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第11話 拉致の果てに(1)

 秀貴は佐久間を送り出すと、不安な面持ちでキッチンに向かった。 (亜希子が生きている。たった一人になってしまったと思っていたのに、亜希子が生きている。なのに爆破事件の犯人に誘拐されているだなんて……)  秀貴は自分の心のアンバランスさに戸惑っていた。確かに現実は受け入れ難いほどに混迷の度を増している。だが、たった今出掛けたばかりの佐久間とのことが、秀貴の心の大半を占めているのだ。  同時に秀貴は苛立ちを覚えた。やはり舜の存在が気になってしまう。 「なあ、龍さんは何時に帰ってくるんだ?」 「知らないよ、僕だって」 「ああそう。何だかやけに冷たいな」  舜は身体をベッドの上に横たえたまま秀貴に背中を向けた。 「もう一つ言い忘れていたことがあるんだけど……やっぱやめとくわ」  秀貴はハッとして舜の背中を凝視した。 「亜希子のことか?」  舜は秀貴の呼びかけに応えなかった。秀貴はベッドへ近付き、舜の肩に手を置いた。 「話してくれ、おい! 眠ったのか?」  その時、舜が身体を反転させて秀貴の左手を掴み、自分の方へ引き寄せた。  秀貴は不意を突かれ、舜の身体に覆い被さる形になった。 「やっぱり可愛いいな。龍さんが惚れるだけはある」  秀貴は慌てて身体を離そうとしたが、華奢だと思っていた舜の力は意外にも強かった。 「離せよ!」 「いいぜ。でもそれなら話はなかった事にする」 「くっ……交換条件は何だ? 何をすれば話してくれる?」  舜の瞳の奥がぎらりと光ったと秀貴は感じた。この眼はあの日の門脇と同じだ、と。 「俺はお前なんかに興味はない。お前に興味があるのは俺の姉貴さ」 「お前の……? どういう事だ?」  その時、秀貴は両脇から伸びてきた手に腕を掴まれ、口と目を塞がれた。一瞬の事だった。 (やめろ!)  一体いつの間に部屋に入ってきたのか、秀貴は訝しんだ。だが秀貴の声は秀貴の口から表には出ることを許されなかった。必死に身体を捻ったが、数人の力で押さえつけられた秀貴には抵抗の術はなかった。 「おい、大人しくさせろ。このまま暴れられたら連れて行けん」 「はい」  目を塞がれた秀貴にも、少なくとも三人以上の人間がいるであろうことは想像がついた。 「お前たちがバスルームでイチャついている間に、お前の合鍵を外に出しておいたんだよ、お嬢ちゃん」  冷ややかな舜の声が耳元で囁いた。  次の瞬間、秀貴は履いていたショートパンツを下着ごと引き剥がされた。秀貴の下半身は舜の上で露わになってしまった。 「へー、こいつ結構いいモノぶら下げてんじゃん」  舜が秀貴から身体を離しながら、にやけたような声でからかった。 「ううっー!」  秀貴は顎から口まですっかり覆われて、まともに声を上げることはできなかった。  カチャカチャと金属が触れ合う不快な音が耳元で反響した。両腕を押さえられ、尻を突き出した格好をさせられ、秀貴は屈辱感に苛まれた。  ぬるりとした感触がアナルの周りを這い回る。秀貴の頭にあの悪夢が蘇る。 (やめろ! やめてくれ!) 「大人しくしていろよ。オイルを塗ってやってるのは私の親切心からだぞ?」  嗄れた男の声が秀貴の心を絶望へと導いた。次の瞬間、冷たい金属質な感触が秀貴のアナルに押し入ってきた。 (ううーっ!)  だが抵抗は声にすることはできなかった。  ぎゅっと激しい勢いが腸内で弾けた。おそらく液体のようなものが注ぎ込まれたのだ。だが次の瞬間、下腹部全体がカッと熱くなり始めた。秀貴は思わず身体を上に反り上げた。心臓の動きがまるで手に取るようにはっきりと感じられる。やがて秀貴の鼓動はリズムの狂ったメトロノームのようにでたらめに暴れ始めた。全身から汗が噴き出る。腹筋や背筋、大胸筋やおとなしいはずの括約筋までが不規則に収斂し始めた。  頭の中では聞いたこともないメロディが流れる。いや音楽とは違う、だが何かの意思を持たされたようなリズムを感じていた。 「そろそろ効いてきただろう」  嗄れた声は何かを楽しんでいるかのように呟いた。だが秀貴にはその言葉さえも届かない。秀貴の耳は辺りの音を脳に伝えることを放棄してしまったようだった。 「俺も最初に流し込まれた時はひどかったよ。死ぬんじゃないかと思った」 「だからデスドラゴンと呼ばれているのさ、坊や」  嗄れた声は舜の顔を舐めるように見入っていた。 「その呼び方はやめろっていっただろ!」 「おお怖い怖い。なんならお前にも入れてやろうか? 気持ち良くなれるぞ?」 「いらねえよ! 俺はまだ廃人にはなりたくない」 「クククククッ、そうかい? さあお前ら、こいつをとっとと運び出せ!」  嗄れた声に指示された男たちは秀貴を洗濯機ほどの大きさの段ボールの中に押し込み、ガムテープで固定した。 「さて舜、お前にも一緒に来てもらうぞ」 「わかってる。服くらい着させてくれよ」 「では急げ」  舜はクローゼットを開けると、佐久間のシャツを羽織った。その時、舜は佐久間のスーツに差してあったペンを掴み取り、白いワイシャツに走り書きを残した。そして他の男たちに気付かれないように、ワイシャツをクローゼットの床に落とした。 「さあ行くぞ。秀蜂(しゅうほう)様がお待ちかねだ」  嗄れた声が寝室の壁に吸い込まれていった。  佐久間は酷く疲れた様子で部屋の鍵を開けた。今のところ組織のトップである秀蜂(しゅうほう)に関する情報は全く掴めていない。空港や港湾には緊急配備を手配してあるが、確実とは言えないのが実情だ。  佐久間は寝室に向かう廊下の壁に何かを擦りつけたような跡がある事に気付いた。 (これは何の跡だ?)  佐久間は急いで寝室へと走り込んだ。だがそこには舜の姿はなかった。ベッドの上のシーツはひどく乱れ、微かに甘いジャコウの香りがした。 「秀貴! いるのか秀貴!」  佐久間はダイニングに向かって声を荒らげた。だが返事は返って来ない。佐久間はダイニング、キッチン、バスルームと順に探して回ったが、秀貴の姿もなかった。 (どういうことだ?)  佐久間は電話を取り出し、秀貴の番号を押して耳に押し当てた。だが秀貴の電話は電源さえ入っていなかった。  佐久間は逡巡した。この状況は組織の手によって二人が連れ去られたと考えるのが正しい判断だろう。 (だが一体どこに?)  寝室をぐるりと見渡した佐久間は、クローゼットの扉から白いワイシャツが僅かにのぞいているのを見つけた。急いで扉を開けると、確かにワイシャツだった。拾い上げてみると、シャツの背中にペンで走り書きがされていた。 (晴海埠頭 B 48倉庫)  誰が何のために書いたのか、今はわからない。  だが他に手掛かりはない。頭にはあの日の秀峰の美しくも不敵な微笑みが蘇る。 (あれはおそらく舜が書いたものだ。待っていろ、二人とも。必ず俺が救い出す)  佐久間は一つのチャンスに賭けた。

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