足を踏み入れると軽快なメロディと共に、男性店員の挨拶が無造作に飛んでくる。それらを半ば無視するようにしてお弁当コーナーへ直進し、続いてペットボトルが陳列されているコーナーへ。最近の楽しみは、数あるお茶の飲み比べである。色味の薄いものを選び、レジに向かう。本当はお菓子コーナーに寄り道したいが、無駄なものを買うと怒られるかもしれないので見ないふりをするのだ。  ピッピッとバーコードが読み取られ、金額が読み上げられる。財布の中から一千円を出すと、小銭となって返ってくる。  再度店員の台詞化とした挨拶を背に、暗くなってしまった帰り道を急ぐ。  そうして家に戻った漣はお風呂に入り、買ってきたおにぎりをお茶で流し込んで歯磨きを終え、布団に包まりながら数時間の自由時間を本読みで過ごした。  ──それが漣の、三百六十五日、二十四時間、これまで続いてきたことだ。厳密には違うが、それが今の全てだった。  そんな漣の日常に、忽然と非日常が現れたのはある土曜日のこと。  いつものように自室に籠って金曜日に借りてきた本を読み進めていると、不意に尿意を覚えたのだ。ただの生理現象である。ひとまず耳を澄まし、物音が聞こえないことを確かめ、扉を開け、外に体を滑らせる。そうして急ぎ足でトイレへと駆け込んだ。十数秒で用を足し、洗面所で手を洗っていれば、微かに物音。 「っ」  どうやら玄関扉の開閉音のようだ。  焦る漣の耳に、男女の声が聞こえてきた。  運が悪い。ここにいては見つかってしまう。早く自室に戻らないと。  そう思う漣の思いを他所に、男女の声は無情にも近付いてきて、閉めていた扉ががらっと開けられてしまった。 「──ん?」 「どうしたの?」 「いや……」  扉を開けたのは、男の方だった。漣を凝視し、少々驚いたように目を丸くしている。 「なに?」  女──母の声が近付いてくる。 「子供、いたのか」 「え?」  母と目が合った。 「漣……」  母の瞳に怒りはない。けれど、良くは思っていないだろう。漣は、“言いつけ”を守れていないのだから。 「ごめんなさい、自分の部屋に戻ります」  とにかくこの場に留まっているのはまずい、と男を押し退けて自室へ駆けようとする。  が、母よりも早く、男が漣の腕を掴んできた。 「ちょっと待ちな」  それに対し、母の反応は早かった。 「ごめんなさい、()(くら)さん。騙したような形になって……この子は漣、私と……前の旦那の子供なの。南倉さんに余計な心配はさせたくないと思って、言えずにいました」 「へえ」  母の懸命な言葉に、男はなんとも気の抜けた声を返す。視線は、漣を捉えたままであった。 「これはおじさんも驚くほど美人な子だ」  言って、視線の高さを合わせる為か。漣の前で膝をついてみせた。 「初めまして、漣くんといったか。おじさんは南倉。お母さんのお友達です」  柔和に微笑む。そうすると、どこか強面な顔が親しみやすい表情になるのだった。 「南倉さん、もういいでしょう?」 「蓮水さん、隠すことないじゃない。俺、子供好きよ?」 「でも……」 「大方、優しい俺のことだから子供がいると知れば貢物(みつぎもの)をされちまうって思ってるんだろう?」 「そんな」 「いいんだ、知ってる。蓮水さんはそういうのが嫌いな人だ。だからこそ、俺も友達でいる。けど、子供だけはダメなんだ」  うっとりと、言う。 「大好きなんだよ、子供。早く教えてくれればよかったのに」 「……」  母は、困ったように右手を左手で庇っていた。  もちろん、漣も戸惑った。今まで受けた反応と、男の言動は真反対であったから。  家にいる時、これまでに何回か母と共にやって来た男性と鉢合わせしたことがある。彼らは揃いも揃って漣を見るとどこか怯えた顔をして、子供がいることを黙っていた母を(なじ)り、また、漣に暴言を浴びせてきたのだ。無論、数人は急に具合が悪くなっただとか用事ができたと言って帰っていったが、それから一度も見たことはない。  ある人が言っていた。漣はコブで、コブを連れた母とは付き合えない、と。  後から分かったことだが、コブとは目の上のたんこぶのことで、つまりは漣が邪魔だと言いたかったのである。読んだ本にそれらしいことが書かれており、男の言葉に納得したのを思い出す。  しかし、目の前に新しく現れた男は、それまで男達がしてきた反応とは全く違うのだった。 「いや〜可愛いなぁ」  としきり言っては、漣を眺める。  その視線に嫌な感じはしなかった。