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第13話 追跡

 潮の香りが鼻を衝き、舜は海水を吐き出した。 「舜、大丈夫か!」  その声が佐久間のものだと、舜の虚ろな意識が理解した。  次第に呼吸が落ち着きを取り戻し、舜は佐久間の顔を見つめ返した。 「龍さん、無事だったんだね?」  佐久間は舜の頭を起こし、自分の胸元に引き寄せた。 「俺の心配よりも自分の心配をしろ。危ないところだったんだぞ」  舜は濡れた佐久間の髪に、まだ震える手をそっと伸ばした。  辺りには赤い回転灯がそこら中に反射し、人々の喧騒が聴こえてきた。舜もようやく周りの様子がわかってきた。 「僕、助かったんだね?」 「当たり前だ。お前を見殺しになどするものか」  舜は二つの瞳から一粒づつ涙を零した。 「無茶をしやがって」  舜は佐久間の左肩に包帯が巻かれていることに気付いた。 「龍さん、撃たれた傷は?」 「この程度の傷などかすり傷だ。俺のことより今は自分の心配をしろ。溺れかけていたんだからな」 「大丈夫さ、この程度のこと」  佐久間は思わず安堵にも似た笑みをこぼした。 「佐久間、奴らが乗船した客船は七日後に上海に寄港する予定だ。そこから三時間ほどで香港へ到着するそうだ」 「わかりました、課長。俺は上海へ飛びます」 「だがな佐久間、中国は難しいぞ。外務省が掛け合ったとしても、現地の警察が助けてくれる確証はない。しかも国際法も簡単には通用しない国だ」 「わかっています。入国は旅行の名目にして、本当の目的は伏せておいた方がいいでしょう」  課長の岩城は渋面を作りながら顎に手を当てた。 「どうしても行くと言うのか?」 「後悔はしたくありません。どんな事をしても俺は子虎秀貴を助け出します」 「それは個人的な感情か?」  佐久間は一瞬言い淀んだ。 「……そう思われても構いません」 「そうか。わかった。だが無茶はするな。必ず生きて帰って来い」 「ありがとうございます、課長」  舜は黙って二人の会話を聞いていた。そして唇の端をぐっと噛み締めながら、吸い込まれそうなほど深い闇を纏う夜空の先を見つめた。  佐久間は上海に向かう機上にいた。  機内にアナウンスが流れ、あと十数分で上海の浦東国際空港に到着するようだ。 「龍さん、もうじきだね」  舜の言葉に、佐久間はぐっと両手を握り締めた。舜は佐久間の決意に触れたくて、そっと力の込められた拳に手を伸ばした。 「お前の頑固さには負けたよ、舜」  佐久間の上海行きにどうしても同行したいと舜は願い出た。その意思の強さに佐久間は根負けをした。舜は秀貴を追って上海に行く佐久間に無理を言ってついてきたのだ。 「お前を危険に晒すわけにはいかない。それだけは分かっていてくれ、舜」 「うん、龍さん。約束するよ」  佐久間は浦東国際空港でヘリをチャーターしていた。そこは昔同僚だった山辺辰雄が経営している小さな民間航空会社だった。 「佐久間、これ以上は聞かないでおくが、無理はするなよ」 「すまん、山辺。それからヘリと一緒にこいつも戻す。しばらく舜を預かってくれないか」  佐久間は山辺をじっと見つめた。 「わかったよ佐久間。お前は俺の命の恩人だ。出来る限りのことはする。だがな、ちゃんと両足をくっつけたまま帰って来いよ」  佐久間は山辺の肩をポンと叩いた。 「当たり前だ」 「这家伙疯了,但是没关系!(こいつは狂っているが気にするな)」  山辺は中国語でパイロットに叫んだ。彼は山辺に向かって、親指を立てて笑った。  ヘリは腹に重く響くローター音を轟かせながら中国の大地を飛び立った。だが移動中の客船にヘリで近づくなどという暴挙は、誰の目にも自殺行為としか思えなかった。 「龍さん、本当に……やるの?」  舜は回転翼が風を切る音に負けないよう、大きな声で佐久間に話しかけた。 「ああ。客船が上海に寄港してしまう前に片付ける。今なら組織の人間も少人数だ。必ずチャンスはある」  佐久間は遠くに見える水平線を睨みつけ、視線を手元のGPSに向けた。 (これが最後の頼みの綱だ。秀貴、どうか無事でいてくれ) 「我们继续到北部东北部!(北北東へ進んでくれ)」 「拉惹!(ラジャー)」  やがてラップトップパソコンの画面に、一つの光点を見つけた佐久間は小さく呟いた。 「秀貴、待っていろよ。必ず助けに行くからな」 「それ、何? 何を探しているの?」  佐久間は逡巡した。やがて重い口を開いた。 「俺は秀貴と離れる前に、秀貴の身体の中にGPSを入れた。だがずっと体内には留まらないだろう。いつまでも追跡できる訳ではない。今はそれだけが頼りだ」 「だから龍さんは怪我をしている身体でそんなに急いでいたの?」 「ああそうだ」  舜は秀貴に対する佐久間の愛を改めて思い知らされた。  窓外に広がる果てしない海原に目を向けたまま、舜は涙が零れるのを堪えきれなかった。  やがて佐久間の視界に大型客船の船影が映った。あの船に間違いなく秀貴がいる。佐久間の握り締めた両手にぐっと力が入る。 「我们太靠近了那个船!」(これじゃ船に近づきすぎる!) パイロットが叫ぶ。  佐久間はパイロットに向かって応えた。 「那么把梯子爬下!」(ならハシゴを降ろせ!)  佐久間は自分の身体にハーネスを付けながら叫んだ。 「好笨蛋的日本人,不是我责任啊」(バカな日本人だ。俺の責任じゃないからな) 「无所谓!」(構わん) (秀貴、今行くぞ。待っていろ)  佐久間は心の中で叫んでいた。 ※中国語の指導、修正は桐嶌霞月‪@anemonecameria1 ‬さんにご協力頂きました。ありがとうございます

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