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 皇帝との謁見とはいえ、たかが叱責だ。急いでいく用事でもない。ゆったりと立ち止まって馴染み相手を待つ。優雅にこちらへ歩いてくるグレン・マトスは、笑みを深くしてラシャドの隣に並んだ。  グレンとは幼少期からの仲だ。グレンの母親は数少ない雌の獣人で、皇帝の乳母だった。皇帝の同齢はグレンの兄になるが、同じ乳で育っただけに彼らは義兄弟のように仲が良かった。しかしグレンは温厚に育ち、苛烈な皇帝とは正反対だ。ひたすら君主に忠実で、燃え盛る激情をぶつけられてもしとやかに受け流す。  ラシャドから見てもグレンの忍耐力には舌を巻く。臣下としてどこまでも心を尽くし、理不尽な要求にも応じるのだ。  乳兄弟ではグレンが誰よりも皇帝に関して目端が利く。ゆえに側近として仕えているのだろうが、ラシャドは目の前の穏やかな獣人が、感情を露わにする場面を見たことがなかった。  筋金入りの皇帝狂だ。とにかく皇帝がすべて、『陛下がよければすべて良し』を地で行く奴だった。 「陛下ってより、用があるのはムイック隊長に、だ。昨日の夜中に飛報石で呼ばれたんだが、うっかり寝入っちまってね」 「まったく……、お前のうっかりは、いつになったらなくなるんだ」  またかといった口調でグレンが苦笑いを零す。渋るグレンへ、ラシャドは声を立てて笑う代わりに尻尾をぶんぶんと振り回した。グレンと肩を並べて歩き出し、愉快だと軽口を叩く。 「さぁね。一生なくらなねぇかもなぁ」 「それでも、いざというときには動けよ。陛下にもしものことがあったら」 「うぜぇ。言われんでもわかってるさ。昨日はツエルディング後宮からの召喚だ。間違っても、陛下がらみじゃねぇだろ」 「……ああ」  ラシャドが規則嫌いなら皇帝は大の人間嫌いだ。王宮に仕える臣下ならば周知の事実である。圧倒的な威厳に加え、機転の良さと冷徹さも備える帝王の気質。誰からも認められる唯一無二の絶対者だ。だが人間の扱いは、輪をかけて酷いものだった。  低俗な人種として見限り自ら近寄ろうとしない。住処は離れるといえども、仮にも同じ王宮で行われる人間への凄惨な暴虐など、気にも留めない。

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