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第十八話 接触
獣人の出入りが減った夜だ。ラタミティオ塔で身体の隅々まで管理されて四日目になる。魔術師に連れられたルトは、寝台がずらりと並ぶツエルディング後宮に戻った。縦長の寝所に足を進めたとたん、目ざとくこちらを向いたエミルが表情を明るくして飛びついてきた。
「ルト!」
「わっ、エミル。危ないよ」
「ずっといないから、さみしかったの」
ぎゅうぎゅうと体当たりを受けてルトの身体がぐらつく。傍にいた魔術師にぶつからないよう目を向ければ、すでに姿はなかった。ルトが寝所に入ったのを見届けて転移したのか。
目線をエミルに戻したルトは、鼻先でくすぶる柔らかな茶色の髪を撫でた。ルトに巻きつく細い腕がさらに強まる。べったり張り付くエミルの後ろで、ぷぷぷと笑う声が聞こえた。
「エミルの甘えん坊ぅー」
「甘ったれー。鼻たれー」
茶化したパーシーの声を、ラザのからかう声が追う。最後に出てきた言葉に、エミルがすぐさま顔を上げて大きな目を吊り上げた。
「鼻たれてないよっ」
そう意味ではないだろうが。鼻水は垂らしてないと大声でラザに噛みつく。ラザの言葉をそのまま受け取ってムキになったエミルに、パーシーとラザがそろって肩を揺らした。
「ばっか。鼻たれ小僧ってことだよ。ユージンがここにいたら言いそうだろ、代弁してやったんだ」
肩を竦めたラザに、エミルが頬を膨らませた。ユージンは孕み腹の宮殿にいる。ひとり、またひとりと寝所に戻らなくなって、余計に寂しかったのかもしれない。
ぷんぷんとラザを追いかけて走り回るエミルに、パーシーがうぷぷっと口を覆った。
「ほんと、エミルは甘えたがりだよねぇ。ルトがいなくて毎日寂しがっちゃって。エミル、ときどき自分のベッドじゃなくて、ルトのベッドで寝てたんだよー」
エミルはバレてないと思ってるけど、と付け加えられる。本人には内緒でこっそり暴露してきたパーシーに、紫水の目をぱちくりとさせたルトは、思わず苦笑した。
顔を真っ赤にして負けじとラザと言い合うエミルに、ルトは穏やかな声を出した。
「今日は、久しぶりに一緒に寝る? エミル」
ルトたちの寝台は人間の少年には大きくて、二人で並んで寝ても苦にならない。エミルが寝付けないときは、ときどき身を寄せ合って眠っていた。
ルトの誘いに、ぽかぽかとラザを叩くエミルが手を止めて勢いよく振り返った。
「うん!」
エミルはいかにも嬉しそう。パーシーたちは肩をすくめ自分の寝台へ退散した。就寝を見届けたルトとエミルは、二人一緒に毛布へと潜る。鼻の先がくっつきそうなくらい互いに顔を見合わせ、エミルが枕元で、こそこそとルトに耳打ちした。
「ルト、子守唄うたってね」
ルトの胸に甘えてくるエミルに口元がほころぶ。ルトは小さく頷いて、故郷の懐かしい子守唄を緩やかに口ずさんだ。
けれど身を寄せ合えば、エミルの細い首筋に赤い跡を見つけてしまう。瞬時にルトの胸が痛み、エミルの白い手を握り締めた。せめて、このひとときだけでも、優しい夜が来るように。
小さく歌いながら手をとって癒しの力をこめようとする。でもエミルが生き残った理由が脳裏をよぎり、軽はずみに使えなかった。
迷いを見せたルトの手は、代わりにエミルの二の腕に回り、薄い肩をぽんとさする。歌に合わせてリズムをとるルトの手を、エミルの大きい瞳が追った。何かを言いたそうに至近距離でルトを見上げてきて、幼さが残る口元をためらいがちに開けては閉じる。
少しずつ瞼がとろんとしてきたエミルが、ルトの手をきゅっと握って抱きついてきた。
「……ルト、僕ルトのこと、ずっと好きだよ。嫌いになんか、ならないよ……」
夢心地にエミルはぽつりと呟いて、完全に瞼を閉ざし夢のなかに身を置く。安らかな寝息にルトの子守唄がやんだ。ルトはそっとエミルのブラウンの髪を撫でる。
もしエミルが生き残った理由がルトの力のせいだと知ったら、エミルはルトを許さないかもしれない。苦しい想いを胸の内に隠し、ルトはそっと、はだけた肩に毛布をかぶせた。
「おやすみ、エミル」
ここで夜を明かしたら、明日からまた獣人を受け入れる日々が始まるのだ。エミルの寝顔を見つめ、やがてルトも瞼を閉じた。
体内に仕込まれた核種胎は、きっと昼のうちに吸収されただろう。一日中獣人に抱かれ続けたのは久しぶりだ。
図らずもラシャドとの時間が長引いてしまった。しばらくぶりの性交の嵐をしのぎやっと夜を迎えたが、疲労は大きい。虚しい想いを抱え、エミルが眠る隣の寝台に腰を落ろした。
疲れ果てた身を休ませようと横になったときだった。唯一ルトたちが休める寝所に魔術師がひとり、空気を歪ませて音もなく現れた。集まる少年たちは誰も召喚していないのにだ。
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