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第2話 同じ痛みを抱く者
「何だと、娘の亜希子さんは行方が分からないだと?」
「はい。遺体は見つかっていません」
「どういうことだ?」
「犯人に連れ去られた可能性があるらしいです。テロ対の奴らその準備をしてますよ」
子虎邸の広いリビングにはスーツ姿の警視庁警備部警護課の職員が四人ほど集まっていた。
他にも警察庁警備局国際テロ対策課の職員も数名が顔を揃えていた。彼らは慌ただしく電話の逆探知システムの設置に奔走していた。
他にはカジュアルなスーツの人物が二人、緊張した面持ちでソファーに腰を降ろしていた。彼らは通訳としてそこに参加した、警視庁の一般職員だ。
警視庁内部でも管轄の違う人間が一緒に行動することは異例だ。それはこの爆破殺人事件が特殊な事例であることを物語る。
警護課からもたらされた情報により、この事件に香港マフィアが関係している可能性が高いことが判明していたからだ。
「生存しているのは長男の子虎秀貴 、一名。つまり長女の子虎亜希子の行方が分からないということか。つまり長女の亜希子が誘拐に遭った可能性が高い訳だな。一体何が犯人の目的だ?」
この場を仕切っているのは警備局テロ対策課の課長、山口直哉だ。
「課長、今はまだ誘拐と決まった訳ではありません。もしそう仮定するなら、肝心の身代金を払う立場の人間がいない、ということになりますからね。となれば単なる営利誘拐だとは考えにくいですね」
山口に意見を言ったのは警備部警護課の課長、岩城健吾だ。
「なるほど、確かにおかしな犯行と言える」
警視庁の中でも、この二つの部署は、刑事部と公安部のような対立の構造はあまり見受けられない。取り扱う案件が密接な関わりを持つ事案が多いためだ。だが組織の常として警備部よりテロ対策課の立場の方が上に扱われることが多いのは事実であろう。
「誘拐の目的は人質か」
沈黙を破ったのは警護課課長の岩城だった。
「何だと?」
テロ対策課課長の山口は眉間にシワを刻みながら岩城を見据えた。
「いえ、奴らが子虎亜希子を連れ去った目的はまだわかりません。むしろ組織の連中は人質はこの国の国民全てだと言いたいのではないでしょうか。爆破行為がそれを言い表しているように思えます」
「国民全てに対する無差別テロということか……」
言葉尻を飲み込むと、山口は押し黙った。
そこへ秀貴の容態を監視していた男が駆け込んできた。
「佐久間さん、ちょっといいですか?」
「どうした?」
男は口籠るように佐久間を見上げた。
「それが、秀貴君が佐久間さんを呼んできて欲しいと言っています」
「そうか、分かった」
「佐久間を呼べ! 佐久間はどこだ!」
「私ならここだ」
秀貴は泣き腫らした目を佐久間に向け、手元にあった枕を投げた。
「どうして母さんや亜希子を守ってくれなかった? 父さんはどこだ!」
憔悴しきった秀貴に、混乱と混沌が交互に襲いかかっていた。頭ではおかしなことを口にしていることは解っている。だが今ある感情をどう嚥下すればいいのかわからなかった。
「すまない、秀貴くん……」
「返してくれ、母さんを。早く亜希子を連れてきてくれ!」
理性のタガが外れた秀貴の止めどない感情の奔流を、佐久間は受け止めようとしていた。まだあどけなさの残るこの子に、一体何の罪があるというのか。
余りに残酷な仕打ちに打ちのめされた秀貴に、佐久間はそっと手を伸ばした。
「死神はどこだ? 俺を連れて行け! 母さんと亜希子を置いて、俺を連れて行け!」
秀貴は窓際に走り寄り、空に向かって両手を広げた。
「それが無理なら俺も、俺も連れて行け!」
佐久間は秀貴に駆け寄り、両肩を押さえつけた。振り返った秀貴の両目は血走り、側にいる佐久間に焦点の定まらない視線を投げかけた。
「お前が死神か? なら俺を連れて行け、俺はどうなってもいいから、母さんと亜希子を返してくれ!」
「秀貴君……!」
階下にいる男たちにも秀貴の叫び声は微かに聞こえていた。だが誰もそれを宥めてやれることではないと感じているようだった。
「岩城課長、秀貴君は精神安定剤を飲もうとしないんです。どうしますか。あのままじゃ佐久間さんだって怪我をしかねませんよ」
「佐久間に任せるのが一番かも知れないな」
若い職員は不満げな顔つきで課長の岩城の顔を見つめた。
「佐久間もな、昔、爆弾テロで両親を失ったんだ」
「何ですって?」
佐久間の後輩たちは一斉に岩城を振り返った。
「二十年になるか、あれから……。佐久間の父親は外務省の役人でな、日本と台湾との調整役を任されるほどの人物だった」
誰もが口を閉ざし、岩城の話を固唾を飲んで聞いていた。
「当時の台湾の独立に反対し、二つの中国を認めず、台湾の国連参加さえも支持しなかったアメリカのクリントン大統領に対して、日本は拒絶の態度を取ったんだ。その台湾と中国の緊張がギリギリのところへ、中国に忠誠を誓う輩 が台湾に暮らす日本人に対して危害を加えた。その時に、佐久間は目の前で両親の死を目の当たりにしたんだ」
誰かが唾を飲み込む音だけが辺りを支配した。
「俺は当時、あれはテロだと感じたよ。悪意ある計画的な殺人だ。佐久間がまだ高校生くらいの時だった」
十人近い警察官がいる広いリビングは水を打ったように静まり返り、誰一人言葉を返すことが出来なかった。
「俺はな、秀貴君の本当の辛さを理解してやれるのは、佐久間だけなんじゃないかと思うよ」
「岩城課長、でも何故そんなに佐久間さんのことをご存知なんですか?」
岩城は薄くなりかけた自分の頭に手をやりながら口を開いた。
「佐久間の父親は俺の大学の同期だ。佐久間を事件当時、俺が預かった縁もあってな」
「それで佐久間さんは警察官に?」
「警護課への配置は本人が望んだ。奴なりの人生の決断だったんだろう」
ある者は手を固く握り、ある者は口を固く結んだ。そこにいた者はおそらく皆同じような志しを、その人生で一度は経験しているのかも知れない。そこにいた者は、おそらくは新たな連帯感のようなものさえ感じているのだろう。
「ここは佐久間に任せてみないか? ヤブ医者を招聘 するよりずっといいだろう。俺たちは静かに佐久間たちを見守ってやろうじゃないか」
岩城の言葉に、誰一人として異を唱える者はなかった。
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