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「陛下の……、とこ…に……?」  聞き返したルトの全身から血の気が引いた。何を言われたんだろう。信じられない。皇帝のところへ行く、つまり、また伽をしろというのか。  ラシャドの子を宿しているのに。己の子を孕んだルトを貸し出すのを、ラシャドが許したのか。  いや、皇帝の命令なら、どんな理不尽な要求にもこたえなければならないのだろう。わかっている、わかってはいる。だが、言われた内容を認められず、ルトは軽くめまいを覚えた。  瞬時に顔色を変えたルトに、ラシャドが慌てて片手を振って付け加えた。 「夜伽に呼ばれたんじゃねぇぞ。陛下が、お前に話があるんだよ。俺の子がいるのに伽なんか冗談じゃねぇぞ。なんのために孕ませたと……あー、とにかく。俺も一緒に行く」 「伽じゃない? 話って? あなたも一緒に?」  様々な疑問が渦を巻くなか、身を乗り出して半信半疑で何度も聞く。もしかして、前に聞いた、孕み腹に関わる話に関係するのだろうか。しかしそれならなぜルトが呼ばれるのだ。シーデリウムの国政なのに。 「とりあえず食おう。冷めちまう」  食卓に並ぶ料理を眺め、言葉を濁したラシャドが律義に手を合わせる。ルトが教えた、ヌプンタの作法がずいぶん様になったなと、どうでもいいことまで考えた。  いつもは満足そうに食事が進むラシャドだったが、漆黒の瞳はずっと険しい。眉間のしわも深いまま。黙々と食べ進める漆黒の瞳が、不意に、目の前に座るルトをとらえた。 「なぁ、お前。もしも……」 「なんですか?」  ルトは戸惑う視線を上げ、口を閉ざすラシャドの先を促す。だが結局、ラシャドは先を告げなかった。  いくら考えてもわからずじまいだ。ラシャドの先の言葉が。わかるのは、どれだけ悩んでも迷っても、時間は止まってくれないこと。  次の夜、宣言どおりルトはラシャドとともに皇帝のもとへ向かった。豪勢な装飾品や絵画が左右に配置され、はるか頭上では満天の星が輝く。  いつもは夜伽のために、宮殿仕えの獣人や魔術師が同行する、皇帝へと続く通路だ。灯籠がいくつも浮かび、迷路みたいに入り組む宮殿をラシャドは躊躇なく突き進む。ずいぶん通い慣れた背に導かれ、ルトは、胸騒ぎを覚えた。  密かに皇帝のところへ行ってまで、どんな話をするという。本当に、孕み腹に関わる大局とやらが待ち受けるのだろうか。だとすれば人間の運命は、皇帝のさじ加減一つで決まるかもしれないのだ。  死の淵をさまよってから悲惨な考えばかりが浮かぶ。どうか、エミルも、ラザも、パーシーも、ユージンも。これ以上、辛くありませんように。そう願わずにいられなかった。  乱れる心のまま視界を曇らせていれば、厳重な寝殿の扉が見えた。扉の両脇に控える従者が、姿を見せたラシャドへ視線をやる。右が衛兵、左が侍従か。武装した大柄な獣人が、右から一歩踏み出て腰を折った。 「ラシャド様。これより先は、お通しできません。孕み腹のみ通せと、陛下より申しつけられておりますゆえ」 「だろうな。俺は、ここで待たせてもらう」

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