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 こんなに美味しい、贅沢な菓子をくれるなんて。舌の上でころんと転がす。甘菓子がとろけ、ルトの隅々に染み入って、じんわりと消えた。でもどうしたんだろう。ころころと動かす菓子がなくなったら、ルトの目頭が熱くなった。  甘菓子を覗く紫水の瞳から、ほろりと大粒の雫が一つ落ちる。変だ。悲しくなんてないのに、むしろ嬉しいと思うのに。  ごしっと涙を拭いて、ルトはもう一個甘い菓子を手に取った。可愛い形を眺めてから口に入れる。何度か口の中でころんとすれば、とろける不思議な飴玉がなくなって、ルトの大きな瞳から、透明な雫がまた一つ出た。  気がついたら、ほろほろと音もなく、ルトの頬に大粒の涙がこぼれていた。  甘い菓子をとろかすと、微量な気力もルトのなかに蓄えられる気がする。ころころと菓子を食べては、真心がこもる手紙を何度も読み返した。  力強い文字が目を閉じても浮かんでくる。二枚とも暗記するほど隅々まで読みこんだら、久しぶりに本が読みたくなった。初めて月白殿の書庫に向かう。片手には、星形の箱を持って。  月白殿の書庫も、紫苑殿と負けず劣らずだ。広い壁一面に沢山の本が並ぶ。読みやすい絵本から、小難しい専門書まで。どれをとっても面白そうで、この日、ルトは夢中になって本を読んだ。  ルトの指先が小さな音を立ててページをめくる。懐かしい紙の匂いに包まれて、窓辺の壁にもたれ陽光をあびた。心地よい空気に身を置けば、あっという間に昼過ぎだ。  ラシャドが帰ってくる時刻に合わせ、慌てて調理場に向かう。夕食を準備する段取りも、いつもより手早くできた気がした。  吹き抜けの居間の時計が夕刻を過ぎたとき、警護を終えたラシャドが顔を出した。調理場にきた、ラシャドの口元が緩む。 「なんだ? 今日は、ずいぶんと豪華だな」 「ちょっと、作りすぎちゃって」  調理場を隙間なく埋める、できたての料理を眺めたルトの眉がつい下がった。いつもより、量も多くておかずも多い。失敗した。  食べきれるか心配だ。見るからに肩を落としたルトの頭に、ラシャドの大きな手がぽんと乗せられた。 「んな心配しなくても、これくらいなら朝飯前だろ」 「ええ?」  ほんとに無限の胃袋か。ルトの丸い目がさらに丸くなった。びっくりして勢いよく顔を上げる。ころころ変わるルトの表情を見つめてくる、漆黒の瞳が少しだけ見張られた。  ラシャドを見上げたルトの頬を、硬めの指先が優しく摘まむ。ぷにぷにと、軽く引っ張られた。 「綺麗に食いつくしてやるさ。先に、風呂入ってくる」  ルトを見下ろすラシャドはどこか嬉しそう。ルトの頬を弄って豪快に犬歯を覗かせた。上機嫌に声を弾ませたら、さっさと浴室に姿を消した。  忍び足が相変わらずなら烏の行水も変わらない。あれこれ盛り付けていたけれど、完成する前に戻ってきた。今さっき消えたのに。濡れ頭をがしがし拭いて、ルトがいる居間に顔を出した。  近づく姿を横目に、小皿を次々と並べていく。調理場と食卓を行ったり来たりの視界の端で、椅子に腰かけようとする姿が片隅に映った。ぶるんと揺れた黒い尻尾が目に留まる。  今さっき、彼は入浴を済ませたはず。なのに、濡れた尻尾に点々と、何かが引っついていた。一つや二つじゃなくて結構たくさん。尻尾が黒いから、よけいに目立つ。とげとげした緑っぽい、細長いものだ。

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