けれど、ただただ漣は不思議であった。 「おじさん、は」  口を開いた漣に、男の双眸に輝きが増した。 「なんだい?」 「おれを、可愛いと思うんですか?」  すると、一秒の間さえなく男は大きく首を縦に振ったのであった。 「もちろんだとも!」  それが、この男──南倉との出会いだ。その日を境に、それまでの漣の日常が普通ではないと気付くことになる。  * * *  二度目の邂逅はすぐやって来た。初めて会った日は挨拶をしただけで帰っていった南倉と母の関係は、漣には推し測りきれなかったが、母と二人で家に取り残された後、何か言われるだろうかと身構える漣を他所に、母の関心は向けられなかった。  学校である。今日も今日とて読書に勤しむ漣だったが、とうとう物語は終わってしまう。読了の満足感に浸るまでもなく、返却する為に図書室に急いだ。昼休みはあと十分ほどしかない。放課後は素早く家に帰りたいので、できたらこの休み中に返却と新しい本を貸してもらいたい。気持ちと共に両足が逸る。呼吸も僅かに弾んだ。  図書室のいいところは、一人でいることが普通であるからだ。担任との一件があってから教師の注目を集めることはなくなった漣だが、生徒は違う。またあの子は一人だ、という遠慮のない視線がたびたび漣に向けられるのである。それが最近は煩わしくなってきた。自分は好きで一人でいるのに。誰も漣と友達になりたいとは思っていないくせに、目だけは正直にこちらを見つめてくる。まるで群れから外れた異種と、好奇だと面白がるように。  人影が既になくなり図書委員しかいない図書室に飛び込んだ漣は、カウンターにいる年上の図書委員に持っていた本を手渡した。 「──返すの?」  落ち着いた声音に頷く。 「ん、待って」  この図書委員は雰囲気が他の生徒よりも冷静で、言葉数も少ない。他の委員は嫌々仕事をしているように見せるが、彼だけは淡々とこなしている印象があった。 「うん、手続き終わりました。新しい本、借りていく?」 「時間、大丈夫ですか?」 「う〜ん、いいよ。五分だけなら待ってあげる」 「……ありがとうございます」  あと、漣にも分かるほど優しい。  そんな優しい図書委員に甘え、だが急いで次の本を探す漣。惑うことはない。次に借りる本はもう頭の中に浮かんでいる。  一分もかからず、カウンターに再び向かった漣に、図書委員は珍しく明確に表情を動かして笑った。 「?」 「いや、ごめん……あまりにも早いから」 「読みたいの、決まってる、から」 「へぇ。本物の読書家なんだ」  貸出登録するね、と厚めの本を軽々と片手で持ち、裏表紙に付けられたバーコードを読み取る。  その姿を見ながら、漣ははたと気付いた。 「あっ、カード──」  図書室で本を借りるには、一人一人に与えられたカードが必要なのだった。そこにあるバーコードには本と同じように個人の名前、学年とクラス、履歴が詰まっており、パソコンで全てのやり取りを記録するには重要なものである。本来ならそれを入り口に置いてある箱から見つけ出して本と共に提出しなければ借りることも、返すこともできないのだった。  忘れるなんてどうかしている、間抜けだ。これじゃあ早く本を見つけ出しても図書委員の仕事は進まない。  焦って出入り口に向かおうとする漣は、しかし、カウンターから伸びてきた細い指に捕らわれた。 「待って、大丈夫だから」  と、彼は言う。 「でもっ」 「蓮水漣、五年三組、出席番号二十七番」  薄い唇が動く様を視界に、漣は瞠目する。 「なん、で」  図書委員が言ったのは、漣の個人情報そのものであった。 「ふふ、覚えちゃった。毎日のように君が来るから」 「……おぼえ、てる?」 「うん。バーコードの下に書いてある数字も暗記するぐらい。だからカードがなくてもこっちで打ち込むから大丈夫」  そう言い終わらないうちに軽やかなキーボードの音が響いて、彼は無駄のない動きでバーコードを読み取った。  * * *  不思議だった。いつもなら放課後は家に急ぐだけなのに、漣は二十分経っても帰路の半分も歩いていなかった。  頭がふわふわとするのだ、あの図書委員と会ってから。  彼は、漣のことを知っているだけでなく、バーコードという縞々の中に詰まっている情報を一字一句間違えずに暗記しているという。  それを知ってから、漣の心はよく分からないことになっている。  この思いは何だろう、この戸惑いはどういうことなのだろう。 「……?」  だが、いくら考えても答えは出なかった。  