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紫苑殿で逆恨みの暴行を受けなかったら、奉祝の儀で最初に乱暴されていただろう。行きつくところは結局同じ。勝手な行動をしたルトが彼らに目をつけられたからいけなかった。
傷ついたルトを気にかけてくれた。ルトと同じように、グレンはルトの存在を忘れないでいてくれた。それだけで十分だ。ルトは多くを望んでいない。
強い意思をこめてグレンを見つめる。自分にこんな気持ちがあったなんて知らなかった。苦渋を浮かべるグレンに、今の率直な思いが届けばいい。感謝している、心から。
ルトの視線を受けるグレンの瞳が見張られて、微かに揺れる。甘やかな目元がやんわりと細められた。ルトを見つめ返すグレンは穏やかな笑みを作る。しかしそれも束の間、グレンはすぐに表情を改めた。
「ルト、もし……もしもだが、皇帝陛下が君に会う機会があったら、絶対に抵抗しては駄目だ」
「皇帝陛下? この国の?」
グレンの突拍子もない話にルトは目を丸くさせた。この国の皇帝で間違いないだろうが、あまりに唐突で何度も大きな目を瞬かせる。けれどグレンが思案気に頷くのを見て、ルトは軽く笑いとばした。
「そんな。シーデリウムの皇帝だなんて、俺が会うわけないじゃないですか」
「俺もそう……思いたい。だが、正直わからないんだ。俺には、陛下の心が……わからなく、なってしまった」
ルトを見下ろすグレンが辛そうに渋面を作る。苦し気に息をついて、丸い頬に添えた指先を滑らせてきた。逞しい腕はルトの細い背に回り、軽く抱き寄せられる。そのまま表情を隠す仕草で、グレンはルトの黒い髪に顔をうずめた。
グレンの吐き出す吐息と同じく、背に回った大きい腕が微かに震える。
「グレンさん……?」
「どうか聞いてほしい。今回の件で、君にも累が及ぶかもしれないんだ。君は何も悪くないと俺たちは知ってる。だが皇帝はそう思わない。皇帝は人間には容赦しない。万が一のときは、抗わず従順でいるんだ。何を言われても、何をされても……いいね」
そしたらすぐに解放される。決して皇帝を逆なでするな。目をつけられては駄目だ。ルトの背を包み、グレンがあまりに真剣に言うので戸惑いがちに頷く。
ぎくしゃくと相槌を打てば、グレンの手が頭に乗せられた。促されて顔をあげたら、ルトを見つめるグレンの風貌が寂し気に微笑む。
「もう行くよ、ラシャドを頼む」
「はい」
言いざま立ち去ろうとしたグレンが身体の向きを変える。しかし振り返った体躯は衝撃を受けたように硬直した。低い呻き声が上がり、苦痛に耐えるように唇を噛み締めている。突然身をかがめた大きな身体へ、ルトはすぐさま両手を差し伸べた。
「どうしたんですか? あなたもけがを? 少し休みますか?」
グレンの服の血はラシャドのものかと思っていたけれど、違うのか。心配するルトにグレンは首を振った。
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