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 まだ生まれてもいない、大昔の話を聞いたときはラシャドも鼻で笑ったものだ。だが今、この腕にルトを抱いて、ただ苦さが残る。樽いっぱいの苦杯を飲み干している気分だ。  だとしても。ルトがもしもラシャドを選ぶなら。グレンではなくこの手を握ってくれるのならば。果たして、そう遠くない未来でラシャドが行く先は。 「いいか。たとえお前の子を孕んでも、それは国が保有する使い腹だ。何度でも言うぞ。肩入れはするな。同じ轍を踏むなよ。俺ぁ、お前を捕まえる役なんざ、願い下げだ」  ラシャドはもう何も言わずしばし口を閉ざす。苛々と舌打ちし、どうにも落ち着けない心持ちで率直な思いが口をついた。 「だいたい、この国自体が狂ってんじゃねえのか。なぁムイック隊長、そう思わねぇか?」  人間は愚かで卑劣だと獣人は罵る。しかし目にする人間はか弱きものばかりだ。ルトのように理不尽な境遇を強いられて、それでも仲間をかばい、己の身は二の次で大事なものを癒そうとする。  自然に触れれば花を愛で、望まない子でも我が子と慈しむ。人間は悪鬼だと。ずっとそう教えられ育てられた。獣人の敵なのだと聞かされ続けてこれまで生きた。  だがどうだ。か弱きものを虐げて踏みにじり、生きようと足掻く小さな命を、愚かにも消し飛ばしているのは獣人のほうではないか。 「間違ってんじゃねぇか」  間違っているのでは。いやきっと間違っているのだ。そんなこと、今まで思いもしなかったのに。繁殖用に人間を飼うのが当然だと思っていたのに。ルトへの思いとともに、沸き上がってきた疑念だった。  だがムイック隊長は硬い表情で首を振った。 「そういうもんだ、身分や奴隷ってやつは」  異を唱えたところで変わらない。高貴な身が白と言えば黒いものも白になる。逆に清廉潔白な行いをしても、生きる権利さえない奴隷は否とされる。 「生まれた瞬間に、産声をあげたばっかの赤子が、なぜこの親に生まれたか、なんてぇ高尚な疑問を持つものはいねぇさ。それと同じだ。虐げる世に生まれて、人間を虐げるのが間違いか、などと悩む獣人はいない」  黒い世界に生まれて染まれば、そこから抜け出すのは難しい。染まった色を新しく染め直すには、時間と手間と、誰かの手がいるものだ。  正しいか過ちかなどは、知識と経験を積んだ後でぶち当たる壁でしかない。黒い世界で育った後で。

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