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 つまんねぇと吐き捨てた獣人が、からかい半分で立ち去っていく。足音が完全に消え静けさが訪れた。なのに心臓だけが小刻みな音をたてる。動揺したルトを、ラシャドはしばらく包んだ。ゆっくりと、密着した互いの身体が離される。ルトを掴むラシャドの腕が薄い肩に添えられた。  最近ただでさえ悪いと言われる顔色は、さらに青白くなっただろう。漆黒の瞳が、真剣な表情で見下ろしてくる。ラシャドの腕のなかでかすかに震える頬に、指先を添えられた。安心させるように、武骨な指が柔い肌をやんわりと撫でた。 「あともう少し先だ」  意外なほど優しくささやかれる。困惑するルトの瞳がぱちりと上がり、自らラシャドを捉えた。しっかり視線が合うと、ラシャドは満足した顔つきになって先を進んだ。  行きついた場所は後宮から離れた敷地の外れだ。こんなところ近寄ったこともない。手入れが行き届いていない荒れ放題の草木は、獣人の背丈さえ超える。孕み腹どころか、獣人も立ち入らないのでは。  その草むらの向こうから、ほんのわずかに、はしゃいだ声が聞こえた。 「なに……?」 「この奥だ」  きゃっきゃと笑う声は幼子か。ずいぶん拙い笑い声だ。そして陽気な声に重なって、ルトの耳をくすぐる低い音があった。馴染みのある声にわずかな感情を宿らせ、ラシャドの背後で小さく呟く。この声は。 「グレンさん……?」  無意識に出た名前に、ルトの手を引くラシャドが不満を露わに振りかえった。 「お前。声だけでグレンがわかんのかよ、むかつく」  尖った最後の言葉は独り言に近い。ぶつくさと悪態を見せた、ラシャドの力が強くなった。掴まれる痩せた腕に太い指が食いこみ、つい、か細い悲鳴がこぼれた。 「いた……っ」  苦痛で顔をしかめたルトにラシャドははっと力を抜く。和らぐ痛みに気を抜けば、幼子の声とともに静かな足音が近づいた。ルトの搾り出した小さな声を、茂みの向こうで拾ったのだろう。  背丈以上の草木を掻きわけて、幼子を抱いて現れたのは紛れもなくグレンだった。琥珀の豹だ。ラシャドに掴まれたルトの身体がぴくんと震える。なぜ震えたのかはわからなかった。  驚きか喜びか、安堵感からか。グレンの姿に視線を定めれば、繋いだラシャドの手がそっと離された。 「こっちに出て来んなよ。子連れで見つかったら目立つだろが」 「すまない。ルトの声が聞こえて、つい」  グレンの返答に嫌そうに顔をしかめ、ラシャドは茂みの向こうにルトとグレンの背を押しこむ。戸惑いながらも、ルトは促されて動いた。知らぬ間に光を取り戻した紫水の瞳は、グレンの腕に抱かれる幼子に向けられた。

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