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 爆発した怒りは膨大な溶岩となって、現状を甘んじた地を焼きつくす。度重なる暴虐は、侵略する大義名分を与えてくれる。  未来を散らされた無念、怒り、痛み、憎しみ。それらは獣人でも断ち切れないほど長く強固な鎖となって、巡り回るはずだ。いつか獣人に跳ね返るだろう。憎悪が憎悪を呼び暗黒は繰り返される。 「俺たち人間の祖先が犯した罪の罰を、今このときに俺たちが受けているんだとしたら。だったら、いつの日か、あなたたち獣人にも罰を受ける日が訪れるはずです。罪なき人間を、いたぶった数だけ。いつの未来か、あなたたちも報いを受ける」  ルトの確信めいた言葉に皇帝は目を見張った。だがすぐに美丈夫な口角が歪む。ほの暗い微笑だ。注視しないとわからないほどの、小さな口元の動き。陰のある繊細な変化は皇帝の表情を浮きたたせるほど美しかった。 「……それもよい。さすれば、我ら獣人は、今度こそ人間を根絶やしにできようものを」  皇帝はどこか疲れたように呟く。完璧な絶対王者らしくない姿だ。どちらかというと、獣になった苦し気な呻き声と重なり、ルトはぱちりと目を瞬かせた。  もしも、安らげるはずの眠りの時を奪われて、ひどくうなされるものが皇帝にあるのなら。もうすでに苦難は降りかかっているのかもしれない。獣人の王に。ルトが口を閉ざすと、話に終止符を打った皇帝が深い息をついた。 「しかし……獣型の余の姿に臆さぬものは獣人でも極わずかだ、それを。まったく肝の太い奴だ」 「そんなことないです。毎日、どうしたら暴力を振るわれないか、怯えて過ごすしかできないです。でも、それでも、俺には目も口も耳もあるから」  嘆くだけなら、泣き叫ぶだけなら散々やった。ルトの目は涙を流すだけではないし、口は悲鳴をあげるためだけにあるのではない。もちろん、開かれた耳も閉ざすためのものではない。どれほど辛くとも、すべては現実を受け止めて、自分の心を伝えるためにある。  ルトの強い意志に、皇帝は明らかに呆れを滲ませた。 「どこからくるのか知らんが。死にかけてなおその気の強さか。グレンらが、そなたを気に掛けるわけか」 「グレンさんが?」  皇帝の呟きに透かさずルトが反応した。めったに口にできないグレンの名を、薄い唇に乗せれば丸い頬に喜びが走る。ルトの些細な変化を見逃さない皇帝が、綺麗な眉をひそめたのにも気づけなかった。 「そなた……、まさかグレンを慕っておるのか。獣人のグレンをか」  問いかけられた内容にルトの白い肌が赤らむ。そんなにわかりやすかっただろうか。自分の気持ちを隠そうと両頬を手のひらで擦る。だが強い視線を感じて皇帝に瞳を戻した。見れば、皇帝の表情は厳しく、険しさを増した。 「やめよ。獣人と孕み腹は結ばれぬ。魔術の力を宿そうと、其の方の分ぶは奴隷に過ぎぬ」  王宮に伝わる悲惨な恋物語。聞かされたルトの表情が一気に曇った。 「孕み腹と駆け落ちした獣人はどうなるのですか」 「同胞をたばかった裏切りものだ。獣人の誇りである耳や尾を切り取られ、その血肉は八つ裂きにされる。見せしめに首をさらされ、さらした首は埋葬されることなく野獣のエサとなろう。歴史には乱逆者と記され墓標も立てられぬ」  グレンをそんな目にあわせたいか。皇帝の厳しい指摘はルトの心をえぐった。大事な人をそんな目にあわせられない。獣人は大嫌いだがグレンの不幸は望まない。ルトが望むのは幸福だ。  言葉と表情を失くしたルトを、皇帝の狭まった金の瞳が静かに見つめた。

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