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「陛下。明日の早朝に、魔術師が菖蒲殿の子を取り上げます」
どことなく口調も上擦ってしまう。皇帝の手がぴくりと反応を示し、伏せられた金の髪が日光で反射した。物静かだが迫力のある綺麗な顔が向けられる。
「菖蒲殿か」
「はい」
グレンはまっすぐ見つめてくる皇帝に気づかれぬよう、細い息を紡いだ。細々と命をつないだルトが、やっと菖蒲殿を出られる。すぐにラシャドにも伝えてやりたかったが皇帝の手前それはできない。
グレンの心境とは違うだろうが、重みのある皇帝の一声が重なった。
「ようやくか」
光る金の両目が細められる。その妖しい瞳に嫌な予感を覚え、グレンは柳眉を寄せて口を開いた。
「陛下。まさか菖蒲殿の孕み腹を、また召すおつもりですか?」
「余の後宮に住まう使い腹だ。いつ召そうが思いのままであろう」
責め口調の問いに皇帝の鋭い視線が飛んだ。そのとおりだ。だがルトが短期間で孕んだのは皇帝の伽をしたからだ。グレンは難色を隠せなかった。
「なぜそれほど執着なさるので? 孕み腹を痛めつけたいなら、もう十分でしょう。あなたを愚弄した罰なら、もう十分すぎるほど受けた。ルトを解放してください。あなたなら夜伽の相手などいくらでも」
「あれでなければならん」
引く手あまただ、その言葉は、重なる皇帝の一声で途切れた。思いもよらぬほど強い音だ。
これまで、皇帝自ら夜伽に望んだものはいない。側妃でさえ。グレンは衝撃を受けたように口を閉ざした。
「余が望む腹はあれだけだ。正確には、あれが持つ力か」
「癒しの力?」
眼光をわずかに緩めた皇帝の、意外な返答に目を見開く。夜伽にかこつけて、皇帝は癒しの力を使わせていたのか。毎夜密やかに訪れる、悪夢を和らげるために。
確かにルトの力は効力が強い。視界に映る傷が癒えるわけではないから、力の幅は見えにくいが。
安らかな力の波長は穏やかで、緩やかで。張り詰めた精神は、さざ波に揺らされる心地よさを感じられる。優しく押し寄せる、癒しの波だ。それは精神だけでなく、緊張する肉体にも柔和な影響を与えてくれるほどだった。
ルトの力を知ったなら、うなされる日々に手放しがたい安穏を得られただろう。
「ですが……、あなたがルトを召せば、近いうちに必ず子を孕みます。そうなれば、いくら生命力が強いと言えども、ルトは疲弊しきって遠からず命を落とすでしょう」
睨みつける瞳を隠さず、グレンは声を尖らせた。一度は耐えられた、だが二度目は三度目は。再びあの地獄に突き落とすのか。皇帝であろうとも我慢ならない。
グレンがルトを見つけたとき、すでにラシャドの子を孕んでいた。どうにもできない状況を、それでも受け止められたのはラシャドだからだ。荒っぽい性格だがルトに乱暴をしないと信じたからだ。
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