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第十七話 平穏の終わり
今朝のラシャドは何となく、様子が変だったと思う。いつもより早起きだったし、見送ったルトを見下ろす顔つきもどこか固い。神妙なラシャドを送りだして、首をかしげたルトは紫苑殿の掃除に没頭した。
身体を動かしていれば余計なことを考えずに済む。それでも手を止めれば、輪姦された恐怖と苦痛がよみがえり、足がすくんでしまう。情けないけれど中庭の水やりは、ラシャドが紫苑殿にいるとき限定になっていた。
両頬に手のひらを当て、気合を入れて一度叩く。思い切り頭を振って、自分の心をごまかしてみた。
あちらこちらと広い殿内を駆けまわって、どれくらい過ぎただろう。前触れもなく、激しい物音が玄関から鳴り響いた。たぶん重厚な扉を乱暴に開け放った音だ。吹き抜けの広いホールにまで届く。
「何……?」
ラシャドだろうか。施錠の鍵はラシャドだけが持っている。けれど、忍び足のラシャドならあそこまで乱暴に開閉しない。
モップを手にするルトは恐るおそる玄関に向かった。広いホールの陰に隠れて、重厚な扉を覗いてみる。すると思いがけない獣人が、ぐったり項垂れるラシャドを肩に担いでいた。どうやらラシャドの持つ鍵で扉を開けて、足で蹴飛ばしたようだ。
「グレンさん!」
もしものとき攻撃しようと握りしめていたモップを慌てて放り捨てた。驚きを声に出し、急いで駆けつける。吹き抜けのホールから駆け寄ったルトに向かって、グレンは引きずるラシャドから顔をあげた。
蜂蜜色の瞳と目が合う。だが普段は優しいグレンの顔が険しい。形良い柳眉はきつく寄せられ、荒い息をついている。いつ会っても整っているグレンの服には、真新しい血がにじんでいた。
グレンの肩を借りるラシャドに至っては、端正な顔を歪めたまま気を失っている様子。
「何があったんですか」
玄関の前でルトは慌てて手を伸ばした。たいして役に立たないだろうが、急いでグレンの反対側に回りラシャドを支えようと腕を担ぐ。だが背が足りず、大きな片腕を持ち上げるだけに終わった。いろんな意味で動揺したルトに、グレンは脂汗をかきながら口を開いた。
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