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第十二話 つかの間の平穏
天井までところ狭しと、本が壁一面に並んでいる。大きな窓から差しこむ暖かな陽光を浴びながら、ルトは時間も忘れて本と向き合っていた。紫苑殿に移されて数日がたった。ルトは、一度も宮殿を出られずにいた。
外に出られるのは敷地内だけだ。紫苑殿の中庭の草花の世話をするか、宮殿に入っているか。そんな毎日が定着しつつある。紫苑殿で、ラシャドに初めて抱かれた夜から。
抱かれた、と言っても後孔にラシャドを挿入されていない。ただ、足の付け根で逞しい男根を擦られただけだ。あれを性交と言っていいなら、ルトにとって初めて痛みも恐怖も伴わない性交だった。
宣言どおり、最初に子を孕ませたからだろうか。子ができてからラシャドの雰囲気が少し変わったように思う。威圧的な気配が静まり、物腰柔らかくルトに接する。何より、ルトに触れる手が優しくなった気がした。そして束縛が強くなった。
ラシャドが寝た夜に、一度だけ宮殿を抜け出そうとしたら、首根っこを掴まれてベッドから動けなくされてしまった。獣人は夜目が利くから、暗闇だろうが出歩くなと怒られたのだ。
てっきり夜なら気づかれないと思っていたから、驚きはしたが、納得もした。暗闇に紛れ、物音もたてずに隠れていた獣人を思い出したからだ。
ルトの脳裏に優しい獣人の名が浮かび上がる。誰ひとり聞いてくれなかったルトの声に、耳を傾けてくれた。また会って、話をしてみたいと考えたところで、グレンを追い出すように頭を振った。
人間を虐げる獣人に会いたいなんてどうかしている。ふと息を吐いて、気分を切り替えて高い天井を見た。
二階建ての宮殿には吹き抜けの居間をはじめ、広い寝室に浴槽付きの客間もある。いったい幾つ部屋があるのか数えるだけで呆れてしまう。しかも各部屋には、豪華な家具と、掃除道具まで備わっていた。使われない炊事場にも調理具がある。
けれど、宮殿の手入れをするのは宮殿付きの魔術師だ。掃除道具はどれも新品に収まっていた。
そんななかでルトがいちばん好きな場所は書室だった。ラシャドがいなければ紫苑殿にはルトひとり。身の置き所がわからなかったけど、壁一面にたくさんの本が顔を出す室内は、ルトの心を落ちつかせた。
これまで読む機会のなかった多様な分野に触れるのは楽しくて、ページをめくる音や本の匂いにも和む。ただ、ときおりひどく寂しい。この宮殿はルトには贅沢で、広すぎる。
本をめくる手が止まり物思いに沈んでいたら、静かな空間に颯爽と床を鳴らす足音が響いた。
「またここにいたのか」
ドアが開くと同時、すでに聞きなれた声がかけられる。反射的にルトの指先がぴくんと揺れた。壁にもたれた態勢で低い声に顔を向ける。目の先のドアには見慣れた漆黒の狼がいた。離れた距離をつめる相手に立ち上がろうと、本を閉じた。
しかしラシャドは片手で行動を制してくる。大股で、どんどん目の前まで来られ、困惑して見上げた。ルトは床に座ったままだ。上背のあるラシャドに見降ろされては圧迫感が半端ない。どうしていいのかわからず、緊張しながらこくんと唾をのみこむ。
「あの……?」
「そのままでいい、休みに来ただけだ。膝を貸せ」
仏頂面で言われた内容に、ルトは目を白黒させた。
「え、ひ、ひざ?」
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