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「孕み腹は、自分の役目を……果たしただけでございます。獣人に使われただけの孕み腹ひとりに、一国の帝王が騒ぎ立てれば、それこそ示しがつきません。陛下自ら、孕み腹を処罰する必要はないかと存じます」
焦り口調で懇願する。しかしルトを庇うほど、皇帝は不満もあらわに眉を寄せた。底冷えする瞳で見下ろされる。
「グレン、そなた。余の目を避けてラシャドの孕み腹といつから通じていた? 余が気づかぬとでも思ったか。そなたは初めから、件の孕み腹が絡むたびに動じていたな」
幼い頃からの知己の挙動を、鋭い皇帝が見抜けぬわけがない。けれどこんな局面で、ルトへの思いを指摘されるとはなんという間の悪さ。決してルトを……人間を、容認してはならない大ごとのあとだ。皇族さえも巻きこんだ。
避けられない問答に、冷や汗をかいて思考を巡らす。人間にはどこまでも残酷になれる皇帝の目を、背けさせるにはどうしたらいい。
「ラシャドの孕み腹と、何度か話す機会がありました。それで」
「惑わされたか。ラシャドも己の職務を忘れるほど溺れているようだ。獣人に身を預けてたぶらかす、ますます毒邪に等しい。余の後宮で飼う孕み腹をどうするかは余が決める。むろんラシャドとそなたには罰を与える。ラシャドをここへ寄越せ」
皇帝の冷酷な視線にグレンは二の句を出せなかった。苛烈な皇帝に向かって、これ以上人間を擁護すれば、ルトを逆に追い詰めるだけだ。引き際を悟り、ただ黙って、両肘を一直線に張り敬礼した。
「……仰せのとおりに」
ざわつく胸中を抑えながら、許可を得て立ち上がる。控えの間で待機する複数の文官を通し、ラシャドを呼んだ。飛報石の飾り縁を回し、文字盤に刻んだラシャドの名に矢印を向ける。透明な石にラシャドの文字が浮かび上がり、重苦しい思いのまま飛報石を赤く染めた。
ラシャドは事態を予測していたのだろう。執務殿を訪れた孤高の狼は、動揺もなく毅然と現れる。音も立てず、静かに足を踏み入れると、皇帝を前にするグレンの隣に肩を並べた。
威圧を放つ皇帝が中央に座し、数人の文官が両脇に立つ。神経を尖らす幾多もの視線のなか、ラシャドは綺麗に一礼した。張り詰めた殿内で、皇帝が厳粛に告げた。
「言い渡す。精鋭兵ラシャド・ロウゼは皇族親類を脅かした。鎖に繋ぎ鞭打ち百回に処せ。職務を怠ったグレン・マトスは鞭打ち五十回ののち、丸三日監獄牢へ閉じこめておけ。光一筋、虫一匹たりとも接触を持たせるな! トゥラドーラ塔へ連行せよ!」
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