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重なる唇の隙間から振動した、くぐもった呟きにルトの視線が動揺する。気づかれないと思ったが、ラシャドは混濁する意識の淵でもルトの力を感じたらしい。
細い顎を捉えられ、揺れる瞳の先で互いの視線が交差する。はっきり口に出さずとも、背けられないルトの表情から返答を察したのだ。ラシャドの漆黒の瞳が優しく細まり、耳元で小さく囁かれた。
「もう一度してくれ」
グレンとは違う。端正な顔が初めて見せる、朗らかな笑みだった。表面の下に隠された想いをルトは見えないふりをした。
負わなくてもいい傷を、ルトのために負った。許せないはずのラシャドを、これ以上傷つけたくないのだと、揺さぶられた心があった。だから、どうか、優しくしないで。気づかないままでいさせて。
***
最初の処置が早かったからだろう。ラシャドの傷は見る見る間に良くなった。多少の傷跡は残るものの、数日後にはすっかり元の調子だ。
ルトの腹もさらに突き出て出産間近というところ。ときどき胎動も感じられ、ラシャドには明日あたりだと聞かされた。
エミルは五人がかりの出産だった。不安をみせるルトのもとへ、その日、紫苑殿に賑やかな来客が寄越された。ラシャドに頼まれて、グレンが連れて来たらしい。久しぶりの顔ぶれを見渡しルトが涙を堪えた。
「みんな、どうして」
「ルトー! 元気そうだね、よかったぁ」
エミルとパーシーとラザだ。門口に立つ獣人のグレンをちらちら気にして、パーシーが抱きついてくる。自分よりわずかに小さい身体を受けとめたルトに、グレンが耳打ちした。
「予定の明日を控えて塞ぎ気味だったんだろう? ラシャドが気にしていた。この子たちに難癖をつけて、君の友達と会わせてやれって頼まれたんだ」
あいつは人使いが荒い。とか、独房から解放されたばかりっだってっのに、とか、珍しく愚痴を言っている。何のことかわからず首を傾げた。ルトの視線にグレンがお手上げして両腕を振る。真面目なグレンに似合わない茶目っ気さに、ルトの口元がつい和んだ。
「嬉しい。ありがとう、グレンさん」
「礼ならラシャドに。きっと喜ぶ。あまり時間は取れないが、半刻後に迎えに来るから、それまではゆっくり過ごすといい」
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