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皇帝に正式な報告書がきたなら、今朝すでにラシャドも子種の査察を受けただろう。あとは宮殿を賜るだけだ。首を長くして待っていたに違いない。
黒い尻尾を振り回し、浮足立っているのが見て取れた。グレンは我慢できず、あからさまに口元を上げた。
「早い到着だな」
「なんとでも言え」
からかいまじりのグレンの台詞に、ラシャドは肩をすくめて気にも留めない仕草で笑う。孤高の狼はためらいなく奥へ進み、無言で腰かける皇帝を前に、深く敬礼した。
「此度のお召し、ありがとう存じます。皇帝陛下」
珍しくかしこまった物言いをする声が、弾んでいる。グレンは迷いなく皇帝の傍へ控え、書記官は殿内の片隅に落ちついた。
殿内の動きが完全に止まれば執務殿は粛然とする。それを確認したグレンが、一歩前へ出た。手にするのは、先ほど認めた数枚の書類だった。
「報告いたします。ツエルディング後宮における孕み腹が成されました。孕み種は精鋭兵が副隊長、名をラシャド・ロウゼ。孕み――」
すでに慣れた議題だ。理路整然と言い渡しながら数枚の書類をめくる。そこにはどのようにして父親の種を判別したのか、魔術師からの証明書類がまとめられていた。
孕み腹の情報が書かれた三枚目に目をとおす、グレンの手が止まる。いつもならここで、孕み腹の名を滞りなく告げるのだ。だが今日にかぎって、グレンは躊躇した。
「孕み、腹は……」
「グレン? どうしたのだ」
眉根を寄せた皇帝に呼ばれ、グレンは無意識に詰めた息を吐きだした。なんでもないと首を振る。一言皇帝に詫びを入れ、生唾をのみこんだグレンは乾いた口を開いた。
「孕み腹は……アメジストが足環、名を――ルト……」
ルト。予期しない状況に書類を握るグレンの手が汗ばむ。なぜ、陛下に報告する前に、しっかり書類を確認しなかったのか。そんなどうにもならない後悔さえ生じてしまう。
いや、そうではなくて。ルトの足環は何色だっただろうか。昨夜は話に気をとられて足環の色まで見ていなかった。
孕み腹の情報は詳しく調べないからわからないが、同名の腹がいたのではないか。どうにか書類を読みあげて、握る手のうちに乱れる心を隠した。
ひととおりグレンの報告を聞き終えた皇帝が、ラシャドを見据えた。
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