足元を見つめつつ歩く漣は、しばらくすると呼び止められた。 「漣くん」  と。  その声に聞き覚えがあり、漣は顔を上げる。 「やあ」  片手を上げ、ご機嫌に笑っているのは、あの時出会った、 「南倉、さん」  母と一緒にいた男であった。 「おっ。おじさんの名前覚えててくれたんだね、嬉しいな〜」 「どうしてここに?」 「いや、君のお母さんからこの先にある学校に通ってるって聞いてね。大変だね〜、学区外なんだって? どうして近い学校にしなかったんだか……」 「どうして、ここにいるんですか?」  再び聞くと、ようやく男はこちらを見てくれた。 「漣くんに会いたかったんだよ」 「どうしてですか?」 「う〜ん、難しい質問だけど……おじさんは、君と友達になりたいと思うんだ」 「友達?」 「ああ。……変かな、変だよなぁ……まるで変態みたいだよな〜」 「変態?」 「あ、いや!」  あはは、と困ったように笑う。  漣は言った。 「おじさんは、俺と友達になりたいの?」 「うん」 「……へぇ」  即答する南倉が嘘を言っているようには見えない。そのせいで、漣の驚きは増す。更に言葉を重ねた。 「俺は、みんなに嫌われてる。先生は友達を作りなさいって言うんだけど、俺のことが嫌いなのに友達になんかなれないよね。俺は一人でも構わないのに」  すると、南倉は少々呆気に取られたようにこちらを見つめ、優しく笑った。その笑みは、あの図書委員のようで……。 「おじさんは、君と友達になりたいと思う。友達になることを望んでいるんだ」 「……本当に?」 「嘘言ったってしょうがないだろう?」  はっはっと笑い声を上げ、しゃがみ込んでくる。漣と話す教師でさえそんなことしないで、あれこれそうしなさいと指図してくるのに。  たった一回。顔を合わせたのは数分に満たないのにどうしてこの男は、綺麗な服を汚してまで目を合わせようとしてくるのだろうか。 「まぁ、無理に友達になる必要はない。学校が全てじゃないしな。こうして先生が心配している君と、友達になりたいと思う人間がいるんだからね」 「……?」 「こうしよう、漣くん。おじさんが君の友達になるに相応しいか、ジャッジしてくれ。おじさんは君と友達になりたい。けれど、君がそうでなければそれは友達とは呼べないからね」 「審判をすればいいんですか?」  漣の問いかけに、南倉はう〜んと考えるような素振りをし、強面な顔に柔らかな皺を刻んだ。 「君が、進んで友達になりたいと思ってくれれば、おじさんの勝ちだな!」  そうして奇妙なことに。小学五年生の漣は、大人の、友達になりたいと言う男と知り合いになったのである。 「それよりも漣くん、その格好寒くないのかい?」  ふと思い出したように話題を変える南倉は立ち上がって見下ろしてきた。  が、不思議と威圧感はない。初めに視線の高さを合わせるようにしゃがんでくれたせいだろうか。  そう思いながら漣は自分の体を見下ろす。  今日は一段と冷えが厳しく、ひたひたと冬が迫っていることを告げる気候だが、漣はまだ半ズボンを履いていた。ちなみに昨日もそのズボンを履いて学校へ行った。 「……寒くない。慣れてるから」 「そうか」 「……」  教室の中で、こんな会話を聞いたことがある。  ──蓮水は、毎日同じ服を着ていて、変だ、と。  確かに、変かもしれないと、彼らの話を聞きながらも反論することができなかった。それを機に、同じ服は二度続けて着て行かないようにしていたが、昨日は洗濯するのをすっかり忘れてしまい、新しい服を用意することができなかったのだった。  ぎゅ、っとズボンを握り、背中にある教科書の重みを感じる。  すれば、南倉は肩を竦めた。 「小学生は元気だな、オレはマフラーが欲しいぐらいなのに」 「……マフラー? それは、早いと思います」 「やっぱりそう思うか? 妻にもそう言われてよ〜、じゃあストールぐらいって思えば、そんなの女の子がするやつです! ってさ。男女差別が激しい時代ってのはまだまだ続くんかね〜」  言葉は不平不満そのものであるのに、口調だけは妙におっとりとしている。 「変なの」  つい、そう口走ってしまった。これでは陰口を叩いていたクラスメイトと一緒だと思い、はっと我に返って南倉を見上げれば、 「あっはっはっ、そうか、変か!」 「っ…………?」  特に機嫌を悪くした様子もなく、快活に笑っていた。

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